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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第四十二章 柊の印  つながる道と、ほどけない糸



 電信の最初の仕事は、列車を走らせることではなかった。


 走らせないことだった。


 大学から試験線の停車場へ線を延ばして、一年が過ぎていた。


 その朝、北の鉱山から来る貨物列車は、途中の駅で止まったままになっていた。


 前の列車が、次の駅へ着いていない。


 予定の時刻は過ぎている。


 駅員は窓の外を見た。


 線路は、静かだった。


「昨日も、遅れました」


 機関士が言った。


「曲がり角の先まで進めば、見えるでしょう」


 若い通信係は、卓上の符号表へ指を置いた。


「到着の確認が来るまで、出せません」


「線が切れたのかもしれん」


「その場合も、確認する手順があります」


 機関士は帽子を脱いだ。


 釜の中では、火が燃えている。


 待つ間にも、石炭は減った。


     


 知らせが来たのは、四十分後だった。


 先行列車の貨車が、軸受の焼きつきで止まっていた。


 乗員が荷を下ろし、壊れた車輪を動かそうとしている。


 駅の線路は、まだ空いていない。


 通信係は受け取った符号を紙へ書き、読み直した。


 機関士が、その肩越しに見た。


 少しして、帽子をかぶった。


「出さなくて、よかったな」


 若者は頷いた。


 その手が震えていることに、返事をしたあとで気づいた。


     


 黎明が報告を読んだのは、その日の午後だった。


 石炭の入荷が遅れる。


 製鉄所の貯蔵量は、あと何日分か。


 今日の作業を続けられるか。


 役所へ届いた紙は、すぐに工場へ回った。


 工場からは、レールの出荷予定が返ってきた。


 そのレールを待つ工事現場では、人足と資材を別の仕事へ振り向ける。


 電信は、石炭を一袋も運ばなかった。


 しかし、届かない石炭を待つ人たちの一日を変えた。


「よく止めた」


 黎明は、通信係への返書にそう書いた。


 その下へ、質問を加えた。


 遅れた列車を待つ間、誰が何をしていたか。


 確認の取れない場合、実際に使える手順だったか。


 紙の上で決めたことと、駅でできたことを、分けて知りたかった。


     


 製鉄所では、ロットが炉の前に立っていた。


 昔の工房とは、音が違った。


 送風機が唸る。


 熱い鉄を運ぶ台車が、床の継ぎ目を越える。


 圧延機へ入った塊が、赤く長く伸びて出てくる。


 それを受ける者も、次に送る者も、立つ位置が決まっていた。


 黎明が近づくと、ロットは腕を上げた。


「そこから先は、今は入るな」


 宰相の護衛も、足を止めた。


 CHUYUの義体は、廊下の奥で待っていた。膝の部品を長く保たせるため、最近は歩く距離を減らしている。


「炭は、足りる?」


 黎明が尋ねた。


「今日の分はある。だが、届いた炭を全部ここへ使えばいいわけじゃねえ」


 ロットは、壁に掛けた札を指した。


 製鉄用。


 船の燃料。


 工房。


 医療院。


 同じ山から出た石でも、粒の大きさと性質によって、行き先が違う。


「病院の分まで、炉へ入れた?」


「入れてねえ。先に分けてある」


 黎明は頷いた。


 その仕組みを作ったのは自分ではなかった。


 積み出し場で働く者と、港の帳簿をつける者が、医療院から届く注文を読んで決めていた。


     


 昼、工場の食堂へ若い職工が入ってきた。


 大学の夜間課程を終え、今年から圧延機の整備を担当しているという。


 彼は黎明に気づき、立ち止まった。


「座って」


 黎明が言った。


「食事の途中まで、挨拶にしなくていい」


 青年は椅子へ座ったが、背筋は伸びたままだった。


「前は、どこで働いていた?」


「港です。荷を運んでいました」


「大学へ通いながら?」


「はい。眠ってしまう日もありました」


 ロットが笑った。


「今も、昼飯のあとに眠そうだ」


「夜に図面を読んでいるので」


「そこは、少し威張っていい」


 青年の肩が緩んだ。


 黎明は、彼の手を見た。


 古い傷と、新しい油汚れがあった。


 炭鉱から得た利益が学校へ回る。


 学校で学んだ者が、炭鉱と船と工場を動かす。


 会議で何度も説明した循環が、目の前で食事をしていた。


     


 帰り際、青年が言った。


「弟も、来年、学校へ行きたいと言っています」


「何を学びたい?」


「機関です。卒業したら、柊の工場へ入りたいと」


 黎明は、微笑みかけた。


「ほかの工場へ行く道も、あるよ」


 青年は不思議そうな顔をした。


「機関を作るなら、ここが一番でしょう?」


 ロットは誇らしそうだった。


 黎明も、嬉しくないわけではなかった。


 ただ、その言葉を、帰りの馬車でも考えていた。


     


