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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第五十五章 活字の向こう側


 記者は、暁人より先に部屋の時計を見た。

「次のお約束まで、どれほどありますか」

「一時間ほど」

「では、最初の二十分で事故の件を。残りで、柊商会の資金について伺います」

 男は帽子を膝へ置いた。

 セレスティア経済新聞の記者、ルドルフ・ケラー。

 暁人が想像していたより若かった。使い込んだ革鞄から出した手帳は、角が丸くなっていた。

「お父上にも、お話を伺ったことがあります」

「そうですか」

「質問を六つ用意したら、二つしか聞けませんでした」

「父が話しすぎた?」

「私の調べ方が足りないと分かったので、途中で帰りました」

 暁人は、少しだけ笑った。

「今日は、六つとも聞いてください」

「そのつもりです」

     

 ケラーは、北辰運送の名から切り出した。

「柊家が、同社への貸付債権を取得した。間違いありませんか」

「事実です」

「橋の補強材を扱った会社ですね」

「積み替え作業に人員を出していました」

「事故に関する証言を、金で押さえたのですか」

 暁人は、茶へ伸ばしかけた手を止めた。

 問い方が乱暴だと思った。

 しかし、外から見れば、そう見える。

「証言の内容によって返済条件を変えないことを、契約へ明記しました。調査委員会にも関係を届けています」

「契約のその部分を確認できますか」

「先方の同意を得たうえで、写しをお渡しします」

 ケラーは書き留めた。

「柊に有利な証拠は見つかりましたか」

「未公表の調査内容には答えません」

「不利な証拠でも、同じように扱いますか」

「そのつもりです」

「では、事故後に判明した、柊側の管理の不備を教えてください」

 暁人は、今度こそケラーを見た。

 持ってきた説明書には、復旧と資金繰りのことを中心にまとめていた。

 不備の一覧は、別の綴りにあった。

     

 製造時の試験記録は残っていた。

 だが、その部材がどこで保管され、誰の手を経て、現場へ取りつけられたのか。

 記録は会社ごとに分かれ、番号の書き方も揃っていなかった。

 受け取った側は、封印と伝票を確認した。

 木枠を外して、図面と一つずつ照らし合わせる確認は、省かれていた。

「重量物のすべてを現場で再検査するのは、容易ではありません」

 暁人は説明した。

「だからこそ、途中で荷へ手を加えた場合に、分かる仕組みが必要でした。そこが十分ではなかった」

「誰かが意図して入れ替えた可能性は?」

「委員会が調べています」

「入れ替えがあったとしても、見落とした責任は残る」

「はい」

 口にすると、胸の奥が重くなった。

 父を苦しめたものを取り除くために、彼は調べている。

 それでも、柊が負うべきものまで消えるわけではない。

 ケラーは手帳から顔を上げた。

「その説明を、紙面へ載せます」

 暁人は頷いた。

 望んでいた言葉とは違ったが、自分が答えた言葉だった。

     

 面会の終わりに、暁人は石炭の契約と、賃金の支払予定を示した。

「鉄道が止まれば、鉱山も製鉄所も困ります。今は、働いている人たちが先に不安になっている」

「事業が続くと、報じてほしい?」

「確かめて書いてもらいたい」

 ケラーは資料を受け取った。

「では、荷扱い場と工場へも伺います。あなたが選んだ方だけでなく、作業員にも話を聞きます」

「構いません」

「記事は、掲載前にお見せしません」

 暁人は一瞬、返事を遅らせた。

 数字の確認くらいは求めようと思っていた。

 ケラーは、その表情を見逃さなかった。

「事実の確認はします。ただし、どう書くかを商会に決めてもらうことはできません」

「……分かりました」

 記者が帰ったあと、暁人は机に残った説明書を閉じた。

 情報を渡せば、思うとおりに働く。

 金を貸すことと同じように考えかけていた自分に、気づいた。

     

 記事は、三日後に出た。

 大きな見出しには、事故調査の継続と、柊系鉄道の資金難が並んでいた。

 暁人が期待した、信用回復の記事ではなかった。

 一方で、賃金の支払いが続いていること、独立した事故調査を柊側が受け入れていることも書かれていた。

 工場の作業員の言葉が、小さく載っていた。

 ――会社が続いてほしい。だが、橋が落ちた理由は、会社のために変えないでほしい。

 暁人は、その一文を繰り返し読んだ。

 昼前、銀行から連絡が入った。

 追加の資料を確認したいという。

 融資再開の約束ではなかった。

 それでも、担保を増やせという話だけだった数日前とは違っていた。

 暁人は会計主任へ言った。

「面会を入れてくれ」

 自分たちの不備も載った新聞を、彼はそのまま持っていくことにした。

     

