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第八話


     過去・8(ハク視点)


 2011/8/21──三年前


 『タイターン』が潰れ、セツがオレたちの前からいなくなって、もう一ヶ月が経とうとしていた。

 この一ヶ月間、変わったことは何もない。

 街は何事もなかったように回り、『タイターン』なんて不良グループがあったことは、忘れてしまったかのようだった。

 毎朝、学校に通う学生で道路がごった返す。その一時間後には、通勤中のサラリーマンがぼちぼち現れる。昼過ぎには、犬と散歩する老人夫婦が肩を並べて歩き、夕方になると、また制服姿の学生で溢れる。

 いつも通りの日常だ。

 それは、オレたちにしても変わらないことだった。

 『タイターン』を潰した殺し屋として箔がついた『殺さない殺し屋』は、以前にも増して依頼が殺到するようになった。その中から、条件の良い依頼だけを受けて、任務を遂行する。任務が終わった後は、風呂に入って温かいご飯にありつく。のんびり過ごしながら、また次の依頼を待つのだ。

 『タイターン』が潰れたとて、何も変わることはなかった。

……ただ、「いつも通りの日常」からセツが抜け落ちたということ以外には。



 およそ一ヶ月前の七月二十五日。

 セツが灰田さんを殺したという噂の真偽を確かめるために、ジョーカーさんを探し始めたオレとクロさんだったが、結局、彼を見つけ出すことは出来なかった。

 この街のタクシー運転手という情報だけが頼りだったが、どこを探しても「ジョーカーという名前のドライバー」を知っている人がいなかったのだ。それどころか、どんな書類を調べても、彼についての情報が出てこない。

 どうやら、あの金髪のタクシー運転手は、この世から姿を消してしまったようだった。そしてその代わりに、この街の奥深くにある探偵事務所が門を構えるようになっていた。

 相葉探偵事務所。ある雑居ビルの四階に入っているその探偵事務所では、決まって金髪にサングラスの探偵がタバコをふかしていのだとか何だとか。

……そうだ。

 かつてジョーカーと呼ばれ、善人から殺人者まで、小学生からご老人まで、顔の広かったあのタクシードライバーは、探偵を始めたのだ。

 相葉朋久として。



「セツが本当に守りたかったのは、タイターンだよ」

 約一ヶ月前、何とかその探偵事務所に行き着いたオレへ、探偵となったジョーカーさんはそう言った。

 やはり、タバコをふかしながら。

「『タイターン』を守りたかった? でもセツは、『タイターン』を潰したんですよ?」

 そう尋ねると、ジョーカーさんは困ったような笑みを浮かべた。

「今の『タイターン』は、もうタイターンとは言えないからね。タイターンを守るには、『タイターン』を潰すほかなかったんだよ」

「……タイターンって、何ですか?」

「昔あったグループだよ。家族がいなかったり、家族と折り合いが悪かったりする子供たちが、身を寄せ合って出来た、無力なグループ。……でも、方向性を間違えて、『タイターン』になった」

 下らないグループだよね、とジョーカーさんは吐き捨てた。

 その言葉が、彼の本心でないことは、簡単に察することができた。

 ジョーカーさんは、何かに意見するような人間ではない。自分の意見が何かに影響を与えることを、ひどく恐れているから。それに、嘘つきでもある。

 そこで、「そういえば……」と思い出すのは、ある噂だった。

 この街でタクシードライバーをするジョーカーという喫煙家は、その昔、タイターンに所属していたらしい、という噂。

「子供ってのは、無力な生き物だよね。保護者がいなきゃ何もできない。……そんな子供が集まっただけのタイターンは、特に無力なグループだったんだよ」

 一息ついてから、ジョーカーさんは、「手段が目的にすり替わったんだよ」と続ける。

「汚い大人たちが塗れているこの世界から、無力なタイターンを守りたい。そのために、力をつける。それが本来の目的と手段だった。……でも、いつからか、力をつけることこそが目的に変わっていき、方向性を間違えたタイターンは、今みたいな不良グループの『タイターン』に成り下がったんだよ」

 そして、今の『タイターン』は、もはやかつてのタイターンではなくなった。そういうことだろうか?

