↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/126

第22章 黎明の物語のはじまり


 十年後、黎明は、父より先に稽古場へ来ていた。

 ただし、剣を振っていたわけではない。

 石段へ座り、昨日の課題を読んでいた。

「珍しいな」

 空一郎が言うと、息子は顔を上げた。

「終わっていないと、夜、遊びに行けないから」

「何を読んでる」

「排水機械の説明」

「分からないところは?」

「多い」

 黎明は、紙を閉じた。

「だから、先に剣をやろう」

 空一郎は笑った。

 息子の眼は母に似ていた。

 しかし、話を切り上げたいときの顔は、自分に似ている気がした。

     

 稽古では、装具を使わなかった。

 空一郎も、黎明も、普通の身体で向き合う。

 CHUYUは、けがにつながる動きがあれば知らせるが、次の一手を息子へ教えることはしない。

「もう一本」

 黎明が言った。

「疲れてる」

「まだできる」

「できることと、今やった方がいいことは違う」

 空一郎が言うと、息子は口を尖らせた。

「父さんも、昔そう言われた?」

「何度も」

「聞いた?」

 彼は、一瞬黙った。

「聞かなかったこともある」

「じゃあ――」

「だから、今、言ってる」

 アリステリアが、水を持って来た。

 黎明の膝に、新しい擦り傷がある。

「今日は、終わりにしましょう」

「母さんまで」

「二人で同じことを言うなら、少し考えてください」

 黎明は水を飲んだ。

 稽古をやめることが、負けたように感じられる年ごろだった。

 空一郎には、その気持ちが分かった。

 分かるからといって、続けさせてよいわけではなかった。

     

 ナグナリエは、黎明が生まれたころとは違う街になっていた。

 炭を運ぶ荷車が増え、工房には新しい建物が並んだ。

 鉱山では、試作を重ねた排水機械が動いていた。深い坑道の水を上げられるようになったことで、以前は掘れなかった場所へ人が入る。

 出せる石炭が増えた。

 同時に、坑道で働く者も増えた。

 煤と煙の匂いは、街の豊かさと一緒に広がっていた。

 柊の印を持つ事業は、工房だけではなく、炭鉱、倉庫、運送、機械の保守をまとめる組織になっていた。

 空一郎の不在時にも動く。

 それは、望んで作った仕組みだった。

 けれど、彼の知らない判断が増えることでもあった。

     

 ある日、黎明は友人のトマと喧嘩した。

 相手は、炭鉱で働く男の息子だった。

 帰ってきた黎明の袖は破れ、頬に泥が付いていた。

「何があった」

 父が尋ねた。

「父さんのことを、悪く言った」

「何て」

「柊の家は、掘った石より金を数えてるって」

 空一郎は、すぐには返事をしなかった。

「それで、殴った?」

「向こうも殴った」

「先に?」

 黎明は黙った。

 父は椅子を引いた。

「座ろう」

「僕が悪いって、言うんでしょう」

「殴ったことは、よくない。でも、何を言われたかも聞きたい」

 息子は、しばらく床を見ていた。

「トマの父さん、けがをしたんだって」

「どこの坑道で?」

「北の第三」

 空一郎は、その名を覚えていた。

 柊の事業が排水装置を納め、出資もしている炭鉱だった。

「休んでいる間、金が出ないって」

 黎明の声が、小さくなった。

「そんなことないって、僕は言った。父さんが、助けるって」

 空一郎は手を組んだ。

「僕が調べる。でも、今、全部助けられると、君に約束はできない」

「どうして」

「何が起きたかを、まだ知らないから」

 黎明は、父を見た。

「父さんの道具は、何でも分かるんじゃないの」

「分からない」

 答えは、息子が期待していたものとは違った。

     

 翌日、空一郎は事故の記録を取り寄せた。

 手当の規則はあった。

 しかし、坑道を請け負う別の組合が、被災した男を正式な労働者として記録していなかった。

 書類の上では、支給の対象外だった。

「誰の仕事をしていた」

 空一郎が尋ねた。

 担当者が答えた。

「第三坑道です」

「どこの荷として、石を出した」

「こちらの倉庫へ」

「なら、帳簿に名がないことだけで、話を終えないでください」

 担当者は、口を閉じた。

 アリステリアが、別の資料を開いた。

 同じように記録から漏れた者が、ほかにもいた。

 黎明は、部屋の端で聞いていた。

 父が命じれば、すぐに全部が直ると思っていた。

 実際には、金を出す者が反対し、規則の書き方を巡って議論が続いた。

 その日のうちに決まったのは、急を要する支援と、全坑道の雇用記録を調べ直すことだった。

     

 夕方、黎明はトマの家へ行った。

 母が一緒に来たが、戸口から先は息子に任せた。

「昨日は、ごめん」

 黎明が言った。

 トマは、頬の痣を指で触った。

「何が」

「殴ったこと」

「父さんの話は?」

「調べてる。今日は、食べ物と、治療の金を出すって」

 トマは、すぐには喜ばなかった。

「明日は?」

「……まだ、分からない」

 黎明は正直に言った。

「でも、聞く」

 友人は、少しして頷いた。

 仲直りして、すぐに遊び始めることはできなかった。

 それでも、黎明は、戸を閉められずに済んだ。

     

