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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第14章 月夜の語らい、そして未来へ


 春の夜、アリステリアは窓際で、覚えたばかりの文字を書いていた。

 陸。

 海。

 空。

 宙。

 最後の字だけ、何度も見本と見比べる。

「これは、難しいですね」

「僕も、子どものころ、よく間違えた」

 空一郎は彼女の隣へ座った。

「兄弟の名前なのに?」

「宙結が、自分で書けるようになったころに、直された」

 アリステリアが笑った。

 彼は《Bible》へ家族の写真を出した。

 紙の写真も、机に置いた。

 彼女は、画面と紙を交互に見た。

「皆様、よく似ていらっしゃる」

「どれが僕か、分かる?」

「こちら」

 間違いなく指した。

「どうして?」

「立ち方が、あなたです」

 空一郎は写真を見直した。

 確かに、落ち着きなく、少し前へ出ている。

     

「もっと、話してください」

 アリステリアが言った。

「誰のこと?」

「皆様のこと。それから、あなたが、どこへ行くつもりだったのか」

 彼は窓の外を見た。

 これまでも、国や家族のことは話していた。

 しかし、祖母の事故から始まる計画の全体は、断片のままだった。

 帰還の話をするたびに、妻を置いていく話にも聞こえるのではないかと、恐れていた。

 アリステリアは、静かに待っていた。

「祖父が、祖母を亡くした」

 空一郎は、最初から話した。

 善一とアヤの共同研究。

 事故。

 残された記録。

 長く続いた、時間を越えるための研究。

 兄たちが、それを組み直したこと。

 自分が、過去へ装置を届けに行こうとしたこと。

 アリステリアは、途中で幾つか尋ねた。

 分からない言葉は、聞き返した。

 だが、結論を急がせなかった。

     

「では、CHUYUは、妹君そのものではないのですね」

「そう」

 空一郎は頷いた。

「妹は、向こうで生きている。ここにいるCHUYUは、宙結の考え方や、話し方を学んで作られたものだ」

「でも、あなたには、大切な相手です」

「とても」

 卓上の端末から、声がした。

《アリステリアにも、私の応答が宙結本人からのものではないと理解してもらえて、助かります》

 彼女は端末へ顔を向けた。

「あなたも、こちらへ来てから変わったのですか」

《学習したことは増えています。空兄と異なる判断をすることもあります》

「それは、以前からでは?」

 空一郎が言った。

《以前より、根拠を説明できる範囲が増えました》

 アリステリアは笑った。

 空一郎も笑った。

 故郷の妹なら、同じ場面で、別の言い方をしたかもしれない。

 その違いを、今は寂しいだけとは思わなかった。

    

 アリステリアは、写真の中の善一を指した。

「お祖父様は、あなたがここに来たことを知っているのでしょうか」

「分からない。最後の信号が届いていれば、生きていることは、伝わったかもしれない」

「探していらっしゃるでしょうね」

「うん」

 空一郎は、写真を手に取った。

「母は、最後まで行ってほしくないと言った」

「それでも、行かれた」

「僕が決めた」

 アリステリアは、彼の横顔を見た。

「そのことを、後悔していますか」

 彼は、長く黙った。

「後悔している日もある」

 ようやく答えた。

「でも、君に会ったことまで、間違いにはしたくない」

 彼女の手が、彼の手へ重なった。

「別々に考えてよいのではありませんか」

「別々に?」

「危険な旅へ出た判断と、ここで会った人を大切にすること。全部を、同じ答えにしなくても」

 空一郎は、妻を見た。

 帰れないことを受け入れるために、ここへ来たのは運命だったと言いたくなる日があった。

 けれど、その言葉で片づければ、事故の原因も、家族の苦しみも、調べなくてよくなってしまう。

「……そうだな」

 彼は写真を机へ置いた。

「来たのは、事故だ。そのあと、君と暮らすと決めたのは、僕だ」

 アリステリアは頷いた。

「私は、その決めた方のあなたと、結婚しました」

     

 夜が深くなると、彼女は少し疲れた顔になった。

「横になろうか」

 空一郎が言うと、アリステリアは頷いた。

 彼は手を貸し、寝台まで一緒に歩いた。

 窓の隙間から風が入る。

 空一郎は窓を閉め、戻ってきた。

「心配しすぎです」

「そうかな」

「今日は、歩くたびに見ていました」

「見てた?」

「見ていました」

 彼は寝台の端へ座った。

「どうすればいいか、分からないんだ」

 彼女は少し笑い、それから真面目に言った。

「分からないときは、聞いてください。私が平気と言っても、気になることがあれば、一緒に診てもらいましょう」

「うん」

「ただ、何もかも代わりにしようとしないで」

 空一郎は頷いた。

 彼女が、その手を自分の腹へ導いた。

 まだ、外から分かる動きはなかった。

 それでも、彼はしばらく手を置いていた。

「名前、考えた?」

「少し」

「聞かせてください」

「黎明」

 アリステリアが、ゆっくり繰り返した。

「レイメイ」

「夜が明け始める、という意味」

 彼女は窓を見た。

「あなたは、空。子どもは、その空が明るくなる時間ですか」

「そんなふうにも、考えられる」

「よい名前ですね」

 彼は笑った。

「でも、まだ決めなくていい」

「ええ。ほかの名前も、聞いてみたいです」

 家族の命名会議を思い出した。

 父が用意した、厚いノート。

 母が、説明はあとにしてと言った声。

 空一郎は、今度は自分がノートを作るのだと思った。

     

 アリステリアが彼の頬へ手を触れた。

「今日は、眠れそうですか」

「たぶん」

「では、その『たぶん』を、確かめましょう」

 彼は笑い、隣へ横になった。

 額へ口づけると、彼女が少し近づいた。

 卓上の端末へ、空一郎は言った。

「ちゅゆ。通常の記録は、今夜は止めて」

《停止します。緊急時の監視だけ継続します》

 表示が暗くなった。

 アリステリアは彼の肩へ頬を寄せた。

 空一郎は、その身体を静かに抱いた。

 今夜、何かを決め切る必要はなかった。

 帰る道を探すこと。

 ここで暮らすこと。

 妻と、生まれてくる子を大切にすること。

 明日も、その三つを続ければよかった。

     

 夜明け前、アリステリアが眼を開けた。

 空一郎も起きていた。

「眠れませんでした?」

「少し寝た。君は?」

「私も」

 窓の向こうが、薄く明るくなっていた。

 彼女は、彼の手を握った。

「あなたの未来を、見てみたいです」

 空一郎は顔を向けた。

「私の知らない道具だけではなくて、あなたが、どんな暮らしを作りたいのかを」

 彼はしばらく考えた。

「子どもが、自分のやりたいことを選べる暮らし」

 アリステリアは、静かに聞いた。

「僕たちが作ったものを、嫌だと言ってもいい。違う仕事をしてもいい。遠くへ行きたくなったら、行ける」

「戻る場所も、ある」

「うん」

 彼女は微笑んだ。

「では、私にも作らせてください」

 空一郎は、握られた手を握り返した。

 朝の光が、二人の寝台へ届いた。

 まだ生まれていない子の名前を、彼はもう一度、心の中で呼んだ。

 黎明。

 その子へ、何を渡すのか。

 道具だけではない答えを、妻と一緒に考え始めていた。


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