第三十二章 蒸気機関の完成 川へ向かう歯車
「馬車へ載せるには、まだ重い」
フランが言った。
作業台の模型には、機関よりも大きな釜が載っていた。
水。
燃料。
機関そのものの重さ。
それらを積んで街道の穴へ落ちれば、車軸より先に配管が傷みそうだった。
「小さくすれば、いいんだろ」
ロットが言う。
「小さくしても、同じ力を出すなら、圧を上げたくなる」
エミルは釜の継ぎ目を指した。
「今の鉄板と鋲で、どこまで持つ?」
ロットは黙った。
自分が打った板だから、答えをごまかせなかった。
黎明は模型を見た。
「船なら?」
三人が、顔を上げた。
船大工ゼペットは、技術棟へ来ると、機関を一周した。
「船を沈めるには、ずいぶん手の込んだ重りだな」
ロットが顔をしかめた。
「動くんだぞ」
「岸に置けば、よく見える」
老人はしゃがみ、据え付けの足を叩いた。
「こいつを、船底の板へ直接留めるつもりか」
「違うのか」
「違う。力を受ける梁を入れる。船は、川の上で曲がる。機械は、それに合わせて曲がってくれん」
フランはすぐに紙を取った。
船の中央へ補強した機関台を置き、釜の下には不燃の敷きものと空気の隙間を設ける。
重いものは低く置く。
ただし、船底へ寄せすぎれば、点検する場所がなくなる。
図面の線が増えるたび、船内の空間が減った。
「人が寝るところは?」
黎明が尋ねた。
ゼペットは彼を見た。
「後から聞いてくれて、助かった。最初なら、もっと小さな釜を描かせていた」
試作船は、二隻造ることになった。
小型船には一基の機関。
中型船には、左右の外輪へ一基ずつ。
小型船は一本の軸で両側の外輪を回し、通常の舵で曲がる。
中型船は左右の動力を分ける。
「片方を止めれば、狭い場所でも向きを変えられる」
ロットが言った。
「片方を逆に回せれば、もっと曲がる」
エミルが付け加える。
空一郎は模型を見た。
「考え方はいい。ただ、川の流れがある。模型のように、その場で綺麗に回るとは限らない」
「やってみれば、分かる」
「うん。広い場所でね」
外輪の羽根には、交換できる木の板を使った。
深く水へ入れすぎると、水を持ち上げる仕事が増える。
浅ければ、荷を積んだときと空のときで効き方が変わる。
フランは、小さな水槽に模型を置いた。
羽根の幅。
入る深さ。
輪の回転。
試すたび、机と床が濡れた。
「もう少し、ゆっくり回したい」
ロットは言った。
「機関の方は、この速さが安定する」
空一郎は、二つの円を紙へ描いた。
小さな歯車が、大きな歯車を回す。
「歯の数を変えたら、どうなる?」
エミルが数えた。
「小さい方が三回回って、大きい方が一回」
「速さを落とした分、軸に伝える力は増やせる。ただし、擦れる分は失う」
ロットは図を覗き込んだ。
「時計の中みたいだ」
「そう。時計職人へ相談してみよう」
時計を初めて分解した日の記憶は、三人にもあった。
小さな歯車が、蓋の内側いっぱいに収まっていた。
しかし、あの繊細な部品を大きくすれば、そのまま船に使えるわけではなかった。
時計職人ロレクスは、木製の歯車模型を見て、長い溜息をついた。
「時計は、人の指で止まる。お前たちのは、指を持っていく」
歯の形だけでなく、軸を平行に保つこと、軸受を十分に支えることを教えた。
鉄の小歯車と、木の歯を差し込んだ大歯車を試した。
木の歯は、欠けたものだけ交換できる。
フランは乾燥した硬い木を選び、削る向きを変えながら試験した。
ロットは鉄の歯を磨いた。
エミルは、何時間でどの歯が傷むかを記録した。
「鉄で全部作ればいいのに」
黎明が言うと、ロットが答えた。
「作れる。でも、全部を正しく削る時間と金が要る」
「壊れたら?」
「俺たちの歯なら、岸の工房でも作り直せる」
空一郎は、少し長くその歯車を見た。
未来の部品を取り出せば、今日の問題はもっと早く解ける。
しかし、それが欠けた日の川岸には、未来の工場はなかった。
クラッチの試験は、歯車より手間取った。
回る機関と、止まっている外輪を、いきなりつなぐことはできない。
最初の噛み合い式は、爪の角を欠いた。
次に作った摩擦式は、つながる前に熱くなった。
「勢いを殺してから、つなぐ」
エミルが言った。
「操縦する奴が、覚えればいい」
「覚えられなかったとき、何が壊れる?」
CHUYUが尋ねた。
義体は、今日は作業台の端に座っていた。
立ったままでは、床の一か所へ重さが集まりすぎる。
ロットは、クラッチを見た。
「……歯。軸。人も、近ければ」
《操作の順番を、仕組みでも助けられる?》
そこで、蒸気の加減弁を絞り、回転を落とさなければ切り替えにくい連動を加えた。
それでも、最後は人が音を聞き、回転を見る必要があった。
操船台には、大きく手順を書いた。
蒸気を絞る。
切り離す。
外輪を止める。
切り替える。
ゆっくりつなぐ。
「読めない者は?」
ゼペットが尋ねた。
フランは、文字の隣へ絵を描いた。
川の水は、無限に釜へ入れてよいわけでもなかった。
泥を含む水は管を詰まらせ、井戸によっては内側へ硬い付着物を残す。
復水器で蒸気を水へ戻し、できるだけ釜へ返す。
川の水は、その外側を冷やすために使う。
「海へ行けば、塩水で冷やすのか」
フランが尋ねた。
「釜へ塩水を入れないように、流れを分けられればね」
空一郎が答えた。
「ただ、管が漏れたら混ざる。海へ行く前に、そこを確かめなければならない」
夢の話が、すぐに継ぎ目の話になる。
三人は、それにも慣れ始めていた。
釜は、水で満たして圧をかけ、離れた場所から継ぎ目を調べた。
実際に火を入れる試験では、必要な者以外を近づけなかった。
圧力計。
水位を確かめる窓と検査栓。
安全弁。
釜を守るものは、機関を動かすものより目立たなかった。
ロットは最後の試験の前に、安全弁の重りへ封印をつけた。
「誰かが足したら、分かる」
エミルが彼を見た。
「お前もだぞ」
「分かってる」
ロットは、少し照れた顔で答えた。
工房の灯りは、夜遅くまで消えなかった。
空一郎は扉の外で足を止めた。
三人が、一枚の図面を囲んでいる。
ロットが何かを主張し、エミルが数字を書き、フランが二人の間へ模型を置いた。
別の世界で、兄たちと装置を囲んだ日のことが蘇った。
誰かが話す途中で、別の誰かが答えを見つける。
その答えにも、次の問題がある。
「父さん?」
黎明が声をかけた。
空一郎は目元を拭った。
「似ていたんだ」
「何が?」
「帰る方法を、皆で考えていた夜に」
黎明は、工房を見た。
「まだ、帰りたい?」
空一郎はすぐには答えなかった。
「会いたい」
そう言った。
「帰る、という言葉だけでは、今は足りない」
黎明は父の隣に立った。
奥でロットが叫んだ。
「だから、ここを太くすればいいんだって!」
エミルの声が返った。
「太くした重さを、誰が運ぶ!」
空一郎は笑った。
その笑いのあと、目元に残ったものは、もう拭かなかった。




