↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
121/127

第118章 遠い家族からの返事



 出発の朝、結は義体の襟を直した。


 作業用の外装を覆うために、アンナが上着を用意してくれた。袖の内側には、配線を圧迫しないよう切れ込みが入っている。


 結は右手首を確かめた。


 補助スイッチまで、指が届く。


 固定具は緩んでいない。


 確かめ終わっても、手を離せなかった。


『結』


 CHUYUが呼んだ。


「何?」


『三度目の確認です』


「出発前だから」


『承知しました』


 結は、もう一度だけ留め具を押した。


「次は、歩けるようにする」


『帰還後の作業計画へ追加してください』


「もう、書いてある」


 義体の指が、結の手の甲に触れた。


 以前より、力の加減が滑らかになっていた。


 結はその手を握り、そっと膝へ戻した。


     


 旧邸の玄関には、荷物より人の方が多かった。


 律とアンナ。


 結と蓮。


 リディア。


 研究所の助手と、時計職人も来ていた。


 職人は義体の固定枠を見て頷き、陸一郎へ小さな工具袋を渡した。


「使わずに済むのが、いちばんです」


「借りていきます」


「ええ。借りたものですから」


 陸一郎は、笑って頷いた。


 リディアは海一郎へ、薄い封筒を差し出した。


「私の家に残る記録の写しです。向こうの装置を調べるとき、役に立つかもしれない」


「ありがとう。扱いの条件は?」


「中に書いてある」


 海一郎が封を確かめると、彼女は少し笑った。


「今度は、先に」


 蓮はポッドへ積み込む箱の一覧を読み上げた。


 家族の記録。


 研究資料。


 義体の予備部品。


 食料と水。


 海一郎が一つずつ答えた。


 結は、そのやり取りを聞いていた。


 弟の確認は細かかった。


 今日は、それがありがたかった。


     


 港外れの空き地で、陸一郎は律へ向き直った。


「空一郎が、お世話になりました」


 律は首を振った。


「私たちが、世話になったのです」


 二人は少し困って、それから笑った。


 握手を交わす。


 アンナは、家族の写真を入れた小さな封筒を渡した。


「みさをさんへ。皆、元気に暮らしていますと」


 陸一郎は両手で受け取った。


 母は、どんな顔をするだろう。


 帰ってこなかった息子の、その先に続く家族。


 会いたかったという言葉だけでは、足りないだろう。


「必ず、渡します」


 最後に結が前へ出た。


 陸一郎は、彼女へ小さな記録体を渡した。


「こちらの家族の記録です。海一郎が、読める形に直してあります」


「いただいた写真も、ここに?」


「ええ。空一郎が生まれる前のものも」


 結は、それを両手で包んだ。


 探していた人の、そのまた家族。


 自分たちの知らなかった、遠い暮らし。


「陸一郎さん」


「はい」


「来てくれて、ありがとうございました」


 陸一郎は、すぐには答えられなかった。


 弟を連れ帰ることはできなかった。


 それでも、この言葉を受け取ってよいのだろうか。


 結が続けた。


「空一郎を、家族に戻してくれて」


 陸一郎は、ゆっくり頷いた。


「こちらこそ」


 それから、彼女の隣の蓮へ目を向けた。


「二人とも、元気で」


 蓮が頭を下げた。


「また、来てください」


 陸一郎はポッドを振り返った。


「帰り道を、大切にします」


     


 最初の帰還では、三人が乗った。


 海一郎が前席。


 陸一郎と義体が、その後ろに並ぶ。


 義体用に組み替えた支持枠が、肩と腰を固定した。右手の先には、大きな補助スイッチが置かれている。


 キャノピーが閉じると、外の音が遠くなった。


 全周映像に、結たちが映っていた。


 蓮が最後の退避を確認し、片手を上げる。


 リディアの髪が、海からの風に揺れていた。


「接続、正常」


 海一郎が言った。


 機体が浮いた。


 光学迷彩が入り、外殻が空の色を映した。


 結がこちらを見上げた。


 姿は見えなくても、そこにいると知っている顔だった。


 陸一郎は、彼女が小さくなるまで見ていた。


 景色が細い光へ変わり、港が消えた。


     


