第三十五話 安全ルート
時刻は午前十時。
空は相変わらず灰色の雲で覆われている。
生存者たちは灰色の雲の下を歩き、民家へと進んでいた。第一目標地点である民家は前にレイテット、アイーラ、美保の三人が行った民家とは違う場所だ。
「敵、出てこないと良いねー」
アイーラの言うことに対して雛は「俺達は今、比較的安全なルートを通っている。敵と出くわす確率は低い。だが、油断は禁物だ。どこで敵が出てくるか分からないからな」と返す。
生存者たちが今通っている場所は周りが緑に囲まれている道なき道だ。この道であれば仮に発見されたとしても見通しが良く、迎撃しやすい。そしてなにより車道などの視界の開けた場所を主に徘徊している『PODE』がこの道なき道を通ることはない。
発見される確率と迎撃のしやすさ。これを考慮して雛はこの道なき道を安全ルートにした。
「あ、虫」
アイーラの目の前を虫が飛んでいく。その虫を目撃したアイーラは明らかに苦手な表情を浮かべる。
「どうしたの?」
偶然アイーラの表情を見た美保は心配するように言う。
アイーラは美保と目を合わせ、苦手な表情を浮かべたまま口を開く。
「虫」
たったその一言をアイーラは告げた。
美保はたったその一言で察した。
「いつもの虫嫌いね。見つけたら言って、私が退治してあげるから」
「お願い」
進みながらアイーラは虫を警戒し、美保は見つけた虫を指で潰していく。二人がやっているのがただの虫潰しかと言えばそれは違う。アイーラの小さな標的も逃さない目の良さと微かな虫の羽音をも聞き取れる耳の良さが高い索敵能力を生み出し、近付いて来る虫を確実に捕捉する。そして田舎生まれである美保は慣れた手付きでアイーラが捕捉し、指定した虫を一瞬の内に潰した。
「美保さん、すごい」
「田舎はうじゃうじゃいるもの、もう潰すのは慣れたわよ」
「おー」
美保の慣れた手付きで虫を潰す姿を目の当たりにしたアイーラはひたすらに感心していた。
美保が一瞬の内に虫を潰していくことでアイーラは安全に進めていた。
「手、汚れない?」
「大丈夫よ、私は気にしないわ。それに、これくらいの虫の血だけで騒いでいたら農業なんて尚更出来ないわよ」
心配するアイーラに対して、美保が自信を持って言う。美保が自信を持って言っていることでアイーラの心配は消え去り、虫を再び警戒した。
アイーラの捕捉、目標の指定。そして美保の慣れた手付きによる虫潰し。
そうやって虫を潰しながらアイーラと美保は先頭を進むレイテットと雛の後ろを付いて行く。
「蚊」
「まぁ任せて」
突如として現れた蚊。蚊は真っ直ぐ美保の方に向かっている。今にも美保の肌に接触し、血を吸ってやろうとしている。しかしその蚊の行動を見逃す美保ではなく、接触される前に蚊を一瞬で潰した。
「おー、凄い」
「田舎で育った私にとってこれくらいは朝飯前よ」
「流石美保さん」
生存者たちは道なき道を歩き続ける。
アイーラと美保は寄ってくる虫を潰しながら進み、レイテットと雛は先頭で敵を警戒しながら進んでいた。
「雛君、目的地に着くまで後どれくらい時間掛かるか分かる?」
美保が雛に質問する。
雛は美保の方に振り返り、質問の返答をする。
「三十分ほどは掛かる」
「まだ掛かるのね」
「すまない。ここは虫が多く、虫が嫌いなアイーラにとっては大いに苦痛だろう」
「そこは大丈夫よ、虫が近付かないよう私がしっかりアイーラを守るから」
「頼んだ」
「えっへん」
進んでいる最中でアイーラと美保の会話を聞いていた雛は虫が嫌いなアイーラの心配をしていたが、美保の自信のある言い様を見て、アイーラのことを任せた。
そうして美保が虫を潰し、アイーラのことを守りながら生存者たちは道なき道を進んでいく。
「雛君、そのさ……左手の方は大丈夫?」