 ふと脳裏に、灰田さんが事務所を訪ねてきた日のことが蘇る。

 あの日、彼女は『殺さない殺し屋』へ、『タイターン』を潰して欲しいと依頼した。そして『殺さない殺し屋』は、その依頼を断った。

 きっと灰田さんは、タイターンを守りたかったのだろう。

 そして、そのために『タイターン』を潰すという結論に至ったのだ。

「ジョーカーさんは、少し前に、灰田さんがうちの事務所に来たことは、知ってますか?」

「うん、知ってるよ。セツに聞いた」

「じゃあ、灰田さんの依頼内容も?」

「そうだね、知ってる。『タイターン』を潰して欲しい、だっけ? ……それを君たちが断ったことまで、セツから聞いてるよ」

 つまりオレが聞きたいのは、セツがタイターンを守りたいと思うようになったのは、灰田さんの意志を継いでなのか、ということだった。

 直球でそう尋ねると、ジョーカーさんはタバコを一口だけ吸って、有毒な煙を吐き出しながら答えた。

「そういう部分は、少なからずあると思うよ。君たちも知ってる通り、灰田はセツの叔母で、育て親でもあるからね」

 ジョーカーさんの言う通り、オレは知っていた。セツが灰田さんに強く影響されていることも、彼女を慕っていることも。

 だから、灰田さんの『タイターン』を潰したいという願いを知れば、彼がその願いを叶えるために動く可能性も理解していた。

 それでも、その時はオレたちに相談してくれると思ったのだ。

 オレたちは相棒だったから。

「でもね。多分、もっと根本的な理由だよ」

 セツの動きに、もっと注意を向けていれば……

 今更、そう後悔していたオレに、ジョーカーさんは優しく注釈を加えた。

「灰田が作ったのは、家族いなかったり、家族と折り合いが悪かったりする子供の居場所なんだ。そして、セツもその居場所に助けられたクチだ。タイターンにこそ、入ってなかったけれど」

 セツは幼い頃に両親を亡くして、灰田さんに引き取られている。

 物心つく頃にはすでに、灰田さんが彼にとっての唯一の親だった。

「そうやって灰田に助けられたセツは、自然と身寄りのない子供の居場所を守りたい、と思うようになった。正にタイターンみたいな、ね」

「つまり、セツは初めからタイターンを守りたいと思ってた、ってことっすか? 灰田さんがうちに依頼したことなんて関係なく?」

「そうだね。まぁ、あくまで推測だけど」

 ジョーカーさんは、吸い殻を灰皿に擦り付けながらそう言った。

 そして、その言葉を皮切りに、金髪の探偵は二本目のタバコに火を付け始める。静かになった部屋の中には換気扇とライターの音だけが響く。

 改めて部屋を見回すと、引っ越してきたばかりのせいか、物が多くてごちゃついていた。

 何に使うのか分からない金属器具があったと思えば、工事現場に置いてある縞模様の柵や、『この先、工事中』と書かれた看板が何枚も置いてある。そして壁近くの本棚には、『探偵になるには』なんてハウツー本が安易に飾られていた。

 その本棚の近くにあった椅子を手繰り寄せると、座って目を閉じた。

 まだ考えが整理出来ていなかったのだ。

 ただ、ジョーカーさんの話に、おかしな点があると思った。そこを何とか掘り出して、少しずつ言葉にしていく。

「セツが、タイターンを守ろうとした話は分かりました。だから、『タイターン』を潰すことにしたのも。でも、その手段がおかしいと思うんすよ。……だってセツは、灰田さんの作った居場所を守るために、灰田さんを殺したんでしょう?」

 ジョーカーさんの話によると。そう続けると、彼は苦笑いを浮かべた。

「まあね。確かに君は、違和感を覚えるかもね。でも、これもタイターンを同じだよ。方向性を間違えて、不良グループに成り下がったタイターンと、ね」

 無力な自分たちを、社会から守りたい。その手段として力をつけよう。そういう順序だったはずが、手段と目的を取り違えて、力をつけること目的にしてしまったタイターン。

 それと同じだとジョーカーさんは言う。

「つまり、セツも手段と目的を取り違えたんだよ。灰田に助けられたから、今度は自分が灰田を助けたい。その手段として、『タイターン』を潰そう。……そういう順序だったはずなのに、いつからか『タイターン』を潰すことが目的になったんだよ。そして──」

