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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第24章 黎明、初恋と父の教え


 ベイルの稽古は、父の稽古より静かだった。

 護衛長は、長い年月を経て髪に白いものが増えていた。頭の両側にある獣の耳は、小さな音にも向きを変える。

 黎明が背後から近づいても、ほとんど必ず気づいた。

「足音を、消したのに」

「息が、速くなった」

 ベイルが言った。

「攻めようと思うと、先に身体が動く」

「父さんには、気づかれないこともある」

「相手が違えば、見えるものも違う」

 黎明は木剣を構えた。

 ベイルが手を開く。

 小さな風が、足元の砂を動かした。

「剣だけを見れば、風に崩される。風だけを見れば、剣に遅れる」

「両方、見る」

「全部を見ようとして、何も見えなくなることもある」

 黎明は顔をしかめた。

「難しいことばかり言う」

 護衛長の口元が、少し動いた。

「難しい相手だからな」

     

 稽古のあと、黎明はベイルへ尋ねた。

「学校で、獣人は護衛に向いているって言われた」

「そうか」

「でも、教室の会計の先生も、獣人だよ」

「私は、会計は苦手だ」

 黎明が笑った。

 ベイルは、木剣を棚へ戻した。

「耳がよく聞こえるからといって、同じ仕事を選ぶわけではない。君の父も、空から来たが、毎日飛んではいないだろう」

「毎日、飛びたいとは思ってるかもしれない」

「それは、ありそうだ」

 二人は笑った。

 黎明は、ティオのことを思い出した。

 身体が弱い。

 だから、できないことがある。

 けれど、できることまで見えなくなるのは、違う。

「ティオも、剣が苦手だからって、弱いわけじゃない」

 ベイルは頷いた。

「そう思うなら、君が剣で助けるだけの友人にはするな」

 黎明は、その言葉をしばらく考えた。

     

 数日後、ミーナが、借りた本を返しに学校へ来た。

 黎明は廊下で会った。

 彼女は、いつもより大きな本を抱えていた。

「重い?」

「重いけど、持てる」

「少し、持とうか」

 ミーナは本を見て、それから彼へ渡した。

「じゃあ、階段だけ」

 黎明は受け取った。

 抱えたとき、紙の間から、押し花が落ちた。

 彼は拾おうとして、ミーナと同時にしゃがんだ。

 額が、軽くぶつかった。

「あっ」

「ごめん」

 二人とも、少し笑った。

 ミーナが押し花を拾う。

 黎明は、自分の顔が熱くなるのを感じた。

 何を言えばよいか分からない。

 彼女は、花を本へ戻した。

「これ、栞なの」

「うん」

「つぶれなくて、よかった」

「……よかった」

 階段まで本を運んだ。

 その先も持ちたかったが、返す約束だったので返した。

「ありがとう」

 ミーナが言った。

 黎明は、彼女が曲がり角へ消えるまで、廊下にいた。

     

 その夜、母へ尋ねた。

「人を好きになるって、どういうこと?」

 アリステリアは、手元の縫い物を止めた。

 すぐに誰のことかは、尋ねなかった。

「いろいろあると思います。友達として好きな人も、一緒に暮らしたい人も」

「会うと、何を言うか分からなくなるのは?」

「緊張しているのかもしれません」

「嫌ではない」

「なら、うれしい緊張なのでしょうね」

 黎明は椅子へ座った。

「相手は、普通に話してる」

「同じ気持ちとは、限りませんから」

 彼は少し黙った。

 アリステリアは、息子を見た。

「それは、寂しいこともあります。でも、こちらが好きになったから、相手も好きになると約束したわけではありません」

「……うん」

「今、何か決めなくてもよいのです。話して、相手を知って。好きだと思うところも、変わるかもしれません」

 黎明は、母の腹へ目を向けた。

「父さんとは、すぐ分かった?」

 彼女は笑った。

「いいえ。最初は、何を考えているのか、よく分かりませんでした」

「今は?」

「今も、分からないことはあります」

 そこへ、空一郎が入ってきた。

「僕の話?」

 母子が同時に彼を見た。

 黎明は、急に口を閉じた。

     

