↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/126

六十四章 勝者の家――復讐編エピローグ


 判決の日、暁人は傍聴席の最前列に座っていた。

 試験場の事故から、二年が過ぎていた。

 法廷へ至るまでに、何度も期日が延びた。

 供述が覆され、帳簿の意味が争われ、署名をした者と命令を出した者の責任が、一つずつ確かめられた。

 最後にエルンストへ届いたのは、側近が保管していた私信と、銀行に残された別の支払指図だった。

 橋の補強材を安い品へ替え、差額を秘密の勘定へ移す。

 その勘定を担保に、鉄道会社の株を買う。

 事故のあとも関与を隠し、会社が資金難へ陥ると、融資の条件に経営への権限を求める。

 橋が落ちること自体を命じたとまでは、認定されなかった。

 だが、粗悪な部材と偽の記録で人命を危険にさらし、その事実を隠して利益を得た責任は認められた。

 エルンストは、実刑を言い渡された。

 オスカーが亡くなった倉庫の火災については、最後まで命令者を特定できなかった。

 分かったことと、分からなかったことが、同じ判決の中に残った。

     

 法廷を出ると、記者たちが待っていた。

「柊家の名誉は回復したと、お考えですか」

 暁人は足を止めた。

 ルドルフ・ケラーも、その中にいた。

「工場で試験をした部材が、出荷後に替えられたことは認められました。ただ、受け入れと施工の確認が不十分だった責任は残ります」

「ヴァルデック側へ渡った事業は?」

「裁判と債務整理の結果に従って、持分を整理します。働いている人を、会社の名だけで追い出すことはしません」

 用意してきた答えだった。

 言い終えたとき、ケラーが尋ねた。

「これで、終わりですか」

 暁人は、その顔を見た。

「……事件の一つは、区切りがつきました」

 記者は頷き、書き留めた。

     

 商会へ戻ると、役員たちが立ち上がった。

 机には、鉄道株の買い戻し案と、共同倉庫事業の再編案があった。

 ヴァルデック系の会社は、賠償と返済のために資産を売る。

 柊は、失った持分を取り戻せる。

 港の荷扱い設備、倉庫、鉄道、製鉄所。

 かつて別々に借金を抱えていた会社を、共通の収支計画で動かす案までできていた。

「当主のお力です」

 年配の役員が言った。

 暁人は席へ着いた。

「署名が必要なものを、順に」

 誰も祝いの言葉を重ねなかった。

 窓の外から、貨物列車の汽笛が聞こえた。

 止めずに守ろうとした事業は、動いていた。

     

 帰宅すると、クララが書斎で待っていた。

 机には、判決文の写しと、一冊の綴りがあった。

 両家の財産と事業を整理するため、彼女自身の弁護士が取り寄せた、婚姻当時の書類だった。

「父のしたことは、読みました」

 彼女は言った。

「私の知っている父だけが、父ではなかったのですね」

 暁人は椅子へ手を置いた。

「クララ」

「もう一つ、教えてください」

 彼女は綴りを開いた。

 婚約前、柊商会の会議に出された検討書だった。

 共同事業への監査。

 過去の倉庫記録への接近。

 その条件を得るための、婚姻交渉。

 書面の余白には、暁人の承認があった。

「私に結婚を申し込む前から、こう考えていたのですか」

 彼は、長い間、答えなかった。

「……そうだ」

     

 クララは、紙を見ていた。

 泣き出しはしなかった。

「私が、あなたを好きだと分かっていて?」

「君と過ごした時間が、全部そのためだったわけではない」

「全部ではないのですね」

 その言葉に、暁人は口を閉じた。

 彼女は頷いた。

「父は、私には知らなくてよいと言いました。あなたは、私が知らない方がよいと思った」

「傷つけたくなかった」

「でも、私を選ぶ理由には、使ったのですね」

 暁人は、彼女へ近づいた。

「今、君を愛していることは、本当だ」

 クララが顔を上げた。

 ようやく、涙が一筋落ちた。

「それは、信じたいです」

 彼女は言った。

「でも、あなたが私を愛するようになる前に、私があなたを信じていた時間は、どうしたらよいのでしょう」

 暁人は手を伸ばせなかった。

     