「本来の目的だった灰田さんを、殺すことを手段に選んだ?」

 目の前で頷くジョーカーさんに、思わず拳を作る。

……やっぱり、ジョーカーさんの話はおかしい。

 そりゃあ、セツはまだ十四歳だ。タイターンですら犯した間違いを、彼が犯さないとは限らない。だとしても。

 だとしても、彼の近くには、見識のある大人がいたはずなのだ。

「それだったら、ジョーカーさんが──」

 そう言いかけて、すぐに言い淀んでしまう。

 気づいたのは、その見識のある大人が、よりにもよってこのジョーカーさんがということだった。

 そうだった。

 ジョーカーさんは、何かに意見するような人間ではない。自分の意見が何かに影響を与えることを、ひどく恐れているから。

 彼はセツに、何も言わなかったのだろう。オレの時と同様に。

 何だかどうしようもなくやり切れなくなって、オレは挨拶もせずに、ジョーカーさんの探偵事務所を後にする。

 無性にむしゃくしゃしていた。

 だって、セツは子供だったんだ。まだ十四の。子供の間違いを大人が嗜めなくては、どうにもならないじゃないか。

 そう叫びたくて、たまらなかった。


     8・前(クロ視点)


 2014/3/3──二日前


 正義は、大体二種類に分別できる。

 自分を犠牲にしても目に付く全てを解決しようとする「理想的正義」と、自分とその周りだけを精一杯守ろうとする「現実に即した正義」だ。

 どうやら由良聡は、後者らしい。

 彼の目的は、初めから明快だった。仲のいい友人の三上龍一と井上奈々を救いたい。

 そしてそのために、殺し屋の私たちを利用する、という決断までしてみせた。「理想的正義」を振りかざすなら、決して許さないだろう殺し屋の私たちを、だ。

 それについて、それとなく本人に聞いてみると、銀髪の前髪を揺らして首を傾げた。

「自己犠牲なんてバカらしいですよ。『理想的正義』なんてものを振りかざす人がいるなら、見てみたいです」

 その言葉を聞いて思い出すのは、三年前にいなくなってしまった同僚だった。

 三年前、セツは、育ての親を殺し自分の姿も消すことで、『タイターン』を潰したのだ。それは自己犠牲のような何かだったに違いない。

 彼が「理想的正義」を振りかざすような人間だったかどうかは置いておいても。

「ん。……メールだ」

 そう言って携帯電話を取り出す彼の横顔を見て、ふと思った。

 当時十四歳だったセツは、生きていればちょうど由良聡くらい歳のはずだ、と。

 生きていれば。

「クロさん、ハクさん。ちょっとこれを見てください」

 携帯電話でメールの文面を見たらしい由良聡は、ちょっと離れたところで音楽を聴いていたハクまで呼んで、その画面を見せてくる。

 ちなみに、ハクがこの場にいるのは、私が呼んでおいたからだ。

 井上奈々を助け出すことになった日の夜、早速彼に連絡をしたのだ。例の鍵が使える鍵穴について調べるのは一旦ストップさせて、代わりに私に協力するよう。

 そんな彼が近づいてきて、三人で団子になりながら、一つの画面を覗き込む。

 由良聡のメールフォルダに届いたメールは、井上奈々からだった。

『お久しぶりです。井上奈々です。お元気でしょうか? 私は元気ではありません。実は最近、『タイターン』の生き残りを自称する朱良治という男に、誘拐されてしまったのです。もし暇でしたら、助けて頂けると幸いです。男はある鍵を所望しています。心当たりがありましたら、三月五日の十二時に、●●の廃工場近くに来て頂けると幸いです』

 要するに、三月五日の十二時に廃工場で待っているから来い、ということか。

 私は隣のハクと顔を見合わせる。それから、二人で頷いた。

 相手側から時間を指定してもらえるのはありがたい。これで、当日の計画が立てやすくなった。

 ともかく、ハクとついでに由良聡も連れて、事務所の奥の扉から私の部屋に入る。

 部屋の中は、ちょっとごちゃついていた。コップに掛けておいた歯ブラシや、コードの外れたドライヤーや、食べかけのスナック菓子など。生活感に溢れていて、とても人に見せられる状況ではなかったが、この際仕方がない。

