↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/126

第四十九章 焼け残った頁 誰が橋を壊したのか


 川から引き上げた部材には、泥と赤い錆がついていた。


 星司は、その場で磨かせなかった。


「まず、見つかった場所と向きを記録してください。表面を削ると、調べたい跡まで消えることがあります」


 作業員は、布を持った手を止めた。


 部材の両端へ札を結び、絵と寸法を残す。


 どの客車の下にあったか。


 橋のどの部分から外れたと考えられるか。


 まだ分からないものは、分からないと書いた。


 対岸では、遺族へ返す荷物が並べられていた。


 濡れた鞄。


 片方だけの靴。


 形の崩れた菓子箱。


 星司は、それを見てから、もう一度、鉄へ眼を戻した。


     


 救助と捜索は、何日も続いた。


 橋の近くの学校が、家族を待つ場所になった。


 灯花は、知らせを受けた人々の名前を確認していた。


 同じ姓の者がいる。


 乗車券の名と、家で呼ばれる名が違う者もいる。


 遠くから来た家族には、帝国の言葉が十分に通じない。


 母の医療院から来た者たちと、大学の通訳が交代で話を聞いた。


 ある女が、机へ小さな服を置いた。


「これを着ていました」


 灯花は服を見た。


「何歳ですか」


「七つです」


 そのあとに尋ねる言葉が、すぐには出なかった。


 女は、服の袖を撫でた。


「名前を、もう一度言った方がいいですか」


 灯花は頷き、筆を取った。


 その名を、間違えずに残したかった。


     


 事故から六日後、黎明は現場へ来た。


 ミーナが同行し、歩く距離を短くするよう何度も確かめた。


 彼は、川岸から壊れた橋を見た。


 橋の前後には、線路が残っている。


 向こう側の駅も、倉庫も、いつもと同じ場所にある。


 その間だけが、なくなっていた。


「ここを、何度も渡った」


 黎明が言った。


 星司は頷いた。


「補強のあとも、試験列車を通しました」


「試験では、異常がなかった?」


「その記録になっています。ただ、記録どおりの部材が入っていたかを、今、確かめています」


 父は息子を見た。


「そこに、違いがある?」


「一つではありません」


     


 回収した部材を保管する小屋には、オスカー・リンデがいた。


 橋を最初に設計した技師だった。


 老いて背が曲がり、耳も遠くなっていたが、図面を読むときの指は確かだった。


 最近の補強工事には、助言者として関わっていた。


 日々の施工と検査は、別の技師たちが担当していた。


「私の橋だから、私が正しかったとは言えません」


 彼は黎明へ言った。


「古い図面も、最近の計算も、ほかの者に見直してもらっています」


 卓上には、帝国の調査委員会へ渡す書類が並んでいた。


 柊家だけで調べれば、自分たちに都合のよい結論へ向かうと思われる。


 黎明が退いたあとの政府も、別の大学と技師を調査へ加えていた。


 星司は家の技術者として、現場の情報を提供する。


 判断する側と、調べられる側を同じにしない。


 父が長く求めてきた手順だった。


     


 オスカーは、細長い部材を指した。


 橋を斜めに結び、引っ張る力を受けるものだった。


 その端に、柊の工場の番号が打たれている。


「番号は、出荷表と合っています」


 星司が説明した。


「でも、端の形が違います。工場の図面では、接続するピンの穴の周りを、もっと広く取っている」


 黎明は、図面と鉄を見比べた。


「削れた?」


「錆と、事故で傷んだ部分はあります。ただ、それだけでは説明できません。穴を開けた位置にも違いがあります」


 星司は、次の紙を置いた。


 試験片を調べた結果だった。


「この部材の材料も、記録されている試験結果と合いません。工場で保管していた同じ製造組の試料とは、性質が違います」


「では、替えられた?」


「その疑いがあります」


 息子は言った。


「ただ、工場から出たあととは、まだ断定できません。工場内で取り違えた可能性も、偽の番号を打った可能性も、調べなければなりません」


     


 黎明は、部材の番号へ眼を近づけた。


 同じ数字が、父の残した試験表にもあった。


 数字が同じなら、同じものだと思っていた。


 その数字を、別の鉄へ打つ者がいるかもしれない。


「合格した部材そのものは、どこにある」


 彼が尋ねた。


「今、それを探しています」


 オスカーが答えた。


「橋に使われなかったのなら、倉庫へ残ったか、別の仕事へ出されたか、売られたかもしれません」


「橋を落とすために?」


 暁人が、小屋の入口から尋ねた。


 星司は兄へ向き直った。


「粗悪なものへ替えて、差額を取った可能性もある。事故を起こす意図があったかは、別に確かめないと」


 暁人は、破断した鉄を見た。


「どちらでも、人が死んだ」


「うん」


 星司は否定しなかった。


「だから、理由を急いで一つにしないようにしている」


     