雛と一緒に先頭を進んでいるレイテットが訊く。
雛は自身の包帯に巻かれた左手を見て、一言「大丈夫」と返した。動かす度に多少の痛みはあるものの、問題なく動かせる範囲である。そして悪夢が訪れる気配はない。
「いざとなれば、またレイテットに頼るさ」
まだ固さはあるが、雛は笑みを浮かべた。
「えへへ、存分に頼ってね!」
「あぁ」
二人は笑みを浮かべ合い、一緒に先頭を進み続ける。
言葉には出なくても絶対的な信頼が二人にあった。その信頼はお互いの背中を守ると言わんばかりに強い。
「レイテット」
「なーに?」
レイテットが雛に肩を寄せる。
「ありがとう」
幼さの残る声が雛の口から出た。
レイテットは嬉しくなり、頬を赤く染める。
単純な好きや愛しているとはまた違った感情が内に広がり、レイテットは温かなものを感じていた。
「どういたしまして」
レイテットの口からその言葉が出た。その言葉にはレイテットの今の温かな気持ちが入っている。
雛はレイテットの気持ちが入った言葉を受け取り、胸内が熱くなるのを感じていた。それは今まで経験したことのない熱さ。心地が良く、麻痺していた今までの人生ではとても感じ取ることの出来ないもの。
「進もう」
「うん!」
少し足を止めてしまった二人は再び歩き始める。
ここでアイーラと美保から二人の様子をからかうような言葉が出てもおかしくないが、アイーラと美保は虫潰しに夢中だった。
「なんだろ、でっかい虫がいる?」
虫の捕捉と目標の指定に集中していたアイーラの視界に四つの目を持ったかなり大きい虫らしきものが入り込んで来た。体色は周りの草と同じで丁度保護色。その上草木に身を隠しており、接近しないと正体が分からない。
アイーラは目を凝らして見るが、四つの目を持った虫らしきものは一瞬の内に姿を消した。
「あれ?」
結局なんだったのか分からないまま、アイーラは次の虫を見つけ、目標を指定した。そして美保が指定された虫を一気に潰していく。
生存者たちが虫を潰しながら進み、三十分が経過する。
「そろそろ目的地か」
雛が言うと、生存者たちの誰の目にも建ち並ぶ民家が映った。目的地はすぐそこに迫っている。
民家は武器以外にも食糧を調達出来る宝庫だ。探ればなにか出てくるだろう。しかし生存者たちの目に映ったのは建ち並ぶ民家だけではなかった。
「敵だ、発見されないために姿勢を低くしろ」
生存者たちの目に映ったのは緑の体色と二つの核細胞を持った『PODE』だ。姿は初期のスライム状であり、銃を持っていれば一方的に攻撃出来る。
しかし雛は弾薬の消費を抑えるために、敢えて手は出さない。
「撃って良い?」
姿勢を低くし、スコープ越しに初期型の『PODE』を捉えているアイーラが言う。
アイーラの言うことに対し、雛は「いざという時のために弾薬の消費は抑えろ」と返した。アイーラは雛の考えを理解して『PODE』に向けていた銃口を下げ、弾薬の消費を抑えた。
そのまましばらくして『PODE』はどこかへ去って行く。
「チャンスだ」
『PODE』がどこかへ去るのをチャンスと見た雛は立ち上がり、目的地に向かって移動を再開する。彼女たちも立ち上がり、雛の後ろを付いて行く。
「ほ?」
ガサガサという音。
その音に気付いたアイーラは足を止めて後ろに振り返る。
「気のせいだよね」
音の正体がなんなのか分からないアイーラは、遅れないよう再び目的地に向かって足を進ませる。
誰も生い茂る草木に潜む者には気付いていない。
生存者たちの背中を見つめる四つの目。四つの目の持ち主は静かに身を潜め、命を狩り取る一瞬を待っている。
虫、出てきましたね。
特に私は蚊が嫌いでして、室内で見かけたその時にはすぐに蚊取り線香を出すほどです(笑)
今年の夏も虫刺されとか多いので皆さまも気を付けてくださいね。