「すごい部屋ですね。まるで殺し屋の部屋には見えません」

「まあね。殺し屋も、勤務外の時間はただの人なんだよ」

 そして、奥から指定された廃工場近くの地図を取り出してくると、物を退けて作ったスペースに広げた。

「これが、●●の廃工場近くの地図だね」

「見た感じ、この辺りで話し合いになりそうっすね」

「そうだね。そして、ここを狙撃できるポイントは……」

 赤ペンを取り出すと、地図上に何個かバツ印を刻んでいく。

「地図を見ただけで、そんなことが分かるんですか? 殺し屋は」

「まあね。大体のイメージだから、下見が必要だけどね」

 由良聡に注釈を加える。

 すると、ハクが私の方に向き直ってきた。

「狙撃できる場所を探したってことは、そういうことですよね?」

「うん。いつも通りで行こうと思う」

「了解です」

 そうやって私たち二人にしか分からない話を続けていると、置いてけぼりの由良聡が口を挟む。空気を読んでか、話が区切れたタイミングで。

「何ですか? いつも通りって」

 その質問には、ハクが答えてくれた。

「『殺さない殺し屋』のテンプレートだよ。……クロさんが遠くの狙撃ポイントから狙撃の体勢に入る。クロさんは狙撃手としては一流で、裏の世界じゃ名が通ってるから、これでほとんど相手の命はこっちのもんになる。あとは、オレが相手の命を交渉材料に掛けて、取引すれば万事解決ってわけ」

 そう言ってハクは、大げさに肩をすくめた。

「つまり、今回は朱良治の命を交渉材料に、奈々を奪い返す?」

「そう。そして君から、井上奈々と引き換えに鍵を返してもらって、おしまいってわけ」

「『僕と奈々を守る』ってのが抜けてますよ」

 由良聡に素早く突っ込まれ、ハクはまた大げさに肩をすくめる。

 それを横目に、私は由良聡に「君は何もしなくていいから、家でゆっくり待っていてよ」と告げた。正直なところ、素人に場を荒らされたくなかったのだ。

 神妙に頷いた彼は「それにしても……」と話を続ける。

「それにしても、一体、鍵って何なんですか? 前に一度、大事な人の遺品につながる鍵だと言ってましたけど」

「大事な人──三年前にいなくなった私たちの同僚だね。そして、ハクの相棒でもあった子だよ。だよね?」

「はい。……三年前までは、セツっていう少年の殺し屋がいたんだよ」

「遺品ってことは、亡くなったんですか? その人は」

「いや。セツは、訳あって行方不明になっただけだ。……でも『殺さない殺し屋』にいた少年の殺し屋は、もう二度と戻ってこないからな。実質死んだみたいなもんなんだよ」

「それで、遺品ってことですか」

 ちょっぴりしんみりした空気が、辺りを流れる。

 ハクは、似つかわしくない遠い目をしていた。まるでセツと一緒にいた日々を懐かしむように。

 セツがいなくなって一番応えたのは、やはり相棒だったハクなのだろう。

 三年経った今も、依然彼のことを振り切れないのか、ハクは。

 そう思っていると、彼は堪えられないとばかりに口を曲げて、肩を震わせて笑い出した。

「信じた? ……今の嘘。そりゃあ、行方不明の元相棒が残したものって言うより、遺品って言った方が楽だからね」

 そんなに深い理由はないよ、と続けた。

 それに、由良聡は半眼で突っ込む。

「嘘つきは泥棒の始まりですよ」

「そ。オレ、泥棒」

 にやけ顔でそう言うハク。

 半眼でハクを捉え続ける由良聡。

 いつの間にか、しんみりとした空気は取っ払われていた。

「にしても、三月五日まではどうしますか? クロさん。……準備はだいたい終わってるっすよね」

「そうだね。狙撃ポイントの下見はしておきたいかな。とりあえず、明日は──」

 ハクと二人でこれからについて話していると、いつの間にか半眼をやめたらしい由良聡が立ち上がった。

 そして、私の言葉を遮りこう言った。

「明日、三月四日は、僕、用事があるので」

 「あぁ、そう……」とハクの言葉が、静かに部屋に響く。


 2014/3/5──現在


 そして、三月五日。

 昨日ハクと下見に来た狙撃ポイントで、スコープ越しに成り行きを見守る。

 事は、なかなか予定通りには進んでいないようだった。

 想定外が二つあったのだ。

 一つ目は、救出目的だった井上奈々が、どういうわけか、朱良治にぴったり体を寄せてしまったことだ。このせいで、朱良治だけを狙うことが難しくなってしまった。

 そして二つ目は、ジョーカーもとい相葉朋久の乱入だ。彼の登場のせいで、事の成り行きは完全に見えなくなってしまった。そして元々の計画は、全く意味のないものとなってしまった。