 同じ新聞を、星司は北部炭鉱へ向かう客車で読んでいた。

 向かいの席で、サラが紙包みを開いた。

「今度は、柔らかいものです」

「気を遣わせたかな」

「祖母が、柊の兄君は歯が悪いのかと」

 星司は新聞で口元を隠した。

「違う。たぶん、急いで食べただけだ」

「そう伝えました。あなたも笑っていた、とも」

「そこは言わなくてよかった」

 包みの中には、干した果実を練り込んだパンがあった。

 二人は半分に割った。

 窓の外では、線路沿いの電信線が続いている。

 その先で働く駅員が列車の到着を知らせ、次の駅が出発を許す。

 パンを食べ終えるころ、列車は信号の手前で止まった。

「また、機械の故障ですか」

 サラが尋ねた。

「先の区間が空いたと、まだ確認できていないんだろう」

「動けるのに、待つ」

「そういう仕組みなんだ」

 星司は新聞を畳んだ。

「急いでいるときほど、待てるようにしておく必要がある」

     

 炭鉱の試験場には、二つの音があった。

 地上で回る蒸気機関の、一定の排気音。

 少し離れた発電機の、細かな唸り。

 発電機から引いた電線は、碍子で壁から離され、乾いた点検通路へ通されていた。

 その先に、試験用の電動ポンプがある。

 いきなり深い坑道へ入れるのではない。

 浅い試験区画に水槽を設け、汲み上げる高さと、水量を変えながら、巻線の温度や絶縁の状態を確かめる。

「これだけ準備して、まだ山の水を出さないのか」

 坑夫が言った。

「ここで止まる理由を見つけてから、下ろします」

 星司は答えた。

「下で見つけると、直しに行く方も大変ですから」

 サラは、脇に置かれた小型の鐘を見た。

「この紐は?」

「水位が上がると浮きが持ち上がって、鐘へ知らせる。電気が止まっても使える」

「機械が止まったことを、別の機械に教えさせるのですね」

「できれば、人が見回る前にも分かるように」

 サラは頷いた。

 それから、水槽の横へしゃがんだ。

「では、私の術も別に記録してください。ポンプが回っていると、地面へ返る響きが変わります」

 星司は記録係を呼んだ。

 機械の測定値と、術者が感じた変化。

 同じ欄へ混ぜず、時刻を揃えて残すことにした。

     

 最初の停止は、昼前に起きた。

 ポンプの音が鈍くなり、水の勢いが落ちた。

 電流を示す針が、いつもより大きく振れた。

「止める!」

 星司が声を上げた。

 電源を切り、回転が収まるのを待つ。

 吸い込み口の網へ、細かな木屑が集まっていた。

 坑道の水には、泥だけでなく、支柱を削った屑も流れてくる。

 試験用の綺麗な水だけでは、分からなかったことだった。

「網を細かくすれば、もっと詰まる」

 星司が呟いた。

「二つに分けては」

 サラが言った。

「片方を掃除する間、もう片方へ流す。集落の取水口も、葉が多い季節はそうします」

 星司は立ち上がり、図面を持ってきた。

「この大きさなら、切り替える弁も作れる」

「私の名前も書いてください」

 彼は顔を上げた。

 サラは、からかっていなかった。

「もちろん」

 星司は、余白へ提案者の名を書いた。

     

 夕方、星司は集落の家へ招かれた。

 サラの祖母は、彼の顔を見るなり言った。

「お兄さんの歯は、大丈夫なのかね」

 サラが目を閉じた。

「だから、違うって」

「柔らかいパンを送ったのは、悪かったかい」

「とても喜んでいました」

 星司が答えると、老女は満足そうに鍋の蓋を取った。

 根菜と肉の煮込みから、湯気が上がった。

 壁には、ベイルの短い剣が掛かっていた。

 星司の視線に気づくと、老女が言った。

「最後まで、自分で研いでいたよ。もう庭へ出るのも難しくなっていたのに」

「僕も、持たせてもらったことがあります」

「重かったろう」

「両手でも、すぐ疲れました」

「本人は、人の子に持たせるなら木の剣にしろと、私に叱られた」

 星司は笑った。

 記憶の中の護衛長は、いつでも正しく、何でも知っていた。

 その人にも、家へ帰れば叱られる相手がいた。

     

