第7章 貴族当主ラグエル・ヴァレンタインとの謁見
案内された部屋には、玉座はなかった。
大きな机と、背の高い椅子。壁には土地の図らしいものが掛かり、窓際には、封を切った書簡が積まれている。
ここは、儀式のためというより、日々の仕事をする部屋らしかった。
机の向こうに、男が立っていた。
五十代半ばほど。灰銀の髪を後ろへ流し、黒い礼服の胸に、館の壁と同じ獣の紋章を留めている。
その右側には、鎧姿の男がいた。
幅のある肩。傷の残る眉。腰には剣。
空一郎が入ると、彼は手ではなく、足元を見た。
動き方を確かめている。
空一郎は、その視線を覚えた。
《通訳を開始する。分からない部分は、そのまま伝えるね》
CHUYUが言った。
当主が口を開いた。
『私はラグエル・ヴァレンタイン。この館と、周辺の土地を預かる者だ』
訳語には、まだ少し間があった。
空一郎は教わった現地語で、ゆっくり名乗った。
「私は、ソラ。柊空一郎といいます」
姓は、うまく伝わらなかった。
彼は続けた。
「助けていただき、ありがとうございます」
ラグエルの眉が、わずかに上がった。
『もう、我々の言葉を話すのか』
「少しだけ。聞き違えることがあります。難しい話は、ゆっくりお願いします」
『よい。座りたまえ』
椅子を勧められたが、護衛は立ったままだった。
『君は、北の草地で見つかった』
ラグエルは、机に置いた図を指した。
『雷も雨もない日に、強い光が見えた。巡回の者が行くと、金属の殻と、君がいた』
ポッドのことだ。
空一郎は息をついた。
「その殻は、今、どこに?」
『別の建物で保管している。誰にも、触らせていない』
「ありがとうございます。危険な部分があるかもしれないので、私に見せてください」
護衛が、初めて口を開いた。
『君が触れれば、安全なのか』
「状態を調べられます。安全だとは、見る前には言えません」
男は、当主を見た。
ラグエルは、短く頷いた。
『後で手配する』
空一郎は、少し肩の力を抜いた。
『君をここへ運ぶよう命じたのは、私の娘だ』
ラグエルが続けた。
『アリステリア。領内を回った帰りだった』
明るい髪の女性。
CHUYUが記録した人物かもしれない。
「直接、お礼を言いたいです」
『その機会はある。だが、その前に、君が何者かを知りたい』
ラグエルの声が、少し硬くなった。
『どこの国から来た』
空一郎は答えを選んだ。
「日本という国です。ただ、ここから、どう行けばよいのか分かりません」
『船で来たのか』
「いいえ」
『山を越えたのか』
「それも違います」
護衛が一歩、前へ出た。
『答える気がないのか』
空一郎は、その男を見た。
「説明する言葉を、まだ知りません」
腰の《Bible》へ手を伸ばしかけ、止めた。
「道具で、絵を見せてもいいですか」
ラグエルは彼の手元を見た。
『ゆっくり、出したまえ』
画面に、転送装置の模式図を表示した。
研究所。
ポッド。
経路。
そして、途中で分かれた線。
空一郎は、最低限の言葉で説明した。
「私は、この中にいました。別の場所へ行く予定でした。途中で、道が変わりました」
ラグエルは、図を見つめた。
『転移か』
CHUYUの訳が、一度止まった。
《今の単語は、場所を移る術を指している可能性がある》
「ここにも、あるんですか」
空一郎が尋ねると、護衛の表情が変わった。
ラグエルは、すぐには答えなかった。
『昔の記録にはある。だが、私が知る術者に、そのようなことができる者はいない』
彼は画面から、空一郎へ視線を戻した。
『君は術者なのか』
「私は、機械を使います」
『術具を使う者も、そう言う』
空一郎は、言葉を失った。
こちらの分類では、彼の説明は区別にならないらしい。
『庭で飛ばしたものも見た』
ラグエルが言った。
『城壁の外を映せると聞いている』
「はい」
『空を飛ぶ使い魔より、はっきり見えるそうだな』
空一郎は、今度はその単語を聞き返さなかった。