 とはいえ私に何ができるというわけでもない。せいぜいが、ハクにつながっているインカムで、何かを伝えるくらいだ。

 やはり、スコープ越しに成り行きを見守るしかない。

 スコープの先では、ジョーカーが何かを話していた。それに反応するハクと朱良治の二人。朱良治に密着したままの井上奈々は、金髪の探偵の正体を探るためか、じっと彼のことを見つめている。

 ぶっちゃけると、私は、ジョーカーに良い感情を持っていない。

 セツが、灰田さんを殺し『タイターン』を潰すに至ったのは、すべてジョーカーのせいだと思っているからだ。子供は間違えるもので、大人はその間違いを正すべきだ、ということを彼は理解していないように思える。あるいは、セツが子供だったということを。

 彼がセツの相談に乗って、灰田さんを殺すのは間違っていると怒ってくれたら、きっとこんな状況にはなっていないはずだ。

 そんなことを内心で愚痴っていると、無意識のうちに照準を彼の頭に合わせていた。

 そして、偶然気づく。スコープの端っこ、ジョーカーが出てきた裏口の近くで、大きな人影がチラチラと映ったり映らなかったりしていることに。

 あれは何だ?

 疑問を抱えながら、急いでスコープの倍率を下げ裏口のあたりに照準を向ける。すると、そこには筋骨隆々とした大男が身を乗り出しながら、廃工場の中を覗いていた。

 だ、誰だろうか? 一般人とも考えられないし、私たちの仲間でもないから、……朱良治の仲間か?

 とにかく、インカムでハクに伝えよう。

 そう思って、耳元に手を伸ばした時だった。

「……ようやく見つけたぜ」

 声がした。

 一瞬、インカムから聞こえてきた声かと思ったが、すぐに近くからする声なのだと察する。インカム特有のノイズが入っていない、クリアな声だった。

 驚きながら、振り向いて辺りを見回す。

 ここは、例の廃工場から少し離れた、やはり廃工場の屋上だ。周りに比べて頭一つ抜けて背の高い工場だったらしく、ビルの階数だと六階ぐらいの高さはある。

 だから、ここに来られるとすれば、屋上につながる階段だけだ。

 そう思い至って目をやると、案の定、そこに人影があった。

「朱良治の手下か?」

「あぁ。よく分かるな」

「今の私を狙う動機なんて、朱良治くらいにしかないからね」

 その言葉に、朱良治の手下と名乗る男は、ニヤリと笑った。そして近づいてくる。

 私は、耳元まで伸ばした手で、インカムを通話開始にすると、ハクに一方的に話しかけ始めた。

『悪い、ハク。これから数分間、狙撃は期待しないでほしい』

 それだけ言うと、返事も待たずにインカムを外し、その辺に放り投げる。

 そして、胸元からハンドガンを取り出すと、銃口を男に向けた。

「撃たれたくなきゃ、私の狙撃の邪魔をしてくれるなよ……」


     8・後(ハク視点)


 2014/3/5──同時刻


「ちょっと待ちなよ、君たち。……さっきから聞いていると、まるで子供の喧嘩みたいだね。理屈なんてなくて、自分の主張を通すだけに口を開いてる。これじゃまるで、話し合ってるんじゃなくて、独り言ち合ってるだけだ」