 クララは、澪を連れて屋敷を出た。

 実家へは戻らなかった。

 医療院に近い小さな家を、自分の財産から借りた。

 その財産についても、父の犯罪による利益が含まれないか、別の法律家に調べてもらった。

 持っていった物は、多くなかった。

 衣服。

 本。

 娘の玩具。

 白い花の鉢。

 青い糸で葉を刺した布は、暁人の机に残った。

「澪に会うことを、止めるつもりはありません」

 クララは玄関で言った。

「でも、私が今すぐあなたと暮らし続けることは、できません」

 四歳になった澪は、母の手を握っていた。

「お父様は?」

 娘に聞かれ、暁人はしゃがんだ。

「あとで、会いに行く」

「一緒に、帰る?」

 彼は答えられなかった。

 クララが娘の帽子を直した。

「今日は、お母様と行きましょう」

 澪は父を見たまま、母に連れられて門を出た。

     

 星司は、商会の技術責任者を辞めた。

 大学での研究と、事故の調査、鉱山や町の設備相談は続けた。

 暁人が渡した辞任の確認書には、必要な技術資料を大学側へ引き継ぐ条件が添えられていた。

「この部分は、公開できる」

 兄が言った。

「こっちは、取引先との約束を確かめてからにしてほしい」

 星司は読み、頷いた。

 事務の話はできた。

 昔のように、そこから食事へ誘うことはできなかった。

「家へ、来ないか」

 暁人が一度だけ言った。

「母さんも、待っている」

「母さんには、別の日に会う」

「灯花もいる」

「妹がいれば、話せるようになるわけじゃない」

 星司は、責める調子では言わなかった。

 それが、暁人にはかえって分かった。

     

 Noös Pouchと保管施設の管理をめぐる争いは、その後も残った。

 大学側への設備の貸与。

 商会が負担する維持費。

 研究記録を公開する範囲。

 所有と利用の約束が固まらないまま、双方が別々の担当者へ指示を出すようになった。

 損傷が起きたのは、記録用装置を移す作業の途中だった。

 星司側は、大学への貸与が認められた測定器だけを運び出す予定だった。

 商会側の担当者は、それに接続された制御箱を、持ち出せない保管設備と判断した。

 どこで切り離すかが現場で食い違い、運搬台の位置が変えられた。

 重い装置を戻す際、台の車輪が床の継ぎ目へ落ちた。

 傾いた枠が、壁際の冷却管を押し潰した。

 警報が鳴った。

 その場で誰もが作業を止めた。

 だが、失われた冷却能力を補う部品は、倉庫に残っていなかった。

     

 暁人と星司が駆けつけたとき、CHUYUは記録の退避を始めていた。

 未来の記憶装置へ移すもの。

 現地製の保存媒体へ複製できるもの。

 紙へ印刷しなければ、読む手段がなくなるもの。

 灯花は出力された紙を受け取り、番号を確かめて箱へ収めた。

「直せるのか」

 暁人が尋ねた。

 星司は、傷んだ設備の図を見ていた。

「配管だけなら、作れる。でも、熱の影響を受けた制御部まで、今の工房で直せるかは分からない」

《このまま動かし続けることはできない》

 CHUYUが言った。

《記録を退避したあと、主な処理を休止する。保管に必要な最小限の機能だけ残す》

 暁人が端末へ近づいた。

「どれくらいで、戻れる」

《約束はできない》

 彼は、星司を見た。

 弟も、自分を見ていた。

 どちらが作業を命じたか。

 誰の指示が変わったか。

 問い詰める言葉が浮かび、二人とも黙った。

     

 義体は、いつもの椅子へ座らされた。

 立ち上がらなくてもよいよう、接続が整えられた。

 暁人が、その手へ触れた。

「叔母さん」

《聞こえている》

「……ごめん」

 返事まで、少し間があった。

《その言葉も、残す》

 星司は机の向こうに立っていた。

「記録は、僕たちで守る」

《二人だけで抱えないで。読める人と、直せる人を育てて》

 灯花が頷いた。

「はい」

《休止まで、あと少し》

 暁人は、手を離せなかった。

 子供のころのように、何か言ってほしかった。

 帰っていい。

 今日はもう寝なさい。

 また明日。

 しかし、CHUYUが最後に求めたのは、退避記録の確認だった。

 三人は順に、自分の名を告げた。

 保存が終わった。

 義体の掌から、少しずつ温かさが失われていった。

     