知らないものが、また増えた。
護衛が、当主の側へ寄った。
短いやり取りがあった。
CHUYUが、聞き取れた部分を伝える。
《館の防備について話している。装備を預かるべきだ、という意見みたい》
空一郎は二人を見た。
「私は、この館を傷つけるつもりはありません」
護衛が振り返った。
『つもりは、今は見えない』
その答えは、もっともだった。
ラグエルは椅子へ腰を下ろした。
『この者は、私の護衛長、ベイルだ。君を敵と決めたわけではない。だが、私の家族と、館の者を守る責任がある』
「分かります」
『君の装備を調べようとしても、我々には分からない。それを身につけた君が、どの程度の力を持つかも分からない』
ラグエルは、空一郎の前腕装具を見た。
『そこで、提案がある』
彼は手を組んだ。
『ベイルと、手合わせをしてもらえないか』
空一郎は、護衛長を見た。
男の顔に、笑みはなかった。
「断ったら?」
『別の方法で、危険がないと確かめるまで、行動を制限する。君の持ち物も、扱いを相談しなければならない』
客としての礼はある。
しかし、この館で自由に動ける立場ではない。
空一郎は、ようやく、その境目をはっきり見た。
「条件を聞かせてください」
中庭へ出ると、見物する者は遠ざけられていた。
ベイルは、刃を落とした訓練用の剣を選んだ。木剣ではない。重さと、扱ったときの力を見せるつもりらしかった。
空一郎には、短い棒が渡された。
彼は握り、重さを確かめた。
「降参したら、止める」
空一郎が言った。
ベイルは頷いた。
『互いにな』
「頭と、首は狙わない」
『承知した』
ラグエルが口を挟んだ。
『大きな術は使うな。館を壊しては、試す意味がない』
ベイルは、胸に手を当てた。
空一郎は、その言葉を聞いて、改めて前腕装具の出力を制限した。
「ちゅゆ。加工機能は停止。姿勢補助と測定だけ」
《設定した。スーツの防護も有効。ただし、あの剣の作用は、まだ分からない》
「作用?」
ベイルが剣を上げた。
刃の根元に、細い模様がある。
男が短い言葉を発すると、その溝に青白い光が走った。
空一郎は、棒を持つ手に力を入れた。
「……本当に、あるのか」
《異常な場の変動を検出。既知の電磁作用だけでは説明できない》
ラグエルが手を下ろした。
ベイルが動いた。
速かった。
鎧の重さを感じさせない踏み込みだった。
空一郎は横へ動き、最初の打ち込みを避けた。
剣は身体を外れた。
それなのに、胸へ強い圧力が当たった。
息が押し出された。
足が、半歩、後ろへ滑る。
《刃の外側にも作用がある。接触距離の予測を修正する》
「見てから言うなよ」
《見ないと分からない》
ベイルは追ってきた。
空一郎は棒を立て、二撃目を受け流そうとした。
衝撃が、予想より重かった。
木が軋み、握った手が痺れる。
作業支援機が荷重を分散したが、身体全体が押された。
ベイルの剣筋は、乱れなかった。
力任せではない。
相手がどこへ逃げるかを見て、次の位置へ足を運んでいる。
空一郎は後退した。
《装具負荷、上昇。正面から受け続けないで》
「受けたくて、受けてるんじゃない」
彼は息を整えた。
相手の身体を見る。
剣ではなく、肩と、腰と、足。
そこで、ベイルの動きに、短い切れ目があることに気づいた。
光が強くなる前、男の指が柄を握り直している。
吐く息に、言葉が重なる。
「今の光、連続じゃないな」
《作用の強さに周期がある。ただし、次も同じとは限らない》
「分かった」
空一郎は、わざと退く幅を小さくした。
ベイルが間合いを詰める。
光が強まる。
その瞬間、彼は横へ抜けた。
剣の延長にある圧力が、背後の土を削った。
ベイルの眼が、初めて少し開いた。
空一郎は攻めなかった。
相手を倒すためというより、剣の作用が切れる時間を確かめていた。
再び、柄を握り直す動き。
今度は、短い発声。
その前に動く。
しかし、ベイルも同じ攻撃を続けなかった。
