第29章 若き後継者の試練
報告が届いたのは、午後だった。
国境の交易都市、フレイデン。
街道を塞ぐ武装集団が現れ、荷車の検査を始めたという。
現地の書記が、短い伝文を送ってきた。
――リュグノスの旗を確認。人数、数百。守備隊へ説明なし。
空一郎は、遠方の炭鉱と港の調査へ出ていた。
ラグエルは体調を崩し、休んでいる。
黎明は伝文を読み終え、机へ置いた。
「ベイルを呼んで」
その声が、自分でも少し硬いと思った。
CHUYUが、利用できる記録を並べた。
衛星画像は、数時間前。
現地の見張りの報告は、二十分前。
近づけた無人機の映像は、雲と風で不安定だった。
《現在確認できる人数は、三百八十前後。建物の陰にいる者は数えられていない》
「五百は、あり得る」
《あり得る。ただし、確定値ではない》
ベイルが入ってきた。
老いた護衛長は、剣を腰へ留めたままだった。
「何をしたい」
黎明は地図を示した。
「市民を、街道から離したい。荷車も、先へ進ませない」
「それは、できる」
「守備隊へ、門を閉めるように」
「避難する者が、外に残る」
黎明は口を閉じた。
地図では、門を閉めれば守れるように見えた。
外にいる人は、線になっていなかった。
「避難の通路を残して、入口を守る」
彼は言い直した。
「部隊の動かし方は、任せます。使者を出して、何を求めているのか確かめたい」
ベイルは頷いた。
「公爵家の命令として出す。君は、物流と避難の手配をまとめろ」
黎明は返事をした。
一人で軍を動かすわけではない。
そのことに、少し安堵し、少し悔しさも感じた。
偵察には、飛行獣が使われた。
現地では、ドラグーン隊と呼ばれていた。
黎明が、その成り立ちを父から聞いたのは、前年だった。
大陸外の島で発見された、翼竜に似た動物。
そこから始まった観察と飼育。
持ち込まれた生物学の設備を使い、保存した細胞や胚を扱い、現地の個体の特性を調べながら、何年もかけて育てた系統。
DNAの文字列を手に入れれば、すぐ成体が現れるわけではなかった。
卵が育たないこともあった。
生まれても、飛べない個体があった。
人を乗せるほどの体格と、扱える性質を両立させるには、さらに改良と訓練が要った。
現在も、人と荷を運べる個体は少ない。
「火を吐く?」
幼いエレオが尋ねたことがある。
空一郎は答えた。
「吐かない」
「物語の竜は、吐くよ」
「この竜は、たくさん食べる」
飼育係が、それには大きく頷いていた。
ベイルは、騎乗者へ命じた。
「街の上で、低く飛ぶな。敵も民も、驚いて走る」
飛行獣は、怖がらせるためではなく、道路の向こうを確かめるために上がった。
無人機では受け取りにくい、地上からの合図も読める。
しかし、射られれば傷つく。
風の術を受ければ、姿勢を崩すこともある。
騎乗者は、距離を取った。
やがて報告が来た。
武装集団は市街へ進まず、倉庫と橋を押さえている。
要求は、通行料の徴収権を戻すこと。
協約で失った収入を、荷から取り返そうとしていた。
「軍の演習ではない」
黎明が言った。
ベイルは伝文を読んだ。
「だが、王の命令で来たとも、まだ分からん」
旗があるから、その国全体が敵だとは限らない。
黎明は、国名を太く書こうとした手を止めた。
避難の準備には、荷車が必要だった。
同じ荷車は、工房の燃料も運んでいる。
黎明は輸送を止め、一部をフレイデンへ回した。
商人が反対した。
「納期を過ぎれば、損害が出る」
「記録してください。補償について、あとで協議します」
「あとで、では困る」
黎明は帳簿を開いた。
自由に使える予備費は限られている。
父の不在時に、どこまで約束できるかも決まっていた。
彼は金額を示した。
「今、約束できるのはここまでです。残りは、承認を求める」
相手は不満を隠さなかった。
それでも、荷車は出た。
避難のために動かした車輪が、別の場所では仕事を止める。
黎明は、その両方を帳面へ残した。
夕刻、武装集団の一部が橋へ火を掛けようとした。
使者の交渉は続いていた。
その最中の行動だった。
橋を失えば、街の外にいる住民が逃げにくくなる。
ベイルが守備隊へ指示を送る。
銃声が、短く続いた。
黎明は映像を見ていた。
火を持った男が倒れた。
画面の外で、誰かが叫んだ。
遠くからなら、もっと容易に止められる装備が、保管設備にあることを黎明は知っていた。
「機体を出せば」
彼が言うと、CHUYUは確認した。