 銃口を向け合い、今にも銃撃戦が始まりそうな雰囲気に水を差したのは、金髪の探偵だった。

 致命的なファッションセンスで選ばれたラフな格好、ブロンドヘアというより目が痛くなるような金髪、そして額にかかったサングラス。

 ジョーカーさんだ。

 ジョーカーさんが、なぜかこの場にいた。

「君たちは全く成長しないよね。三年前のことについてだったり、セツや灰田についてだったり、もっとそういうことを考えなよ」

「……どういう意味ですか?」

「分からないのかい? なら、逆に考えてみなよ。良治。もし灰田が君だったら、この場でどう行動したと思う?」

 朱良治に対してそう投げかけたジョーカーさんは、今度はこっちを振り向いて、「ハクも考えてみな。セツが君だったら、どう行動したのか」と言った。

 セツなら、どう行動したか。

 朱良治は灰田さんにとって、『タイターン』がほんの小さなグループだった頃からの仲間だ。セツが憧れ尊敬していた灰田さんの仲間だ。

 セツなら、きっとそんな相手に銃を突きつけはしないだろう。それどころか、三年前まで相棒だったオレにも、彼と戦わないよう言うかもしれない。

「灰田さんは、『殺さない殺し屋』の連中とは仲良かったですから。……多分、戦おうとはしなかったと思います」

 朱良治の方も、同じような考えに至ったらしい。

 オレも、彼の言葉に賛同するように頷いておく。

「だよね。それに、灰田なら息子みたいに可愛がってた君と『殺さない殺し屋』が戦うのも、嫌がるんじゃないかい?」

 それから、「セツも同じだよね?」とこちらに話を振る。

 確かに、ジョーカーさんの言う通りだ。オレと朱良治がお互い銃を構えているのを見たら、セツも灰田さんも悲しむだろう。あるいは止めに入るかもしれない。

 でも、だからどうという話でもないのだ。

 それくらい、ここに来るまでに何度も考えた。けれどそれ以上に、オレはセツの遺品が気になるのだ。そして朱良治は、三年前の事件に決着をつけたいのだろう。

「分かってますよ、ジョーカーさん。それくらいは。……それでも、俺は『殺さない殺し屋』と戦うのを選んだんです」

 案の定、朱良治はそう言う。

 それよりも気になったのは、ジョーカーさんがこんな説教じみたことを言ったことだった。

 オレの知っているジョーカーさんは、自分の言葉が誰かに影響するのを恐れて、口をつぐむような大人だ。目的と手段を取り間違えたセツに、何のアドバイスも与えないような大人だ。

 こんな風に説教を垂れるとは思えなかったのだ。

 それとも、この三年間で変わったのだろうか。人は変わる生き物だとは言え、ジョーカーさんのそういう部分は人格の根幹のようにも思っていたから、少し考えにくかった。

「僕はね、良治、ハク。実は、セツや灰田に影響されて探偵を始めたんだ」

 ジョーカーさんは突然、二人を懐かしむように目を細めて、話を始めた。

 何の話か気になって、興味を向ける。

「君たちも知っている通り、灰田とセツは、タイターン──身寄りのない子供たちの居場所を守ろうとした。それこそセツは、自分を犠牲にして。……それが良かったのか悪かったのかは置いておいても、僕はね、その姿に感銘を受けたんだよ」

「それと探偵に、どういう関係が?」

「僕も二人を見習うことにしたんだよ。手始めに、探偵として身寄りのない子供たちを助けようと思ってね。……実は今日も、身寄りのない子供を助けに来たんだ」

 そう言って、ジョーカーさんは井上奈々に笑いかけた。

 つまり、ジョーカーさんは、セツや灰田さんに影響されて変わったということだろうか。

 誰にも影響を与えないようにしていたジョーカーさんが、セツや灰田さんに影響されたというのは少し意外だった。

 そんなジョーカーさんに応えるように、「アハハ」とぎこちなく彼女は笑う。

 けれど、依然として朱良治から離れようとはしない。

 『鍵を返せば、アタシと聡の逃がしてくれるよう約束した』と彼女は言っていた。それは、助けられる対象がオレたちであろうが、ジョーカーさんであろうが、関係ないということだろうか。

 全く、一貫した考えの持ち主だ。

 それに比べて、オレの気持ちは動き始めていた。

 確かに、セツも灰田さんも、身寄りのない子供たちの居場所を守るために、必死だった。自分たちを犠牲にしてしまうほどには。だというのにオレが、井上奈々──身寄りのない非力な子供を巻き込んで、銃撃戦なんて始めるべきなんだろうか、という風に。

 数分まで興奮していたのが嘘のように、心が穏やかになっていく。

 そんな心に従うように、構えていた銃を下げようかとした時だった。

 右耳につけていたインカムにノイズが走った。

 そして数秒後、聞き慣れた声がノイズ混じりに聞こえてくる。

『悪い、ハク。これから数分間、狙撃は期待しないでほしい』

 クロさんだ。

 彼の声が途切れた瞬間にノイズは消え、通話モードが終わる。

 狙撃を期待しないでほしい?