 柊家の事務所へは、賠償と返済の書類が届いた。


 橋が落ちれば、列車は止まる。


 貨物は、別の道へ回される。


 運賃の収入が減っても、従業員の賃金と借入金の利息は残る。


 保険会社は事故原因の確定を待つと答えた。


 銀行は、追加の担保を求めた。


 暁人は、机へ届く紙を一枚ずつ分けた。


 事故の被害へ支払うもの。


 事業を続けるために必要なもの。


 調査を待たず、今すぐ返事を求めるもの。


 ヴァルデック商会からも、支援の申し出が来ていた。


 資金を出す代わりに、運航会社と鉄道事業の持分を増やしたいという。


 父が若いころから、何度も交渉した相手だった。


 暁人は、その条件を長く読んだ。


     


「今なら、安く買えるということだ」


 彼は、家族の会議で言った。


 黎明は契約案を見た。


「商会にも、損をする危険はある」


「分かっています。だから、金を出す者が全部悪いとは言いません」


 長男は答えた。


「でも、橋を補強した部材を運んだ会社にも、同じ商会が関わっている。調べている相手の資金へ、もっと頼ることになります」


 星司が、輸送記録を置いた。


「そこは、僕も気になっている」


 港での受領書はある。


 川船へ積み替えたときの表もある。


 しかし、仮置き倉庫での搬入と搬出を記した帳簿だけが、まだ提出されていなかった。


「担当者が変わり、保管場所を探していると言われました」


 星司は言った。


「同じ返事が、三日続いています」


     


 ミーナが、会議の終わりに尋ねた。


「遺族への支払いは、止まりませんね」


 暁人は、別の紙を母へ渡した。


「当面の生活費と葬儀の費用は、原因の確定を待たずに出します。最終的な賠償とは分けて記録します」


「家の責任を、認めたことにはならない?」


 黎明が尋ねた。


「その点は、法律家にも確認しました。ただ、どれほど言葉を整えても、受け取った方がどう思うかは、こちらで決められません」


 灯花が頷いた。


「お金を渡したから、もう話を聞かなくてよいとは、思わないでください」


 暁人は妹を見た。


「窓口は、残す」


 短い返事だった。


 その約束を、彼は守った。


     


 十日後、オスカーから星司へ連絡が来た。


 仮置き倉庫の古い控えを見たという。


 以前から知る書記が、正式な帳簿とは別に、毎日の荷の動きを手元へ書いていた。


 その中に、出荷表と合わない記述がある。


 橋へ向かうはずの部材が、いったん別の荷車へ移されていた。


 工事場へ送った重量と、工場から出た重量にも差があった。


 計量の誤差だけでは、説明しにくい差だった。


「明朝、委員会の書記と一緒に、原本を確かめる」


 オスカーは伝えた。


「こちらへ、持ってきてもらえませんか」


 星司が尋ねると、彼は答えた。


「私が勝手に持ち出すと、あとで経緯を疑われる。倉庫の者の前で確認し、写しを作って、正式に引き取る」


 星司は頷いた。


 正しい手順だった。


     


 その夜、倉庫で火が出た。


 荷役人が気づいたとき、事務室の窓から炎が出ていた。


 風は川へ向かって吹いていた。


 綱と油を置いた場所へ燃え移り、近づけなくなった。


 オスカーは、翌朝の確認に備えて、倉庫の書記と話していた。


 外へ出た姿を見た者がいた。


 しかし、ほかの者を捜して建物の裏へ回ったあと、見つからなかった。


 夜明けに、倒れた庇の下から遺体が発見された。


 机と棚は、焼けていた。


 星司は、火災の知らせを受けたまま、しばらく動かなかった。


 昨夜の声が、まだ耳に残っていた。


     


 暁人は倉庫へ着くと、焼け跡へ入りかけた。


 星司が腕をつかんだ。


「まだ、柱が落ちる」


「帳簿があるかもしれない」


「回収する人がいる。僕たちまで入れば、その人たちを止めることになる」


 兄は、弟の手を振りほどかなかった。


 ただ、入口を見たまま言った。


「調べる前の晩に、燃えた」


「うん」


「偶然だと思うか」


 星司は、焦げた梁を見た。


「僕には、まだ分からない」


 暁人は顔を向けた。


「その返事を、いつまで続ける」


 弟は、少し声を強めた。


「分からないのに、分かったと言うまで待てというなら、僕にはできない」


 二人は黙った。


 近くで、水を運ぶ桶の音がした。


     


 火災の調査は、橋の調査とは別に始まった。


 出火場所は、事務室付近と見られた。


 原因は未確定。


 オスカーがなぜ裏へ回ったか、証言は一致しなかった。


 帳簿を持ち出した者がいたという話もあったが、確かめられていない。


 星司は、橋と火災の記録を分けて書いた。


 同じ事件かもしれない。


 しかし、一つにしてしまえば、別々に確かめるべきことまで同じ結論へ引かれる。


 書く手が、ときどき止まった。


 オスカーの名を、技師の一覧から死者の一覧へ移すとき、長く止まった。


     


