第16章 星空の旅と、二人だけの未来
「明日、一日、空けられる?」
空一郎が尋ねると、アリステリアは予定の書かれた紙を見た。
「何のために?」
「遅くなったけど、二人で出かけたい」
「水路ではなく?」
「水路じゃない」
「坑道でもなく?」
「坑道でもない」
彼女は笑った。
「では、行き先を聞かせてください」
選んだのは、近隣の海岸だった。
遠距離の飛行でも、戦闘機でもない。
観測と輸送に使う、二人乗りの小型飛行艇を用意した。低い加速度で飛べる機体で、出発前には体調と、行程を確かめた。
アリステリアは、独立した座席へ座った。
空一郎が固定具を調整する。
「苦しくない?」
「今は、大丈夫です」
「途中で、気分が悪くなったら言って」
「あなたも、操縦に夢中にならないでください」
「はい」
CHUYUの声が、二人の耳へ届いた。
《天候は計画範囲内。帰路の代替着陸地点も確認済み》
アリステリアは窓の外を見た。
「飛ぶ前に、降りる場所を決めるのですね」
「そこは、昔から何度も言われた」
「どなたに?」
「家族全員に」
飛行艇が地面を離れると、彼女は息を止めた。
「大丈夫?」
空一郎が尋ねる。
「……地面が、離れていきます」
「うん」
「鳥は、これを見ているのですね」
窓の下で、畑が模様になった。
川の曲がりと、森の境目が、一つの景色として見える。
彼女は、言葉を少なくした。
空一郎も、説明を急がなかった。
ただ、遠くに海が見えたとき、彼女が小さく声を上げた。
「あれが、今日の行き先?」
「そう」
「地図より、ずっと大きい」
彼は笑った。
「僕も、最初に上から見たとき、そう思った」
海岸近くの平らな場所へ降りた。
機体を止め、周囲を確かめてから、GARUDA-RTを展開する。
荷物は少なかった。
飲み物。
食事。
敷物。
修理道具は、空一郎が予定より多く入れていた。
「今日は、何を直すのです?」
アリステリアが尋ねると、彼は袋を閉じた。
「何も壊れなければ、使わない」
「では、壊れない一日になるとよいですね」
海辺の道を、ゆっくり走った。
窓を開けると、潮の匂いが入ってきた。
漁村の近くで停まり、二人は歩いて浜へ出た。
海は、風で色を変えていた。
アリステリアは、波の届かないところへ腰を下ろした。
「新婚旅行というのは、皆、するのですか」
「皆ではないけど、二人で旅行へ行く習慣がある」
「結婚する前には、しない?」
「する人もいる」
「では、結婚したあとだけの特別な旅ではないのですね」
空一郎は考えた。
「名前を付けると、忙しくても時間を作る理由になるのかもしれない」
彼女は笑った。
「それなら、毎年名前を付けましょう」
「毎年?」
「結婚した日の旅。子どもが生まれたあとの旅。水門が完成した――」
「水門は、仕事になる」
「では、それはやめます」
二人は持ってきた食事を分けた。
港や道路の計画は、今日は開かなかった。
午後、アリステリアは浜に落ちていた木片を拾った。
指先で軽く撫でる。
小さな風が、木片の周囲を回った。
砂が、細い輪になって流れた。
空一郎は、その動きを見た。
「それ、できたんだ」
「ごく小さな術だけです。布を乾かしたり、灯りを守ったり」
「いつ覚えた?」
「子どものころ。母に教わりました」
彼は測定器へ手を伸ばしかけ、止めた。
アリステリアが、その手を見た。
「調べてもよいですよ」
「今日は、やめておく」
「珍しいですね」
「家族から教わったことを、何でも実験にしたくない」
彼女は木片を置いた。
「この子にも、教えられるでしょうか」
腹へ手を添える。
空一郎は、その手を見た。
「君の知っていることも、僕の知っていることも、教えたい」
「両方、できる子なら?」
「何に使うかは、考えてもらう」
彼女は海へ視線を戻した。
「選ぶものが、多くなりますね」
「迷う時間も、増えるだろうな」
空一郎は、まだ生まれていない子の顔を想像した。
うまくできることばかりではない。
父に似て、飛び出すかもしれない。
母に似て、考えてから動くかもしれない。
どちらであっても、見ていたかった。
帰路には、夜の飛行をしなかった。
城の灯が見えるころには着陸し、二人は地上の展望台から空を眺めた。
暗くなるにつれ、星が増えた。
故郷の星座とは違う。
それでも、美しいと思うことはできた。
「あなたの国の空は、どんな空でしたか」
アリステリアが尋ねた。
「街が明るいと、星が少なく見える。山へ行くと、急に増える」
「同じ空なのに?」
「見えるかどうかが、変わるんだ」
彼女は頷いた。
「この街も、いつか明るくなりますね」
「たぶん」
「では、星を見る場所を、残しましょう」
空一郎は彼女を見た。
明かりを増やす計画は考えていた。
暗さを残す計画は、まだなかった。
「それ、覚えておく」
アリステリアは彼の肩へ寄りかかった。
今夜の空も、計画図の余白へ残すべきものの一つだった。