 あのクロさんが、狙撃を?

 もしかすると、彼の身に何かあったのかもしれない。そうでなければ、ありえない言葉だ。

それこそ、狙撃中の無防備の状態を狙われない限りは。

 そして現状、クロさんを狙う相手なんて、一人しかいなかった。

 今にも下げようとしていた銃を、また強く握りしめ、真っ赤なレザーコートを羽織った男に向ける。

「おい、朱良治。……お前、クロさんに何かしたか?」

 返ってきた答えは、ひどく単純なものだった。

「あぁ、まあな」

 下卑た笑みが朱良治に浮かぶ。

「あのクロ──有名なスナイパーを敵に回すんだ。ここを狙える狙撃ポイントは、事前に抑えてたんだよ。そんなの、当たり前だろ」

「……にゃろう」

 それから、彼はジョーカーさんに向き直った。

「ジョーカーさん。あなたは俺が灰田さんだったらって言いましたよね? まず、それが違うんですよ。俺は灰田さんじゃあない。……俺は、恩人を殺した殺し屋グループを、三年経っても恨み続ける、幼くて陰湿な朱良治なんです。灰田さんとは正反対で」

「良治……」

 ジョーカーさんの嘆くようなため息が、吹き抜けに響き渡った。

 そして、その数秒後。

 突然、悲鳴のような奇声がして、またも裏口から人影が現れた。

 現れたのは、体格のいい大きな男だった。バスケットボールの強豪校にいそうな身長にガタイ。目つきは鋭く、眉は細い。褐色系の肌をしているから、外国人のように見える。

 その男の正体を計ろうとしたが、そうするまでもなかった。

 クロさんを狙ったことといい、ジョーカーさんに言い放った言葉といい、このタイミングで出てきたのなら間違いない。

 きっと、朱良治が呼び寄せた手下なんかなのだろう。

 案の定、ジョーカーさんを背後から羽交い締めにした男は、黒幕に向かってこう言った。

「へへ、良治さん。お久しぶりです。ここ数日、良治さんの下を離れていたのは、実は、井上奈々について嗅ぎ回るこの探偵を調べてたからなんです。それで、この廃工場までおびき寄せたはいいものの、良治さんが取り込み中のようでしたので、割って入るタイミングを逃してしまい……」

 と言って、男は大きな男を縮こめながら頭を下げた。

 羽交い締めにされたままのジョーカーさんは、痛そうに顔を歪ませている。

 それはそうだ。彼は殺し屋でもなければ不良でもない、ただの探偵なのだから。

「それから、この探偵に依頼を出した高校生も裏口で縛っています。本当は、もう一人女がいたんですが、そっちはいつの間にかいなくなってて……。けれど、所詮女一人です。問題はないと考えます」

「……イチローか」

 朱良治は、興味なさげに言った。

 そして、男からは視線すらも外すと、最後に「よくやった」とだけ呟く。

 どうやら朱良治の興味は、完全にオレだけに向いているらしかった。

「よぉ、殺し屋。それで、これからどうするよ? お前に残された選択肢は二つだけだぜ。鍵をこっちに引き渡して命だけは見逃してもらうか、……ここでこの銃に殺されるか」

 状況は悪化する一方だった。

 クロさんは朱良治に狙われて狙撃どころではなくなり、話を仲介しに来てくれたジョーカーさんは、突然現れた大男に羽交い締めにされている。そして、井上奈々は未だ朱良治に密着したまま、そのせいでこっちは銃を撃つことすらできないのだ。

