あとがき
遠くへ行った人は、帰ってこなければ、失われた人になってしまうのだろうか。
『時を継ぐ者たち』を書き終えて、いま、そんなことを考えています。
空一郎は、祖父が失った人を救おうとして旅立ちました。けれど、たどり着いたのは、望んだ過去ではありませんでした。帰る方法を探しながら、人と出会い、仕事をし、家族を持つ。その暮らしが、いつしか一人では抱えきれないほどの歴史になっていきました。
物語を書き始めた頃は、私も空一郎をどう帰してやろうかと考えていました。しかし、書き進めるほどに、彼を待つ家族と同じくらい、彼が出会った家族を置き去りにはできなくなりました。
アリステリアとの暮らし。子どもを抱いた日。工房での失敗。誰かと笑い、誰かを失った時間。それらを消して帰ることが、本当に彼の帰還なのか。最後まで迷った問いでした。
五世代の物語には、復讐も、野望も、栄光もありました。家族を守ろうとした人たちが、その家族を傷つけることもありました。正しいと思う理由が、それぞれにある。だからこそ、争いは簡単には終わりませんでした。
結と蓮には、過去の対立とは違う結末を選んでほしいと思いました。すべてを理解し合えなくても、同じ机に座り直すことはできる。その小さな一歩を、一族の長い歴史の先に置きたかったのです。
時間旅行の仕組みについては、書き進めたあとも悩みました。過去を変えれば、何が残り、何が失われるのか。因果の循環を、どこまで説明できるのか。本作の中で、すべてに答えを出せたとは思っていません。
ただ、理屈を整えるために、登場人物たちが生きた時間を消したくはありませんでした。空一郎の人生も、彼を待ち続けた家族の年月も、そのまま大切にしたい。その思いから、最後の旅の形が決まりました。
そして、書き終えてみると、強く心に残っているのは、大きな装置や企業の看板よりも、日々の短い言葉でした。
「いま行く」
「行っておいで」
「おかえり」
誰かを呼び、その返事を待つこと。食事の席を空けておくこと。帰ってこなかった人の話を、家族で聞くこと。遠い世界まで続いたこの物語も、最後には、そうした暮らしの中へ戻ってきたように思います。
最後まで、この長い旅に付き合ってくださり、ありがとうございました。
読み終えたあと、皆さんの心にも、誰かの顔や声が浮かんでいたなら、うれしく思います。
その人との何でもない時間が、明日も続きますように。
そして、伝えそびれている言葉があるなら、届くうちに、届きますように。