 翌週、帝国の調達会議が開かれた。


 議題は、三つの都市に設ける揚水設備だった。


 川から水を上げ、沈殿させ、貯水槽へ送る。


 水を配る管と、使った水を流す溝は、別に設ける。


 機関を置けば、それだけで清潔な水になるわけではない。


 ミーナの医療院と大学が、土地と水の状態を調べていた。


 製造を申し出た工場は、四つあった。


 そのうち二つは、柊家が出資していた。


 もう一つは、柊の工場から部品を買っていた。


 残る一つは、帝国南部の小さな工房だった。


 代表者は、厚い指で図面を押さえた。


「機関とポンプは作れます。弁の一部は買いますが、手入れは自分たちでできます」


 役人が書類をめくった。


「納品実績がありません」


「この大きさでは、まだありません」


「期限までに納める保証は?」


「材料を先に揃えられれば」


 銀行の証明書が必要だった。


 証明書を得るためには、受注の見込みが必要だった。


 工房の代表は、その二つの紙を並べた。


「どちらから、先に取ればよいのでしょう」


     


 黎明は、見積書を読んだ。


 柊の工場が最も早く納められる。


 価格も、ほかより安い。


 部品の在庫があり、運ぶ鉄道があり、修理する者がいる。


 工場の担当者は、事実だけを説明した。


「我々なら、冬の前に動かせます」


 南部の代表が、椅子を引いた。


「それは、承知しています」


 怒鳴るわけではなかった。


 その静かな声が、黎明には残った。


「こちらは、鉄を買うところから始める。融資を待っている間にも、値段が変わる。港で荷を待つ。こちらの順番が来るまで、機関を作れない」


 彼は、柊の工場の見積書を見た。


「競争しているのは、機関の良し悪しだけではありません」


 黎明は紙を置いた。


     

 会議では、黎明は発注先の採決から退いた。


 以前に決めた手順だった。


 別の委員が審査し、柊の工場へ発注することになった。


 不正は見つからなかった。


 条件に最も合ったものが選ばれた。


 それでも、廊下で南部の代表とすれ違ったとき、黎明は足を止めた。


「今回の資料は、残してください」


 男は、図面の筒を抱え直した。


「次の機会を、という意味ですか」


「それもあります」


「次にも、実績を求められます」


 黎明は、返事を探した。


 男は一礼した。


「機関を作る場所が増えることを、お望みだと聞いていました」


「望んでいます」


「では、買う側も、少しずつ変わってください」


 彼は去った。


 黎明は、その背を見送った。


     


 銀行の会議室には、柊の印があった。


 設立に資金を出した者の一覧にも、柊家の名があった。


 黎明は、南部の工房が融資を断られた理由を尋ねた。


「担保が足りません」


 頭取は答えた。


「柊の工場には、何を担保に?」


「土地、設備、受注。それから、継続した取引の記録です」


「小さな工房が、その記録を持つには?」


「仕事を続けていただくことです」


「仕事を得るために、融資が要る」


 頭取は黙った。


 窓の外には、倉庫が並んでいた。


 その倉庫へ入る荷にも、柊の印がある。


 黎明は、自分が作ろうとした公平さが、入口に立つ者へ届いていないことを知った。


     


 夕方、医療院へ行くと、ミーナは洗濯場にいた。


 湯気が立っていた。


 女たちが、洗った布を順に運んでいる。


 炉の燃料は、港から届く石炭だった。


「今日は、少し早いですね」


 ミーナが言った。


「話したいことがある」


 彼女は手を拭き、隣の小部屋へ案内した。


 黎明は、調達会議と銀行の話をした。


 ミーナは途中で口を挟まなかった。


「僕が採決しなくても、柊の工場が選ばれた」


「よい機関を作れるのでしょう」


「そうだと思う」


「それなら、選ばれたことを、恥じる必要はありません」


 黎明は彼女を見た。


 ミーナは続けた。


「でも、ほかの人が作れるようになる道は、別に考えないといけませんね」


「機関を買う予算で、工房を育てる?」


「すべてを一度に買わず、試せる部分を分けることはできませんか」


 彼は、南部の工房の図面を思い出した。


 大きな揚水機関は、まだ納めたことがない。


 小さなポンプと弁は、作っている。


 それまで実績がなかったのではない。


 今回の条件が、その実績を数えていなかった。


     


「病院が、試す場所になれますか」


 黎明が尋ねた。


「患者さんに関わる設備なら、簡単には言えません」


 ミーナは答えた。


「ただ、予備の水槽へ送る小さなポンプなら、止まっても困らない方法を考えられます」


「頼める?」


「会議へ案を出してください。私が、あなたの奥さんだから引き受けたことにはしたくありません」


 黎明は笑った。


「厳しい」


「お互いに、あとで困ります」


 彼女も笑った。


 それから、夫の額へ手を置いた。


「熱は、ありませんね」


「患者みたいに見えた?」


「少し。難しいことを、全部一人で直そうとしている顔です」


 黎明は、その手を取った。


 石炭の炉が、隣の部屋で小さく鳴っていた。


     


