↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/126

第23章 親友ティオとその妹


 黎明がティオと親しくなったのは、助けたことがきっかけではなかった。

 最初は、算術の答えを間違えたことだった。

 ナグナリエの初等教室で、黎明は黒板へ数字を書いた。

 荷車一台に積める石炭の量と、必要な台数を求める問題だった。計算は合っていたはずなのに、後ろの席で小さな声がした。

「それだと、最後の荷車が川を渡れない」

 黎明は振り返った。

 細い肩の少年が、教科書の図を指していた。

「橋の重さの制限。右下に書いてある」

 見落としていた。

 教師が頷いた。

「ティオの言うとおりです。運べる量だけでなく、通る道も確かめましょう」

 黎明は答えを消した。

 席へ戻ってから、少年へ尋ねた。

「先に言ってくれればよかったのに」

「途中で言ったら、怒るかと思って」

「間違えたままの方が、嫌だ」

 ティオは、少し考えた。

「じゃあ、次は途中で言う」

 それが、二人の最初の約束だった。

     

 ティオは、走るのが速くなかった。

 長く走ると咳が出た。冬には何日も学校を休むことがあり、戻ってくると、欠けた授業を一人で読み直していた。

 しかし、地図と数字には強かった。

 川が増水したとき、どの道を使えばよいか。

 市場の秤が、どちらへ傾いているか。

 大人が読み上げる帳簿の数字が、前の数字と合うか。

 黎明が気づく前に、ティオは何かを見つけていた。

 それが気に入らない者もいた。

 学校帰り、橋の脇で、三人の少年がティオの鞄を取り上げていた。

「取りに来いよ」

 一人が言った。

 鞄が、欄干の外へ突き出される。

 ティオは手を伸ばしかけ、足を止めた。

 黎明が近づくと、少年たちは彼を見た。

「返して」

「遊んでいるだけだ」

「本人は、遊んでいない」

 相手は笑った。

「お前が来れば、何でも済むと思ってるのか。公爵様の孫なら――」

 黎明は一歩前へ出た。

 拳に力が入る。

 トマを殴った日のことを思い出した。

 そのとき、ティオが言った。

「殴るなよ」

 黎明が彼を見る。

「鞄が、落ちる」

 欄干の向こうには川があった。

 黎明は、握った手を開いた。

「返して。先生と、君の家の人にも、今のことを話す」

「告げ口か」

「そう。ここで殴るより、いい」

 しばらく睨み合ったあと、鞄が放られた。

 黎明は受け止めた。

 少年たちが去ってから、ティオへ渡す。

「ありがとう」

「家まで、持とうか」

「持てる」

 ティオは鞄を抱えた。

 黎明は、その返事を聞いて、手を引っ込めた。

    

「今日は、うちへ来ない?」

 ティオが言った。

「母さんが、パンを焼いてる」

「行っていいの?」

「昨日、聞いた。来ていいって」

 家は、工房街の裏にあった。

 狭い道に洗濯物が掛かり、入口には、補修した跡のある木の扉が付いていた。

 中へ入ると、石鹸と、焼けたパンの匂いがした。

 部屋は小さかったが、机の上は片づけられていた。窓際には、鉢に植えた草が幾つか並んでいる。

 少女が、その鉢へ水をやっていた。

 栗色の髪を一つに結び、袖を折っている。

「妹のミーナ。お前より一つ下」

 ティオが言った。

 少女は水差しを置いた。

「知ってる。学校で見た」

 黎明は、少し慌てた。

「僕も、見たことはある」

「いつも、走ってる」

「……そんなに?」

 ミーナは頷いた。

 ティオが笑った。

「だから、妹は、お前の顔より背中を覚えてる」

     

 パンは、四つに切られていた。

 ティオの母は工房へ品を届けに出るところで、黎明へ挨拶をしたあと、子どもたちに留守を頼んだ。

 ミーナは皿を出し、同じ大きさのものを一つずつ置いた。

「これは、母さんの」

 残した一つに布を掛ける。

 黎明は、食べる前に尋ねた。

「僕の分も、いいの?」

「来るって、言ってあったから」

 ティオが答えた。

 それ以上、遠慮するのも変な気がして、黎明は食べた。

 外側は少し硬く、中は温かかった。

「おいしい」

 ミーナが顔を上げた。

「焦げたところ、あるけど」

「そこも、好き」

「じゃあ、次は端を残しておく」

 何でもない返事だった。

 それなのに、次に来ることを、彼女が当たり前のように話したのが、うれしかった。

    