剣先を止めたまま、左手を開いた。
足元の砂が舞った。
風が、横から身体を押した。
空一郎の姿勢が崩れた。
《未知の作用――》
「見えてる!」
剣が迫る。
彼は棒を差し込み、前腕装具で支えた。
衝撃を受けた瞬間、支援機の警告が鳴った。
棒に亀裂が入る。
そこで空一郎は、押し返すのをやめた。
相手が押す力に合わせて身体を回し、剣の進む方向を外へ逃がした。
ベイルの右腕が、わずかに開いた。
空一郎は、その内側へ入った。
装具で剣を持つ腕を抑え、腰を低くする。
ベイルはすぐに体勢を戻そうとした。
強い。
鎧の重さも、簡単には動かせない。
空一郎は足を掛け直し、姿勢補助を一段だけ上げた。
重心が動いた。
二人はもつれるように、土の上へ倒れた。
空一郎は剣の手首を押さえ、棒の残った先端を、相手の胸元で止めた。
ベイルの左手は、まだ開いていた。
「……降参、するか」
息を切らしながら、空一郎は尋ねた。
男は、彼の背後を見た。
左の掌に、かすかな光が残っている。
《背後で場の変化。注意》
空一郎の首筋に、冷たい風が触れた。
ベイルが言った。
『君は?』
二人は、互いの顔を見た。
空一郎は、短く笑った。
「同時に、やめよう」
CHUYUがその言葉を訳す。
ベイルの掌が閉じた。
風が止んだ。
空一郎も、棒を引いた。
立ち上がると、膝に土が付いていた。
前腕装具には、新しい傷があった。
空一郎は、それを見て息を吐いた。
「大丈夫?」
CHUYUが尋ねた。
「胸が、少し痛い」
「診てもらおう」
「そうする」
ベイルは剣を収めた。
空一郎の装具を見たが、手を伸ばすことはしなかった。
『その腕は、君の力を増やすのか』
「はい。けれど、無限には増えません」
『術力は、感じなかった』
「あなたの剣も、私は仕組みが分かりません」
ベイルは、そこでわずかに口元を動かした。
『私も、君の腕は分からん』
ラグエルが近づいた。
『ベイルを倒しきれる者は、そう多くない』
護衛長が静かに言った。
『私も、止めきれてはいません』
ラグエルは二人を見比べた。
『では、よい確認になった』
空一郎は、割れた棒を差し出した。
「壊してしまいました」
『そのためのものだ』
ベイルが受け取った。
部屋へ戻ると、水が用意されていた。
空一郎は自分の給水容器から飲み、椅子に座った。
ラグエルは、彼が呼吸を整えるまで待った。
『君には、軍務の経験があるのか』
「航空機の操縦訓練と、試験飛行の経験があります。地上の戦いは、護身の訓練が中心です」
翻訳に時間がかかった。
飛行機を指す適切な語がなく、CHUYUは「人が乗り、機械で空を飛ぶもの」と補った。
ラグエルは、その説明を反復した。
『人が、乗るのか』
「はい」
『庭で飛ばしたものより、大きい』
「そうです」
当主は、書簡の積まれた机を見た。
その視線の変化を、空一郎は見逃さなかった。
空を飛ぶ技術を、面白い話として聞いているだけではない。
この男は、それで何ができるかを考えていた。
『君を、当家の客として迎えたい』
ラグエルが言った。
『滞在する部屋と、食事を用意する。調べものに必要な協力も、できる範囲でしよう』
「ありがとうございます」
『代わりに、君の道具について教えてほしい。すべてではなくてよい。私の領地で使う場合に、何が起こるのかを知りたい』
空一郎は頷いた。
「使う前に、相談します」
『もう一つ。私の兵たちへ、君の知る技術を教えられないか』
彼は、すぐには返事をしなかった。
「何の技術ですか」
『身を守る方法。遠くを見る方法。人や物を、早く運ぶ方法』
「教えられるものはあります。ただ、道具が必要なものも多い。こちらで作れるか、調べないと分かりません」
『よい』
「それから、誰かを攻めるために使うなら、話は別です」
ベイルが、わずかに顔を上げた。
ラグエルは、空一郎を見つめた。
『それも、相談するとしよう』
拒絶ではなかった。
承諾でもなかった。