 夜、父の研究室へ行った。


 空一郎は、古い転送記録を開いていた。


 線は、今も途中で分かれたままだった。


 黎明が入ると、父は表示を閉じた。


「何か、進んだ?」


 息子が尋ねた。


「計測の方法を一つ変えた。結果が変わった理由は、まだ分からない」


 空一郎は笑った。


「そちらは?」


「変わらない理由が、少し分かった」


 黎明は、工場と銀行と学校の話をした。


 父は、机の隅から紙を出した。


 炭鉱。


 製鉄所。


 機関工場。


 鉄道。


 銀行。


 大学。


 医療院。


 それぞれの間を、線で結んだ。


「便利なつながりだ」


 空一郎が言った。


「一つが止まっても、助けられる」


「でも、全部が同じ家へ寄っている」


「うん」


 父は、線の集まる場所へ「柊」と書いた。


 黎明はその文字を見た。


「国が豊かになるほど、僕たちを外せなくなる」


 空一郎は、すぐには答えなかった。


     


「もっと早く、分けておけばよかったのかな」


 黎明が言った。


「最初から全部を分けたら、動かなかった仕事もある」


 父は答えた。


「僕の機材を使える人が少なかった。出資してくれる人も、少なかった」


「では、今は?」


「今は、増えてきた」


 空一郎は、南部の工房の名前を紙へ加えた。


「その人たちが、次の線を引けるようにしたい」


「柊の印が、なくても?」


「君が、そう言った」


 黎明は頷いた。


 望んだことを、実際に行う番だった。


     


 机の上に、息子が持ってきた調達書類があった。


 空一郎は、一枚を手に取った。


 融資の保証を申し出た商会の名が記されていた。


 ヴァルデック商会。


「この家は、長く関わっている」


「北の採掘へ出資した家です」


 黎明が答えた。


「今回も、柊の工場への融資をまとめました」


 空一郎は、その名前を見た。


 敵だと決める理由はなかった。


 資金がなければ、出せなかった船がある。


 払えなかった賃金もある。


「助けてもらったことも、残そう」


 父は言った。


「求められた条件も、一緒に」


 黎明は書類を受け取った。


     


 次の調達会議へ、小さな試験発注の案が出された。


 大きな設備とは別に、補助ポンプと交換弁を複数の工房から買う。


 寸法の基準を公開する。


 試験の費用を予算へ入れる。


 採用されなかった理由も、製造者へ返す。


 柊の工場の担当者は、しばらく黙っていた。


「我々が、苦労して揃えた寸法です」


「その仕事への対価は、払います」


 黎明が答えた。


「ただ、帝国が使う部品を、帝国のほかの場所でも作れるようにしたい」


「注文が、減ります」


「減るものもあるでしょう」


 自分の家の利益へ、初めてはっきり不利な条件をつけた。


 家業を預かる者たちの不満は、もっともだった。


 公正な制度を作れば、皆が喜ぶ。


 そういう話ではなかった。


     


 南部の工房から届いた最初の弁は、三つのうち一つが試験に通らなかった。


 紙には、不合格とだけ書かなかった。


 どこで漏れたか。


 どの寸法が合わなかったか。


 測った数値を添えた。


 工房の代表は、その紙を読んでから、弁を持ち帰った。


「直して、また来ます」


 今度は、次の機会を待つだけの声ではなかった。


     


 そのころ、黎明の家では、長男の暁人が木の列車を床へ並べていた。


 次男の星司は、外れた車輪を掌に載せている。


「取るなよ」


 暁人が言った。


「取れたんだ」


「壊したんだろ」


「見てるだけ」


 黎明は、戸口で笑った。


 空一郎の兄たちも、そんなふうに言い合ったのだろうか。


 暁人が玩具を持ち上げた。


 側面には、柊の印があった。


「これは、うちの?」


「そうだよ」


「線路も?」


「玩具の線路はね」


「本物は?」


 黎明は、少し考えた。


「うちが作ったものもある。でも、皆が使う道だ」


 暁人は頷いた。


 分かったのか、まだ分からない。


 星司は、車輪を軸へ戻そうとしていた。


 黎明は二人の間へ座り、細い棒を手渡した。


     


 深夜、書斎へ戻ると、銀行から返書が来ていた。


 小規模工房への融資制度を検討する。


 ただし、その間の保証を、柊家へ求めたい。


 黎明は、紙を読み直した。


 柊家がなくても仕事を始められるようにする。


 そのために、まず柊家の保証が要る。


 窓の外で、遅い貨物列車が汽笛を鳴らした。


 炭が運ばれる。


 炉が動く。


 鉄が延ばされる。


 病院では湯が沸き、大学では明日の授業が待っている。


 黎明は返書の隣へ、父と描いた図を置いた。


 線の中心には、柊の字があった。


 それを消せば、今夜止まる仕事がある。


 消さずに残せば、いつか、その字を持つ者が、すべてを自分のものと思うかもしれない。


 彼は新しい紙を引き寄せた。


 保証の期限。


 公開する帳簿。


 次に保証を引き受ける者。


 夜が明けるまでに、決めきれる仕事ではなかった。


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