 机には、学校の本があった。

 ミーナは、薬草の挿絵を開いていた。

「これ、何の本?」

「救護所で借りた」

「治療者になりたいの?」

「まだ、分からない。でも、植物の名前は覚えたい」

 黎明は窓際の鉢を見た。

「全部、薬になる?」

「ならない。これは、料理に入れる。こっちは、匂いが好きだから」

 彼は、一つの葉へ触れようとした。

「それ、触った手で目をこすらないで」

 すぐに手を止めた。

 ミーナは笑った。

「知らないで触るの、黎明もするんだね」

「父さんには、よく怒られる」

「私も」

 ティオが本をのぞき込んだ。

「その頁、もう読めた?」

「ここだけ、分からない」

 ミーナが一行を指す。

 ティオが読もうとすると、咳が出た。

 黎明は水を持ってきた。

 その間に、ミーナは自分で文字を追った。

 兄が助ける。

 妹が待つ。

 今度は、妹が兄の背中へ手を置く。

 黎明は、二人を見ていた。

 きょうだいがいる暮らしを、初めて近くで見た気がした。

     

 それから、黎明はティオの家へ通うようになった。

 算術を教えてもらう。

 借りた本を返す。

 市場で見たものを話す。

 理由は、幾つもあった。

 ただ、ミーナが留守の日には、少し残念に思った。

 そのことを、ティオには言わなかった。

 ある日、菓子を持っていくと、ミーナは包みを見て眉を上げた。

「これ、高いでしょう」

「そんなに――」

「市場で見た」

 嘘はつけなかった。

 黎明が黙ると、彼女は一つを取り、残りを包み直した。

「皆で食べよう。次は、何もなくても来ていいよ」

 黎明は頷いた。

 家へ帰る道で、その言葉を何度も思い出した。

 菓子が喜ばれたことより、次も来ていいと言われたことの方が、うれしかった。

     

 空一郎が息子の変化に気づいたのは、衛星映像からではなかった。

 黎明が、出かける前に鏡を見るようになったからだった。

 襟を直す。

 靴の泥を落とす。

 忘れ物を確かめる。

 以前なら、扉を開けながら全部やっていた。

「最近、丁寧だな」

 空一郎が言うと、息子は振り返った。

「悪い?」

「いや。いいことだ」

「じゃあ、言わなくていい」

 黎明は出ていった。

 空一郎は廊下で少し笑った。

《気になる?》

 CHUYUが尋ねた。

「気になる」

《本人が話したら、聞こう》

「どこへ行ったかだけでも――」

《出かけるとき、ティオの家へ行くと言っていた》

「そうだった」

 空一郎は端末を開きかけ、閉じた。

 道具があれば、確かめられることは多い。

 だからといって、確かめてよいことが増えるわけではなかった。

    

 その晩、アリステリアは夕食を少し残した。

「気分が悪い?」

 空一郎が尋ねる。

「朝から、少し。診てもらいました」

 彼は箸に似た食具を置いた。

「何て?」

 彼女が、静かに笑った。

「また、子どもを迎えるかもしれません」

 黎明が顔を上げた。

「弟?」

「まだ、分からない」

「妹?」

「それも、まだ」

 彼は両親を交互に見た。

「本当に?」

 アリステリアは頷いた。

「経過を見ながら、確かめていきます」

 黎明は、しばらく黙った。

 それから言った。

「僕、うるさくしない」

 空一郎が笑いかけると、息子は真面目な顔をした。

「今は、笑わないで」

 父は笑いを止めた。

「分かった」

 黎明は母へ尋ねた。

「何か、できる?」

「今日は、水を持ってきてもらえますか」

 彼はすぐに立った。

 弟か、妹か。

 まだ分からない。

 それでも、自分が兄になることだけは、少しずつ実感になり始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。