《目的は、橋の防護? それとも、武装集団への攻撃?》
黎明は答えに詰まった。
目的を言わずに、力だけ呼び出そうとしていた。
ベイルが、彼を見た。
「今、橋を守る者はいる。別の道具を加えるなら、誰がどこにいるか、確かめてからだ」
黎明は画面へ戻った。
橋の近くに、味方と、市民と、敵がいる。
自分の怒りで、それを一つの塊にしてはいけなかった。
夜までに、武装集団の大部分は後退した。
交渉を続ける代表と、逃げた者が分かれた。
街は守られた。
橋も残った。
しかし、守備兵と、武装集団の双方に死傷者が出た。
避難の途中で転んだ老人も、救護所へ運ばれていた。
黎明は報告を読んだ。
勝った、という一語では足りなかった。
空一郎から連絡が来たのは、そのあとだった。
『記録を見た』
父の声がした。
黎明は、椅子へ座ったまま答えた。
「もっと、早く決めればよかったかもしれない」
『何を?』
「機体を出すこと」
『早ければ、よかったと分かる根拠は?』
黎明は黙った。
父は続けた。
『避難を始めたこと。交渉を止めなかったこと。判断の範囲を越える前に、ベイルと確認したこと。それは、記録から分かる』
「でも、人が死んだ」
声が、少し震えた。
『うん』
父は否定しなかった。
『明日、その人たちの名前も確かめよう。今回の判断を、褒められたから終わりにしないために』
黎明は、机へ額を近づけた。
「帰ってきて」
後継者らしい返事ではなかった。
空一郎は、静かに答えた。
『帰る。今夜は、皆と一緒にいて』
同じ日のナグナリエでは、工房と救護所が合同で開く交流市があった。
アリステリアは、予定していた短い訪問を済ませると、国境の報告を受けるため屋敷へ戻るつもりだった。
帰り際、ミーナの作業台で足を止めた。
彼女は、薬草だけでなく、洗った布と、包み紙と、記録札を分けていた。
「救護所の準備ですか」
アリステリアが尋ねる。
ミーナは顔を上げ、挨拶した。
「はい。フレイデンへ、送るかもしれないので」
「今日の話を、聞いたのですね」
「ティオが、輸送の記録を手伝っています」
アリステリアは、並べられた包みを見た。
祝賀会で会った少女は、もう、贈り物を渡すだけの子どもではなかった。
「足りないものは?」
「清潔な布と、容器。それから、使ったものを戻す袋です」
ミーナは、一つずつ答えた。
「薬は、担当の方に確認してもらいます。私だけでは、決めません」
アリステリアは頷いた。
黎明が、彼女と話したくなる理由が、以前より分かった気がした。
「黎明は、無事ですか」
ミーナが尋ねた。
「今は、屋敷にいます」
「よかった」
安堵は、短い言葉になった。
アリステリアは、少女の顔を見た。
「よければ、こちらの記録を持って来てください。黎明も、必要なものを聞きたいと思います」
ミーナは少し迷った。
「今夜は、疲れているでしょうから、明日に」
相手を気遣っている。
同時に、自分の仕事の順番も守っている。
アリステリアは微笑んだ。
「では、明日」
空一郎が帰った夜、黎明は、まだ報告書を読んでいた。
父が入ると、立ち上がりかけて、座り直した。
「ただいま」
「……おかえり」
空一郎は、息子の隣へ椅子を置いた。
「今日は、報告の続きをしなくてもいい」
黎明は、父の腕へ額を寄せた。
十六歳になって、久しぶりのことだった。
空一郎は何も言わず、背中へ手を置いた。
子どもたちが眠ったあと、アリステリアは夫へミーナの話をした。
「よく、自分の仕事を分かっていました」
「うん」
「黎明に会いたいでしょうに、疲れているから明日にすると」
空一郎は、椅子の背へ身体を預けた。
「僕たちの思うより、皆、先へ進んでいるんだな」
アリステリアが隣へ座った。
夫の外套をほどき、肩の疲れを指で確かめる。
「あなたも、今日は休んでください」
彼は、その手を取った。
指へ口づけると、彼女は少し笑った。
「報告は、まだありますよ」
「明日でも?」
「ええ。今夜は」
彼女の肩へ額を寄せた。
外では、遠くの工房が、遅い時間まで動いていた。
国境で起きた争いは、終わったわけではない。
通行料の問題は残り、武装集団へ金を出した者も、まだ分からなかった。
協約の署名と、柊の印が押された契約書のあいだで、人も金も動き始めていた。
やがて、それがどちらの力になるのか。
黎明は、今夜初めて、その問いを父と同じ重さで持ち始めていた。