 夜、父の書斎で、言葉の勉強をした。

 英語の文章。

 日本語の文字。

 機械の説明に使う数字と記号。

 黎明は、途中で筆記具を置いた。

「僕だけが、読めるようにならないといけないの?」

 空一郎は息子を見た。

「君だけではない。工房でも、教えている」

「僕は、皆より多い」

「そうだね」

「どうして」

 父は、資料を閉じた。

 昔なら、いつか分かると言ったかもしれない。

 だが、それでは、この子が今払っている時間の理由にならない。

「僕の故郷の記録を、君にも読んでほしい。道具の仕組みも、僕がどうやってここへ来たかも」

「CHUYUに聞けば、分かる」

「訳せることは多い。でも、訳し方に迷うこともある。元の文章を読めれば、自分で確かめられる」

 黎明は、机の端の端末を見た。

「父さんがいなくなったら?」

 空一郎は、一度、息を止めた。

「そのときにも、困ることを少なくしたい」

「帰るの?」

「帰る方法は、まだ探している。でも、君たちに何も言わずに行くことはしない」

 黎明は黙った。

 父が遠くから来たことは、知っていた。

 遠くへ戻れるかもしれないという話は、同じ重さでは聞けなかった。

     

 空一郎は、息子の隣へ座った。

「それから、君に仕事を継いでほしいという気持ちもある」

 黎明が顔を上げた。

「全部?」

「全部を、一人でとは思っていない」

「やりたくなかったら?」

 父は、すぐには答えなかった。

 工房の者も、商人も、ラグエルも、黎明の成長を見ている。

 次に誰が管理するのか。

 誰が装置を使うのか。

 それぞれの都合がある。

「そのときは、話してほしい」

「嫌だと言って、いい?」

「いい」

 空一郎は、はっきり答えた。

「ただ、僕が困った顔をするかもしれない。その顔を見て、君が断れなくなるのは、避けたい」

 黎明は、父をじっと見た。

「今も、少し困ってる」

「……そうだね」

 息子は、少しだけ笑った。

     

 その日の課題は、排水機械の短い説明だった。

 黎明が、一文を読んだ。

 意味を確かめる。

 分からない単語を聞く。

 途中で、彼は尋ねた。

「この機械が止まったら、坑道に人が残る?」

「場合によっては」

「じゃあ、止まる前に分かるようにしたい」

「何を測ればよいと思う」

 黎明は図を見た。

 水の高さ。

 機械の動き。

 働いている人の数。

 彼は、一つずつ指した。

「全部、要る」

 空一郎は頷いた。

「明日、工房で見てみよう」

 黎明は課題を引き寄せた。

 同じ外国語の文章が、少し違って見え始めていた。

     

 息子が寝たあと、空一郎はCHUYUと話した。

「今日、継ぎたくなかったらどうする、と聞かれた」

《答えは、聞いていた》

「僕は、ちゃんと答えたかな」

《選べると言った。次は、その選択を受け止める準備が必要だと思う》

 彼は、机へ積まれた契約書を見た。

 自分の名で結ばれた契約。

 柊の印を信じて集まった資金。

 自分がいなくなれば、誰が責任を持つのか。

 黎明へ全部を渡すのが、最も簡単に見える。

 だからこそ、それだけを答えにしたくなかった。

「僕が、家族にしてもらったことを、息子にもしたい」

《道具を渡すこと?》

「それもある。でも、帰る場所を作ること」

 CHUYUは少し黙った。

《その場所から、出ていく自由も?》

 空一郎は、息子のいる部屋の方を見た。

「うん」

    

 数日後、黎明は工房へ来た。

 老いたグランハルトは、もう重い仕事を長くはしなかった。それでも、若い職人が持ってくる部品には、必ず眼を通した。

「今日は、何をしに来た」

「排水機械を見たい」

「金を数えに来たのではないんだな」

 黎明は、トマの言葉を思い出した。

 顔が少し赤くなった。

 老人は、その顔を見て、椅子を指した。

「なら、座れ。まず、何が壊れるかを教える」

「動く仕組みからじゃないの?」

「壊れる場所を知らん者に、長く動かす仕事はできん」

 黎明は座った。

 机には、擦り減った部品と、新しい部品が並んでいた。

 その違いを、指で確かめる。

 窓の外では、石炭を積んだ荷車が走っていた。

 父が持ち込んだ未来は、もう、腰のポーチの中だけにはなかった。

 炉の火に。

 坑道の水に。

 帳簿の文字に。

 そして、故障を覚え始めた息子の手にも、少しずつ移っていた。

 黎明は、まだ当主ではなかった。

 ただ、受け継ぐものが、便利な道具だけではないことを、知り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。