 元の研究室へ戻ると、海一郎が先に降りた。


 受入設備の状態を確かめ、帰還記録を保存する。


 陸一郎は、ポッドの中で待った。


 次の出発まで、数時間。


 身体を休め、機体を冷やすための時間だった。


 義体の制御は、善一AIへ切り替えられていた。


 彼は、研究室を静かに見ていた。


 昔の自分が知る部屋とは違う。


 機器は小さくなり、窓の外の建物も変わっている。


『みさをは』


 善一AIが尋ねた。


 陸一郎は顔を向けた。


「元気だよ」


『そうか』


「空一郎のことは、海一郎から話す。僕が戻ったら、記録を見せる」


『私のことも、伝えてくれるか』


「もちろん」


 義体の右手が、座席の上で少し動いた。


『会えたら、何から話せばいいだろうね』


 陸一郎は考えた。


「顔を見れば、わかると思う」


 祖父は娘を抱いたまま論文を読もうとして、アヤに叱られたという。


 結が見つけた記録で、初めて知った話だった。


 陸一郎は、もう一つ付け加えた。


「そのときは、書類を置いて」


 善一AIの指が止まった。


 やがて、小さく笑う声がした。


     


 午後、海一郎が操縦席の横へ立った。


 ポッドは点検を終えていた。


 推進剤も、予備電源も補充された。


 行き先には、研究棟の外の搬入路が表示されている。


 試験開始、四十五分前。


 人の出入りが少なく、上空にも障害物がない時間帯だった。


「元の接続は、こっちで保つ」


 海一郎が言った。


「戻るときは、記録された座標を使って。目の前の世界を、帰還先として上書きしないで」


「わかった」


「アヤを助けられても、その場で何が変わったか確かめようとしない。実験区画から離れて、まず連絡を」


「ああ」


 海一郎は、兄の肩帯を引いて確かめた。


 きつすぎないかと尋ねる代わりに、もう一度、留め具を見た。


 陸一郎は、その手首へ触れた。


「戻ったら、母さんのところへ行こう」


「うん」


「二人で、話す」


 海一郎は頷いた。


 ポッドから降りる。


 キャノピーが閉じる直前、彼は兄を見上げた。


「兄さん」


「何だ」


「今度こそ、迎えが間に合うといいな」


 陸一郎は頷いた。


 声では、答えられなかった。


     


 出現した空は、明るかった。


 全周映像に、低い研究棟と、遠くの工事用クレーンが映る。


 予定した搬入路に、人はいない。


 ポッドは光学迷彩を保ったまま降下した。


 横風を受け、姿勢制御器が短く噴いた。


 外壁から距離を取り、舗装された隅へ着地する。


「接地。周囲、安全」


 陸一郎は報告した。


 海一郎から、短い応答が返る。


「受信。帰還経路、維持」


 陸一郎は隣を見た。


 義体の顔は、建物へ向いていた。


『北側の入口だ』


 善一AIが言った。


『廊下を進むと、左に受付がある』


 陸一郎は写真と資料の入った鞄を取った。


 もう一度、時計を見る。


 まだ、間に合う。


     


 受付の職員は、訪問予定にない名前を聞いて首を傾げた。


「葛城先生と、お約束は」


「ありません。ただ、今日の試験を始める前に、確認していただきたい記録があります」


「資料をお預かりして——」


「七分後に、磁場の制御値が乱れます」


 職員の手が止まった。


 陸一郎は、それ以上声を大きくしなかった。


「遮断指令のあとにも続く波形です。実験担当の方へ、この一枚だけでも渡してください」


 机へ、記録を置いた。


 未来の装置は見せなかった。


 事故後にしか得られない波形を、過去の紙へ写したものだった。


 職員は戸惑いながら、内線を取った。


 陸一郎は時計を見ないようにした。


 廊下の向こうから、二人分の足音が近づいてきた。


「どの試験の話ですか」


 女の声だった。


 陸一郎は顔を上げた。


 黒髪をまとめた女性が、書類を片手に立っていた。


 写真でしか知らなかった人だった。


 その隣に、若い善一がいた。


「この記録を、どこで」


 善一が尋ねた。


 陸一郎は口を開いた。


 用意してきた説明が、すぐには出なかった。


 アヤが、一歩近づいた。


「大丈夫ですか」


 生きている声だった。


 陸一郎は鞄の持ち手を握り直した。


「今日の試験を、延期してください」


     