空一郎は、その曖昧さを覚えておいた。
『君は、ここで何をしたい』
ラグエルが尋ねた。
「帰る方法を探したいです」
『待っている者がいるのか』
「家族が」
当主の表情が、少し変わった。
『ならば、必要なことを教えてくれ』
空一郎は息を吸った。
「まず、私が乗ってきた装置を調べたい。次に、この土地の地図と、空の記録を見たいです」
『空の記録?』
「星の位置や、季節ごとの変化です」
『聖堂に、詳しい者がいる』
そこで、ラグエルは一度言葉を止めた。
『ただし、君の来歴を、誰にでも話すのは勧めない』
「なぜですか」
『私が知りたいと思ったことは、ほかの者も知りたいと思う。穏やかに尋ねる者ばかりではない』
空一郎は、窓の外へ眼を向けた。
この館にいる理由が、ようやく少し分かった。
親切だけではない。
疑いもある。
期待もある。
彼の持つものを、手元に置いておきたいという判断もある。
それでも、今、ここを出て一人で生きるよりは、話し合う余地があった。
「分かりました。私も、まだ、ここを知りません」
ラグエルは頷いた。
『では、互いに知るところから始めよう』
謁見を終えて廊下へ出ると、壁際に一人の女性が立っていた。
明るい色の髪。
薄い青の服。
手袋を外した手に、小さな書物を持っている。
空一郎は足を止めた。
到着時の映像で見た女性だった。
彼女は、彼の前腕装具と、土の付いた膝を順に見た。
『父が、無理をさせたようですね』
CHUYUの訳が耳へ届いた。
「少し、体を動かしました」
彼女は、その控えめな説明を信じてはいないようだった。
『ベイルと動けば、少しでは済まないと思います』
空一郎は笑った。
「確かに」
女性も、わずかに笑った。
『アリステリア・ヴァレンタインです』
「空一郎です。ソラ、と呼んでください」
『ソラ』
彼女は確かめるように発音した。
空一郎は頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
アリステリアは、書物を持つ手を下ろした。
『草地で、息をしていましたから』
「知らない人間なのに」
『知っている者しか助けないのでは、助けられる人が少なくなってしまうでしょう』
CHUYUは、少し時間をかけて訳した。
空一郎は、返す言葉を探した。
アリステリアは、彼の間を、言葉がまだ不自由なためだと思ったらしい。
ゆっくり、言い直した。
『生きていて、よかった』
今度は、通訳を待たずに分かった。
「……ありがとう」
彼女は彼の額を見た。
『まだ、痛みますか』
「少し」
『あとで、診てもらえるように伝えます』
そう言って、彼女は廊下の向こうへ歩いていった。
空一郎は、その姿を少しの間見送った。
「ちゅゆ」
「何?」
「この世界のこと、もっと調べよう」
「その予定だよ」
「機械とか、地図だけじゃなくて」
彼は、アリステリアが消えた廊下を見た。
「ここにいる人のことも」
CHUYUは、穏やかに答えた。
「うん。その方が、分かることは増えると思う」
窓の外では、城壁の向こうへ煙が流れていた。
空一郎は、腰のNoös Pouchへ触れた。
帰るための道具は、ここにある。
けれど、帰るまで暮らす場所は、これから作らなければならなかった。
この時点の主な人物・場所
名称 役割・状況
柊空一郎 転送事故で漂着。帰還経路を探しながら、現地社会との関係を築く
AI-CHUYU 宙結をモデルにした独立支援AI。翻訳・観測・装備管理を担当
ラグエル・ヴァレンタイン 領主。空一郎を保護する一方、その技術と力量を見極めようとする
ベイル ヴァレンタイン家の護衛長。剣術と魔法を併用する
アリステリア・ヴァレンタイン ラグエルの娘。漂着した空一郎の救護を命じた
ミレナ 空一郎の世話と、初期の言語学習を助ける館の侍女
ヴァレンタイン家の館 空一郎の滞在先。街を見下ろす丘に建つ
北の草地 転送ポッドと空一郎が発見された場所