「ラグエル公爵が亡くなったあとも、祖父はお屋敷へ通ったそうですね」

 サラが言った。

 祖母は頷いた。

「守る人が、まだいたからね。アリステリア様も、黎明様も。けれど、山の話で役人と揉めた日は、機嫌が悪かった」

「公爵を恨んでいたのですか」

 星司が尋ねると、老女は首を振った。

「好きだったんだよ。好きな人が残した契約だから、直したいと言いにくかった。それが、余計に腹立たしかったんだろうね」

 鍋から、柔らかく煮えた肉が取り分けられた。

「恩がある者は、いつまで黙っていればいいのか。あの人は、何度もそう言っていたよ」

 星司は匙を持ったまま、しばらく動かなかった。

 ベイルの忠義は、疑わなかったことの名ではなかった。

 疑い、腹を立て、それでも仕え続けた年月があった。

「その話を、記録に残してもいいですか」

「立派な言葉に直さなければね」

 老女は答えた。

「うちの人は、そんなに物分かりのいい男じゃなかったから」

     

 星司が山で煮込みを食べていたころ、帝都では別の食卓が設けられていた。

 クララから、音楽会の前に少しだけ会えないかという手紙が届いたのは、その朝だった。

 暁人は断るつもりで予定を見た。

 空いている時間を見つけ、そこへ彼女の名を書いた。

 待ち合わせた茶館で、クララは新聞を持っていた。

「読みました」

「厳しい記事でしたね」

「そうでしょうか」

 彼女は紙面へ目を落とした。

「あなたが、柊の不備も認めたところが載っていました」

「認めれば、責任が軽くなるわけではありません」

「でも、私なら、言いたくないと思います」

 クララは新聞を畳んだ。

「父は、この記者は商売を知らない、と言っていました」

「なぜ?」

「不安を広げれば、困る会社が増えると」

「それは、間違いではない」

「では、書かない方がよかった?」

 暁人は窓の外を見た。

 鉄道会社の窓口へ、荷の問い合わせに来た商人たちが並んでいた。

「……書かれないままでも、不安は消えません」

 クララは静かに頷いた。

「私も、そう思いました」

     

 音楽会の開演が近づき、クララが立ち上がった。

「今日は、来てくださってありがとう」

「こちらこそ」

「今度は、新聞を持たずに会いたいです」

 言ってから、彼女は少し頬を赤くした。

 暁人は、その顔を見つめた。

 父親の商売を知るためなら、聞くべきことは幾つもある。

 誰が家を訪れたか。

 倉庫の主任の名を知っているか。

 事故のあと、父が何をしていたか。

 そのどれも、今なら、何気ない話として尋ねられそうだった。

 暁人は口を開いた。

「では、次は庭園へ。母が、今の季節の花がいいと言っていました」

 クララが微笑んだ。

「あなたは、花に詳しいのですか」

「ほとんど分かりません」

「では、私も本を持っていきます」

 彼女を見送ったあと、暁人は椅子へ戻った。

 今日は、何も聞かなかった。

 それで安心しようとした。

 しかし、次に会えることが嬉しい気持ちと、相手の家へ近づけるという考えは、もう簡単には分かれなかった。

     

 夜、エルンストから商会へ使いが来た。

 返事を急ぐものではないという。

 封筒の中には、港湾倉庫へ出資する案が入っていた。

 柊の鉄道が運び、ヴァルデックの倉庫が受け入れ、両家に関係する銀行が荷主へ融資する。

 表向きは、停滞した貨物を動かすための共同事業だった。

 添え状の最後に、こうあった。

 ――娘が、久しぶりに楽しそうに帰宅しました。家同士の事情だけで、若い者の交際を妨げるつもりはありません。

 暁人は、その一文から目を離せなかった。

 会計主任が、机の向こうで待っていた。

「いかがなさいますか」

「事業案は、明日、皆で検討する」

「添え状へのお返事は?」

「僕が書く」

 一人になってから、暁人はクララの手紙を出した。

 丸みのある字が、行の終わりで少しだけ上へ登っていた。

 彼は指先で紙の端を押さえた。

 エルンストも気づいている。

 自分が娘へ近づいていることに。

 そして、それを退ける代わりに、道を開こうとしている。

 暁人は新しい紙を置いた。

 断れば、クララからも遠ざかる。

 受ければ、金と人が、これまで入れなかった場所へ届く。

 彼はまだ、それを結婚という言葉では考えなかった。

 ただ、返事を書く前に、共同事業で得られる金額をもう一度確かめた。


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