 父と話したのは、翌日だった。

 稽古の帰り道で、黎明は唐突に尋ねた。

「母さんを好きになったとき、怖かった?」

 空一郎は歩く速さを落とした。

「怖い、というのは」

「変なことを言って、嫌われるとか」

「それは、あった」

「父さんでも?」

「父さんだから」

 黎明は少し笑った。

 空一郎は続けた。

「よく見せようとして、普段しない話し方をしたこともある」

「どうなった?」

「あとで思い出すと、恥ずかしい」

「母さんは?」

「たぶん、覚えてる」

 息子が、声を上げて笑った。

 空一郎は、その笑いが収まるまで待った。

「誰かに、贈り物をしたい?」

 黎明は、少し考えて頷いた。

「でも、高いのは嫌だって」

「何て言われた?」

「何もなくても、来ていいって」

 空一郎は、息子の横顔を見た。

「なら、それを信じていいと思う」

「本当に?」

「うん。渡すものを探すより、話を聞いてみたら」

    

 その夜の勉強は、いつもより早く始まった。

 黎明が、翌日までに返す本を持ってきたからだった。

 父は、日本語で書かれた一文を見せた。

 ――弁を開く前に、圧力を確認すること。

 黎明が読んだ。

 意味を説明する。

「『確認する』と、『確認した』は違う」

 空一郎が言った。

「分かってる」

「では、この記録は、どちら?」

 過去の点検表を開く。

 黎明は、しばらく見た。

「確認する予定、って書いてある」

「そう。やったとは書いていない」

「だから、文字を読めないと危ない?」

「文字だけではない。書いた人が、どこまで確かめたかを読む」

 黎明は端末へ顔を向けた。

「CHUYUも、間違える?」

《間違える。記録が不足しているときや、解釈を誤ったときに》

「じゃあ、父さんは?」

「間違える」

「皆、間違えるじゃないか」

 空一郎は頷いた。

「だから、皆で確かめる」

     

 課題を終えると、黎明は父を見た。

「十二歳になったら、別の道具を見せるって、前に言ったよね」

「言った」

「何?」

「Noös Pouchと、保管設備の管理について」

「僕が使えるようになる?」

「一部から。いきなり全部ではない」

「母さんも、使える」

「母さんは、君より先に学んだ」

 黎明は考えた。

「ミーナや、ティオは?」

 空一郎は、すぐには答えなかった。

「作業で必要な道具なら、学んで使えるものを増やしたい」

「でも、ポーチは僕だけ?」

「君へ教える予定はある。でも、君しか持ってはいけないと、決めたわけではない」

 息子は、少し眉を寄せた。

「皆、僕が継ぐって言う」

 空一郎は机の上の帳簿を見た。

 自分が曖昧にしていても、周りはもう決め始めている。

「儀式の前に、母さんも入れて、ちゃんと話そう」

「今度は、ちゃんと?」

「今度も、今度は、どちらでもいい。話す」

 黎明は頷いた。

     

 家では、妹が生まれていた。

 黎明が抱くと、小さな手で服をつかんだ。

 彼は、その手を無理に外さず、しばらく座っていた。

「いつ、話すようになる?」

 母へ尋ねる。

「まだ、もう少し先です」

「早く、歩けるといいな」

「歩けば、どこへでも行こうとしますよ」

 アリステリアが答えた。

 空一郎が、隣から言った。

「誰かに似ていれば、特に」

 黎明は父を見た。

「僕?」

「僕かもしれない」

 息子は笑った。

 妹が、その声に驚いて身じろぎした。

 黎明はすぐに声を小さくした。

 強くなることより、力を抜く方が難しい場面もある。

 妹を抱くたびに、少しずつ覚えていた。

     

 子どもたちが眠ったあと、アリステリアは鏡の前で髪をほどいた。

 空一郎が、後ろから櫛を受け取る。

「手伝う?」

「引っ張らなければ」

「慎重にやる」

 長い髪へ、ゆっくり櫛を通す。

 彼女は鏡越しに夫を見た。

「黎明に、何を話したのです」

「失敗した話」

「私の前で?」

「そう」

 アリステリアの口元が緩んだ。

「あの音楽室で、急に難しい詩を話し始めた日のこと?」

 空一郎の手が止まった。

「……そこまでは、話してない」

「では、次は私が」

「勘弁して」

 彼女は笑い、振り返った。

 空一郎が、肩へ落ちた髪を払う。露わになった首筋へ軽く口づけると、彼女は少し肩をすくめた。

「話を逸らしましたね」

「逸れた?」

「ええ」

 しかし、離れようとはしなかった。

 彼女は夫の手へ指を重ねた。

「十二年前には、こんな夜を想像していませんでした」

「僕も」

 隣室には、眠る子どもたちがいる。

 明日には、役人も、職人も、商人も来る。

 その前の短い時間を、二人は言葉を少なくして過ごした。



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