 回収された紙は、三つの箱に分けて運ばれてきた。


 濡れていた。


 触れば崩れそうな端があった。


 大学の記録を扱う者が、急いで開くなと言った。


 乾かし方を確かめ、一枚ずつ支えながら広げる。


 そこへ、オスカーの筆跡が現れた。


 完全な文章ではない。


 部材の番号。


 倉庫へ入った日。


 別の場所へ出た日。


 そして、短い覚え書き。


 ――受領表と合わず。原帳簿で確認。


 星司は、それを見つめた。


 大学に残る試験記録。


 工場の出荷表。


 焼け残った倉庫の控え。


 それぞれを並べると、一つの部材に、両立しない動きが記されていた。


 同じ日に、橋の工事場へ届き、別の製作所でも受け取られている。


 どちらかが、同じものではなかった。


     


 黎明へ知らせるため、兄弟は帰った。


 父は書斎ではなく、寝室で待っていた。


 数日前から疲れが強くなり、ミーナが医師へ相談していた。


「紙は、読める」


 黎明が言った。


「今日は、説明を先にします」


 星司は椅子を寄せた。


 部材の形と材料が違うこと。


 番号が重複していること。


 倉庫で確かめる前に、火災が起きたこと。


 オスカーが亡くなったこと。


 父は、最後まで聞いた。


     


「どこまで、確かだ」


 黎明が尋ねた。


「回収した一部の部材が、工場に残る試料と一致しないこと。輸送の控えに矛盾があること。オスカーさんが原帳簿を確かめようとしていたことです」


 星司は答えた。


「誰が替えたか。工場のどこから違いが始まったか。橋を落とすつもりだったか。それは、まだ確かではありません」


 父は頷いた。


 暁人は、寝台の足元に立っていた。


「ヴァルデックの資金を受ける前に、決めたい」


「受けなくても、払う金はある」


 黎明が言った。


「分かっています。だから、別の資金も探しています」


 長男は、父を見た。


「でも、僕たちが弱っている間に、誰かが記録を消しているかもしれない」


 その声には、疲れよりも怒りがあった。


     


「消させないために、何ができる」


 黎明が尋ねた。


 暁人は答えた。


「現物と写しを、別の場所へ置く。持ち出した者と、受け取った者を記録する。委員会と大学へ、同じものを渡す」


「それを、進めてほしい」


 父は言った。


「家の外にも、残すんだ」


 暁人は、少し不満そうだった。


「こちらに不利な部分まで、読まれる」


「不利なことがあったなら、それも調べる」


 黎明は息を整えた。


「家の名を守るために、事故を小さくしてはいけない」


「事故が、誰かに作られたものでも?」


「その場合もだ。橋の事故に誰かの犯罪があっても、僕たちが見落としたことまで消えるわけではない」


 長男は、すぐには返事をしなかった。


     


 その晩、ミーナは寝台の脇で、夫へ湯を渡した。


 黎明は、両手で杯を持った。


「オスカーに、もう一度聞きたかった」


「星司も、そう思っています」


「昔、橋の模型を見せてくれた。子どもたちへ、丁寧に説明した」


 ミーナは頷いた。


「覚えています」


 夫は杯を返した。


「人が死んだあとに、残った紙を読む仕事ばかりだ」


 彼女は、その手を取った。


「紙だけではありません。教わった人も、残っています」


 黎明は眼を閉じた。


 しばらくして、頷いた。


     


 暁人は、父の書斎へ戻った。


 大学へ渡す写しの束。


 工場へ送る質問。


 資金の返済日。


 その横に、焼け残った頁の写真があった。


 焦げた余白の端に、短い印が見える。


 倉庫の費用を、どの勘定へつけたかを示す記号だった。


 暁人は、金融の帳簿を開いた。


 同じ記号が、運送会社への支払いにある。


 支払元には、ヴァルデック商会の関連会社が記されていた。


 それだけで、犯罪の証拠にはならない。


 昔から取引があった。


 正当な費用かもしれない。


 彼は、そう書き添えた。


 それから、余白へ次の質問を書いた。


 ――この支払いは、何を運ぶためだったのか。


     


 星司が部屋へ来ると、兄は帳簿を隠さなかった。


「ここを、見てほしい」


 弟は椅子へ座った。


 互いに、倉庫で言ったことを謝る言葉は出なかった。


 それでも、同じ紙を読んだ。


「次は、支払いを受けた会社へ聞く」


 暁人が言った。


「聞く前に、今ある帳簿を委員会へ預けよう」


 星司が答えた。


 兄は、少し考えて頷いた。


 廊下の向こうでは、母が父の部屋の灯りを落としていた。


 二人は声を低くし、焼け残った数字を一つずつ書き写した。


 紙の焦げた端には、もう読めない名前があった。


 その名前を、誰が知っているのか。


 次の頁は、まだ見つかっていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。