 その年の冬、灯花は三軒の家を訪ねた。

 母と暁人のいる屋敷。

 クララと澪の家。

 星司が一人で暮らす家。

 同じ日に全部を回れることもあれば、できない日もあった。

 兄弟を同じ食卓へ呼ぼうとしたこともある。

 返事は、別々に届いた。

 母は、灯花へ言った。

「あなたが、全部をつながなくてもよいのよ」

「切れたままでいいとは、思えなくて」

「会いに行くことと、仲直りさせることは、違います」

 灯花は、しばらく黙っていた。

 そのあと、包んでいたパンを三つに分け直した。

「今日は、届けるだけにします」

 ミーナは頷いた。

     

 それから十年が過ぎた。

 幹線鉄道には重い貨物列車が走り、港には鋼製の蒸気船が並ぶようになった。

 複数の気筒で蒸気を順に膨張させる機関が、同じ石炭で以前より遠くへ船を運んだ。

 工場の動力は、一本の長い軸と革帯から、必要な場所に置く電動機へ少しずつ変わっていった。

 その電気を作るために、また石炭が運ばれた。

 銀行と保険会社は、炭鉱、鉄道、船、倉庫の記録を求めた。

 柊の印は、その多くにあった。

 暁人は、父の代より大きな事業網を持つ当主になっていた。

 新聞には、柊家の再興を成し遂げた男と書かれた。

 その記事を、彼は家族へ見せなかった。

     

 十四歳になった澪は、父の商館へ一人で来た。

 受付の者は、母親に似た柔らかな顔を見て席を勧めた。

 少女は礼を言ったが、座る前に壁の地図へ近づいた。

 鉄道。

 港。

 炭鉱。

 会社ごとに色を変えた線が、大陸を横切っていた。

「お父様は、どれを持っているの」

 迎えに出た暁人へ、彼女は尋ねた。

「全部ではない。出資しているだけの会社もある」

「出資していれば、決められる?」

「持分だけでは決まらない。借金や契約も関わる」

 澪は地図を見たまま聞いていた。

「では、線だけ見ても分からないのね」

「ああ」

「教えてくださる?」

 暁人は娘を見た。

 花の本を抱えてきた、かつてのクララとは違う問いだった。

 けれど、答えを待つ目元はよく似ていた。

「何から、知りたい」

 澪は少し考えた。

「家族が別々に暮らすようになったのに、会社は前より大きくなったでしょう」

 暁人は動かなかった。

「私は、その理由を知りたい」

     

 その夕方、灯花が澪を迎えに来た。

 少女は父から借りた帳簿を抱えていた。

「難しくなかった?」

「まだ、分からないことばかり」

 馬車へ向かう途中、澪は振り返った。

 商館の最上階に、父の部屋の灯りが見えた。

「叔母様」

「なあに」

「お父様は、勝ったのよね」

 灯花はすぐには答えなかった。

 通りの向こうを、港から戻る荷馬車が進んでいた。

「取り戻したものは、たくさんある」

「取り戻せなかったものも?」

「ええ」

 澪は腕の中の帳簿を抱き直した。

 母は、家へ帰れば話を聞いてくれる。

 父は、商館へ来れば時間を作ってくれる。

 星司叔父は機械を教え、灯花叔母は二つの家を訪ねてくれる。

 誰もが優しい日があるのに、皆で暮らすことはできない。

 澪は、その理由をまだ知らなかった。

 ただ、父の答えを待つだけでは、分からないことがあると知り始めていた。

 馬車が動き出した。

 膝の上で帳簿を開くと、余白へ小さく、自分の名を書いた。

 柊澪。

 その下に、今日覚えた三つの言葉を書き留めた。

 持分。

 借金。

 契約。

 商館の灯りが見えなくなっても、彼女は本を閉じなかった。

 

――復讐編・了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。