 アヤは、波形を最後まで見た。


 途中で善一が口を開きかけたが、彼女は指を上げて止めた。


「ここの時刻は、開始からですか」


「はい」


「遮断は?」


 陸一郎が指し示す。


 アヤは、その先の線を見た。


「遮断後も、場が維持されている」


 善一が紙を取った。


「だが、この値は」


「わかっています。いまの想定では、出ないはずです」


 アヤは陸一郎を見た。


「元の測定記録を、確認できますか」


「できます」


「装置の構成も?」


「残っています」


 善一が、彼女へ顔を向けた。


「アヤ」


「参加するつもりで、計画を確認しました」


 彼女は静かに言った。


「でも、この危険は、その計画に入っていません。今日は入りません」


 善一は、ほんの一瞬、目を閉じた。


 それから、受付の電話へ手を伸ばした。


「制御室につないでくれ。試験を延期する」


 陸一郎は、その言葉を聞いた。


 膝から力が抜けそうになり、机の端へ手を置いた。


 アヤが、彼の顔を覗き込んだ。


「座ってください。ひどい顔色です」


 陸一郎は首を振った。


 目の前で、彼女が袖を整えた。


 装置へ入るためではなく、椅子を引くために。


 腕の通信機から、海一郎の声が小さく届いた。


「分岐を確認。元の経路も残っている」


 陸一郎は目を閉じた。


     


 三人をポッドへ案内するとき、陸一郎は初めて空一郎の名を出した。


 善一が立ち止まった。


 アヤも足を止めた。


「誰ですか」


 アヤが尋ねた。


「あなたは、私たちの何をご存じなんですか」


 陸一郎は、研究棟の陰へ向かった。


 光学迷彩を解く。


 何もなかった搬入路に、黒い機体が現れた。


 善一が息を呑んだ。


 アヤは後ずさりせず、機体と陸一郎を交互に見た。


 キャノピーが開いた。


 後席に固定された義体が、そこにいた。


『善一』


 その声に、若い善一が硬直した。


『説明は、彼から聞いてくれ。まず、アヤに伝えたいことがある』


 アヤはゆっくり近づいた。


 義体の右手が、座席の縁で動いた。


『君の記録から作った対話モデルに、私は、同じ人だと言ってほしかった』


 善一が、隣のアヤを見た。


 彼女は義体から目を離さなかった。


『だが、彼女はそう言わなかった。それでも、話を続けてくれた』


 声が少し途切れた。


『私は、そのおかげで、みさをの話をできた』


 アヤは長く黙っていた。


 それから、義体の手の近くへ、自分の手を差し出した。


「あなたのことも、あとで聞かせてください」


 義体の指が、彼女の指へ触れた。


 若い善一が、その肩越しに名を呼んだ。


「アヤ」


「ええ」


 彼女は振り返った。


 いつもの返事だった。


 それだけのことを、陸一郎は聞きに来たのだと思った。


 返事のできる人が、そこにいる。


     


 アヤは、陸一郎へ向き直った。


「説明していただけますね」


「はい」


「まず、お名前を」


 陸一郎は、胸元の記録体へ手を添えた。


 その中に、空一郎の人生があった。


 アリステリアの庭。


 工房の笑い声。


 病院。


 船。


 鉄と油と光の街。


 遠い世界で生まれた、結と蓮。


 誰も消えていない。


 海一郎が守る帰還経路は、まだつながっていた。


 アヤが、もう一度、静かに尋ねた。


「あなたは、誰?」


 陸一郎は、彼女の顔を見た。


 今度は、最後まで答えられた。


「あなたの孫です」


 声が震えた。


「少し、迎えに来るのが遅くなりました」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。