第三十五章 石炭の宴 未来を語る夜
港へ戻った艀の石炭は、まず秤に載せられた。
次に、帳簿へ入った。
祝いは、そのあとだった。
「順番が悪い」
ロットが言った。
「秤を先に使わないと、祝いの席で炭を売る奴がいる」
エミルが答えた。
「誰だよ」
「お前は、もう鍛冶屋へ一袋渡そうとした」
「あれは試料だ」
「なら、試料と書く」
ロットは、渋々筆を取った。
採掘量だけでは、儲けは分からなかった。
掘るための賃金。
支保の木。
道の補修。
船の燃料。
荷を運ぶ時間。
雨で止めた日。
エミルはすべてを並べた。
代理人は、最後の数字を見て溜息をついた。
「想定より、利益が薄い」
「最初に道を作った費用も入っています」
黎明が言った。
「次の便では減るものと、毎回かかるものを分けましょう」
「価格を上げれば、済む話では」
「工房が買えなければ、船も釜も止まります」
代理人は、彼を見た。
「若君は、商売をなさるのか、慈善をなさるのか」
黎明は返事を考えた。
「次の便を出せる商売にしたいのです」
それ以上、綺麗な言葉は足さなかった。
宴は、港の倉庫前で開かれた。
焚き火は石炭の山から離し、風下にも荷を置かなかった。
大学から教師と学生が来た。
医療院からは、夜の勤務を残した者以外が順に顔を出した。
採掘班のためには、山へ持っていく酒と食料も用意した。
「帰ってきた奴だけで、飲むわけにはいかねえ」
ジルが言った。
彼は山へ残った警戒班の名を読み上げた。
皆が杯を上げた。
「乾杯!」
フランが立ち上がった。
「俺たちの船が、石炭を運んだ!」
「川を上って、だ」
ゼペットが訂正した。
「山の上へ船は行かん」
「分かってるよ、爺さん!」
笑いが広がった。
ロットは杯を掲げた。
「次は、船をもう一隻だ。止まったとき、代わりが要る」
「その前に、替えの部品」
エミルが言った。
「木の歯、軸受、弁の詰め物。川岸の工房へ置いておきたい」
「先に作る船の話をしろよ」
「作った船を使う話だ」
黎明は笑った。
前は、三人とももっと大きなものを作る話ばかりしていた。
今は、壊れたものを戻す話にも熱くなれる。
ティオは、木の軌道の図を広げた。
「山から報告が来た。台車は良いそうだ」
「木が減る」
フランが言った。
「車輪が通るところに鉄を張っても、下が傷む。水も抜かないといけない」
「全部、鉄にすれば?」
黎明が尋ねる。
ロットは口を拭った。
「長い鉄を、同じ形で大量に作ることになる。鍛冶屋を十軒並べれば済む仕事じゃねえ」
空一郎が、図の上へ二本の指を置いた。
「車輪を、この間隔から外れないようにする。通る面を揃える。そうすれば、車輪を回す力で荷を運べる」
「馬で曳く?」
「最初は、それでもいい」
「その次は、蒸気か」
エミルが顔を上げた。
空一郎は頷いた。
「鉄道、と呼んでいた」
新しい言葉を、ティオが帳面へ書いた。
「釜を積んだ車が、鉄の上を走る」
ロットは考え込んだ。
「車輪が滑らないか。歯をつけるのか」
「勾配や重さによる。歯を使う仕組みもある。ただ、普通の車輪でも、十分に荷重がかかれば引ける」
「重くしたいのか、軽くしたいのか、どっちだ」
「場所によって、欲しい重さが違う」
エミルが答えた。
「だから計る」
フランは、空一郎へ身を寄せた。
「線路の曲がり角は?」
「船ほど、急には曲がれない」
「橋は?」
「車と荷の重さを受けるものが要る」
「結局、道から作るんだな」
黎明は、山で泥へ沈んだ車輪を思い出した。
「うん。今回と同じだ」
ジルが杯を置いた。
「軍にも使える。兵も、砲も、早く運べる」
笑い声が少し遠くなった。
「船もな。風がなくても進むなら、敵が帆を畳んで待っている間に近づける」
黎明は焚き火を見た。
蒸気船を動かした自分の札が、別の場所では攻撃の命令になる。
「使うことには、なると思う」
彼は言った。
ジルが頷きかけたとき、黎明は続けた。
「だから、軍へ売る契約も、別に考えたい」
「何を?」
「運ぶもの。運ぶ先。誰の命令で使うのか」
「敵は、そんなことを考えないかもしれない」
「僕たちまで考えなくていい理由には、したくない」
ジルは、すぐには答えなかった。
やがて杯を持ち直した。
「難しいことを言う」
「僕も、全部は決められていない」
黎明は答えた。
「だから、ここで話してる」
ミーナは、輪の少し外で助産師たちと食事をしていた。
黎明が隣へ座ると、彼女は皿を寄せた。
「皆の将来の話は、終わりました?」
「終わらない」
「では、病院の話も一つ」
彼は背筋を伸ばした。
「湯沸かし場へ燃料を回してほしいです。洗う布が増えました」
「石炭を?」
「煙の出る場所は、病室から離して。薪のままの方がよい作業も、あるでしょう?」
黎明は頷いた。
遠い未来を話して戻ると、目の前には洗う布がある。
それを面倒だとは、もう思わなかった。
「明日、炉の場所を見よう」
「明後日にしてください」
「どうして?」
「明日は、あなたも休む日です」
黎明は彼女を見た。
「君も?」
「半日だけ」
「それなら、半日は一緒に」
ミーナは、焚き火へ眼を戻した。
頬に映る赤さが、火のせいだけではないように見えた。
夜が更けると、ロットが黎明へ尋ねた。
「結局、お前は何をしたい」
「今夜?」
「この石炭で、だ」
黎明は、倉庫の屋根を見た。
その下には、次の便までの燃料がある。
「冬に、工房を止めたくない。病院の湯を切らしたくない。船が故障しても、山で働く人の賃金を払えるようにしたい」
「ずいぶん、細かいな」
「細かいところが止まると、大きいものも止まる」
ロットは笑った。
「昔は、お前が一番大きなことを言ってた」
「今も言うよ」
「何だ」
「僕がいなくても、次の船が出るようにしたい」
ロットの笑いが止まった。
少しして、彼は杯を掲げた。
「それは、大きい」
宴の終わりに、ラグエルが黎明を呼んだ。
倉庫の柱に、新しい荷札が掛かっていた。
柊の葉と、旧き言葉で書かれた「柊」の字。
船、炭鉱、工房を通じて使う印だった。
「人は、この印へ金を預け始めている」
公爵が言った。
「父さんを信じているからです」
「今はな」
老人は荷札へ触れた。
「いずれ、父を知らない者も、この印だけを見て金を出す」
黎明は黙って聞いた。
「そのとき、印を持つ者は、何をしてよいと思うだろう」
焚き火の向こうで、仲間たちが笑っていた。
黎明は、父から渡された三つの言葉を思い出した。
働く者の記録を消さないこと。
争いを終わらせる道を、始める前に考えること。
都合の悪い結果まで残すこと。
「決まりを、印と一緒に残します」
ラグエルは頷いた。
「残すことと、守られることは違う。それも覚えておけ」
翌朝、宴の片づけが終わる前に、次の採掘契約を求める使者が三人来た。