 それでなくても、オレは人に向けて銃を撃ったことがないというのに。

「で、どうだよ? 殺し屋。鍵を引き渡す準備はできたか?」

 それでもやっぱり、鍵を引き渡すわけにはいかなかった。

 だってあの鍵は、セツの遺品につながっているというのだから。

「へっ、誰が」

 朱良治の足元目がけて唾を吐きつけ、言い切る。

 セツの遺品はオレのものだ。三年前セツの相棒だったのはオレで、セツがいなくなって一番悲しかったのも、やはりオレなのだから。……朱良治なんかに、やるつもりはない。

 すると、彼はすっと目を細めて、事も無げにこう言った。

「そうか。……なら、死ね」

 それはまるで、「おはよう」とか「こんにちは」とかを言うのと、同じくらい平坦なトーンだった。

 だからだろうか、その言葉に冗談みたいな響きを感じた。殺し屋をやっているくせに、どういうわけか『死ぬ』ということに現実味が湧いてこなかったのだ。

 そんなオレを嘲笑うように、朱良治は銃のトリガーを絞り切った。本当に、呆気なく。

 次の瞬間、パァンと意外に高い発砲音が響き渡る。耳が痛くなるくらい大音量だ。

 時がゆっくり流れる。

 突発的な静寂がオレたちを襲う。

 井上奈々が目を見開いて顔を背け、ジョーカーさんが思わず口を開け、大男が肩を震わし、朱良治がニヤついた笑みを浮かべる。その全てが、静止画のようにありありと目に入ってくる。

 けれど、いくら待っても痛みがやってこない。

 そして、そのまま十数秒。

「……空砲?」

 と、誰かが言った。

「あぁ、どうやら弾を詰め忘れてたらしいな。ったく、悪運が強い」

 朱良治は、ニヤついた笑みを崩さないままだ。

……弾を詰め忘れていた、だって?

 いや。そんなはずがない。「三月五日に、この廃工場で会いましょう」と指定したのは、朱良治側なのだ。だというのに、準備不足──それも弾の詰め忘れなんて、起こすはずがない!

 クロさんの狙撃にすら予防線を張っていたのだから、尚更。

「何の真似だよ。……空砲で脅して、鍵の在り処を吐かせようってか?」

「いや。だから、ただの詰め忘れだって言ってんだろ」

 半笑いと一緒に、跳ねた言葉がやってくる。

「でも、まあ、もういいや。鍵を渡さないって言うなら、お前、本当に死ねよ」

 レザーコートの前ポケットから銃弾を取り出すと、慣れた手つきで装填していく朱良治。そして、リロードが終わると、あっさりとセーフティを外してしまう。

 カチャリ、という金属音は、いつでもオレの命を刈り取れてしまうことを示していた。

 銃口は、当然こちらに向く。

……まずい。

 何かないか?

 例えば、クロさんに助けを求めるというのはどうだろう? ──いや、クロさんから狙撃を期待しないようにと言われたのは、つい先ほどのことだ。

 あるいは、ジョーカーさんに助けを求めるのはどうだろう? ──大男に無力化されているジョーカーさんの姿は、今も視界に写っているじゃないか。

 では、いっそ一目散に逃げてしまうのは? ──ここは遮蔽物も何もない吹き抜けだ。逃げ切る前に殺されてしまうだろう。

 それなら、この手に持つ拳銃で、先に朱良治を殺すというのは? ──だから、オレは銃を撃ったことがないんだ。うまく撃てるわけがないだろう!

 だめだ、いくら考えても打開策が思い浮かばない。

 どうやっても、数秒後には死んでしまう自分の姿しか、想像できない。

 そうやって考えのまとまらないオレとは対照的に、朱良治は余裕の笑みを口元は貼り付け、銃のトリガーを引き絞っていった。それにつれて、じわりじわりと、『死』の影が背後から這い寄ってくるのを感じる。

 もう、どうしようもないのだろうか? あぁ、そんな気がした。

 多分、もう無理だ。

 そして、ついには現実から逃げるように、目を瞑ってしまう。


「──結構ピンチじゃん。大丈夫? ハク」


 次の瞬間、思わず目を見開いていた。

 何かを口に当てているのか、くぐもった声だ。穏やかだからか、優しそうな印象を与える。そして、やけに耳に馴染む。そんな声に、聞き覚えがあった。

……そんな、まさか。

 その場にいる皆、銃のトリガーに指をかけていた朱良治ですら、呆気にとられてポカンとオレの後ろに目をやっている。

 誰かが後ろにいるらしい。

 思い当たるのが、一人いた。

 でも、彼がここに来るとはちょっと考えられない。

 都合のいい脳が、勝手に勘違いしているだけだ。そうやって冷静になろうとする感情と、それでも期待してしまう感情とが入り混じって、よく分からないぐちゃぐちゃな精神状態で振り向く。


 この街には、ある噂があった。

 曰く、マフラーにキャップで顔を隠した少年の殺し屋がいたのだとか。

 その素顔は、仲間たちですら知らないらしい────


 セツが、そこにいた。

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