第120章 Epilogue おかえり
玄関には、妹が立っていた。
陸一郎と海一郎の顔を順に見て、宙結は尋ねた。
「空兄は?」
陸一郎は、濡れた傘を閉じた。
「帰れなかった」
宙結は、兄たちの背後を見た。
誰もいなかった。
「でも、一人じゃなかった」
陸一郎は胸元の記録体へ手を添えた。
「家族がいた。会ってきたよ」
宙結は俯いた。
やがて、二人の通る場所を空けた。
奥から、母が来た。
「おかえり」
庭の写真を、みさをは長く見ていた。
年老いた空一郎。
隣に座るアリステリア。
「こんな顔に、なったのね」
写真の端を、指で撫でた。
「ちゃんと、年を取ったのね」
宙結が母の隣へ座った。
昔のアルバムを開き、泥だらけの少年の写真を、その横へ置いた。
「笑い方、一緒」
母が頷いた。
それから、二人で泣いた。
宙結がCHUYUに会ったのは、その翌日だった。
研究室の義体は、椅子に支えられていた。
まだ歩けない。
けれど、右手は動いた。
宙結は正面へ回った。
「私の顔、覚えてる?」
『はい。空一郎が残した記録にあります』
「そう」
少し困ったように笑った。
「私より、ずっと長く空兄といたんだね」
『はい』
「最後まで?」
『最後まで』
宙結は義体の右手を取った。
自分によく似た声が、兄の人生に付き添っていた。
そのことが、不思議で、少し寂しく、うれしかった。
「ありがとう」
義体の指が、そっと握り返した。
アヤが生きる歴史では、その日、二人で娘を迎えに行った。
みさをは父と母を見つけると、鞄を引きずって駆けてきた。
帰り道、雨が降った。
善一は傘を二本取り出した。
アヤが一本を受け取り、娘を傍らへ寄せる。
話の途中で、みさをが転びかけた。
二人の手が、同時に伸びた。
異世界からの通信が安定した朝、宙結は陸一郎に呼ばれた。
画面の向こうに、結と蓮がいた。
宙結が挨拶すると、二人は目を丸くした。
「声が」
結が言いかけた。
「似てるでしょう」
宙結は笑った。
「CHUYUの、元になった妹です」
蓮が、画面のこちら側に座る義体を見た。
結はしばらく二人を見比べていたが、やがて頭を下げた。
「柊結です」
「宙結です。名前も少し、似てるね」
結が笑った。
遠い親戚との挨拶は、それで済んだ。
「見ていて」
海一郎が画面を動かした。
義体が、手すりの間に立っていた。
右足が前へ出る。
左足が続く。
三歩目で、陸一郎が差し出した手を取った。
画面の向こうで、結が口元を押さえた。
蓮がその肩を叩く。
宙結は義体の隣へ寄った。
「今度は、私も一緒に会いに行こうかな」
『渡航には、安全性の確認が必要です』
「知ってる。空兄みたいには行かないよ」
陸一郎と海一郎が、同時に妹を見た。
結が笑った。
その笑い声につられて、皆が笑った。
夕食のあと、宙結は空一郎の最後の記録を、もう一度再生した。
庭の木陰。
風の音。
兄は、こちらを見ていた。
『会いたい』
宙結は、画面へ手を添えた。
『でも、ここで会った人たちも、僕の家族になった』
遠くから、誰かが呼んだ。
空一郎が振り返る。
『いま行く』
そこで、宙結は再生を止めた。
「うん。行っておいで」
隣へ、母が来た。
陸一郎と海一郎も、椅子を運んだ。
画面の横には、今日の通信から写した写真があった。
結と蓮。
律とアンナ。
後ろから顔を寄せる、リディア。
宙結は二枚の写真の間を、少し詰めた。
皆が、同じ棚に収まった。
母が、庭の空一郎へ手を伸ばした。
若い頃、帰りの遅い息子を迎えたときと同じ声だった。
「おかえり」
窓辺で、CHUYUの右手が静かに開いた。
『時を継ぐ者たち』 完




