第114章 始祖を借りた者たち
会議の知らせは、翌朝届いた。
Holly Olive Corporation臨時役員会。
議題は、異世界接続施設および関連技術の管理。
添付された出席者名簿の末尾に、陸一郎と海一郎の名があった。
役職の欄には、こう記されていた。
始祖親族。
陸一郎は、その四文字を長く見た。
「ずいぶん、立派な肩書ですね」
向かいで朝食を取っていた律が、手を止めた。
「失礼な書き方をした」
「いえ。慣れないだけです」
陸一郎は通知を畳んだ。
「弟は、そちらでは始祖なんですね」
律は頷いた。
陸一郎は庭へ目を向けた。
昨日泣いた場所に、朝日が当たっていた。
「私には、いまも弟なので」
海一郎は役員会へ行かなかった。
ポッドの接続経路を調べ直していた。
持ち帰る記録が増え、次の帰還までに確認することも多かった。
だが、理由はそれだけではなかった。
「過去へ戻れるか、考えている?」
支度を終えた陸一郎が尋ねた。
海一郎は画面から目を離した。
「兄さんも?」
「ああ」
兄は隣へ立った。
画面には、異世界の時間軸が帯状に表示されていた。
その上に、二度の到着位置が並んでいる。
「空一郎が着いた時代まで、戻れれば」
海一郎はそこで言葉を切った。
陸一郎は続きを言わせなかった。
「まだ、誰にも話すな」
「できるかどうかも、わからない」
「だからだ」
兄は、卓上に置かれた家族写真を見た。
律とアンナ。
結と蓮。
「先に、聞かなければいけない話がある」
本社の会議室には、港を見下ろす大きな窓があった。
結は、その前に座る叔父を見た。
父のいとこに当たる男で、家では子どもの頃から叔父と呼んでいた。
経営が苦しかった時期に資金を集め、遠い土地へ何度も出向いた人だった。蓮が初めて事業所を任されたときにも、よく相談に乗っていた。
その人が、今日は結を見ずに書類を開いた。
「まず、お二人の来訪を、一族として歓迎します」
陸一郎が会釈した。
叔父は続けた。
「この喜びを、確かな事業の継続につなげたい」
結の隣で、蓮が鉛筆を置いた。
机へ配られた案には、新会社の設立が記されていた。
接続施設を中心とする研究開発。
未来技術の導入。
関連設備、資料、人員の集約。
出資の過半は、柊家の親族会社が引き受ける。
研究施設は、そこへ移管する。
「いまの会社とは分けるんですね」
蓮が尋ねた。
「危険を抱え込ませないためだ。株主にも従業員にも、説明が要る」
叔父は頷いた。
「未知の研究は、家が責任を持って引き受ける。その成果が出た段階で、本体へ還元すればいい」
役員の一人が賛意を示した。
結は案をめくった。
研究責任者。
柊結。
その下には、蓮の名もあった。
運営責任者。
結は弟を見た。
蓮は同じ頁を読んでいた。
「この案を、結は聞いていません」
律が言った。
「今日、説明するために用意した」
叔父は穏やかに答えた。
「二人とも若い。外から余計な圧力を受けず、仕事に専念できる形が必要だろう」
結が口を開いた。
「大学や、公的な研究機関の参加は?」
「もちろん、協力は求める」
「意思決定には?」
「出資者が責任を負う以上、最終判断は出資者が行う」
叔父は結へ顔を向けた。
「善意だけで施設は動かない。君も、それはわかったはずだ」
結は黙った。
わかっている。
発電機も、紙も、人の給料も必要だった。
それを理由に研究を止められると思ったことは、何度もあった。
「始祖も、工房を作り、船を持ち、稼いだ金で次を始めた」
叔父は陸一郎へ目を向けた。
「お兄様なら、ご理解いただけるでしょう」
陸一郎は書類を閉じた。
「すみません」
皆が彼を見た。
「弟が、この会社をどう経営したかは、まだ十分に知りません。私が賛成して、それを弟の意志として扱うことはできません」
叔父の表情が、わずかに変わった。
陸一郎は続けた。
「ここへ来て、知ったことの方が多いんです」
蓮が、自分の名のある頁を机へ伏せた。
「僕は、この役職を引き受けません」
結が振り返った。
叔父は眉を寄せた。
「蓮。研究所だけでは管理しきれないと、君自身が言っていた」
「いまも、そう思います」
「では、誰が管理する」
「決める必要があります。でも、親族の会社へ移せば済む話ではありません」
蓮は前の頁を開いた。
「ここには、本社の資金で設置した設備も移すとあります。その対価は、どう決めるんですか」
「査定する」
「研究成果の価値がわからないから、別会社にするんでしょう。その段階で安く移して、あとで価値が出たら、利益は出資者のものになる」
「成功しなければ、損をするのも出資者だ」
「それは、そうです」
蓮は頷いた。
「だから、僕たちが反対する理由も、わかっていただけるはずです。何を渡すのか、まだ誰にも測れない」
叔父は椅子へ背を預けた。
「では、君は、君の姉の研究費を出し続けるつもりか」
蓮の口が閉じた。
結は、弟の横顔を見た。
彼がいちばん困る問いだった。
出し続けるとは言えない。
やめろと言えば、姉を追い詰める。
自分も、この問いを何度も弟へ突きつけていた。
「研究費は、別に審査してください」
結が言った。
蓮が彼女を見た。
「私の希望額を、そのまま認める必要はありません。成果も、失敗も報告します。次へ進めないなら、進めない理由を示してもらいます」
「それで、打ち切りになっても?」
叔父が尋ねた。
結は、膝の上の手を握った。
「会社の費用で続ける分は、止めます」
言葉が、会議室へ落ちた。
「でも、そのことと、施設や資料を親族で所有することは、分けて話してください」
会議は、その場では決着しなかった。
新会社案は差し戻しとなった。
移管も、凍結された。
代わりに、会社、研究所、大学、行政の代表を交え、管理の形を検討することになった。
結には、遅すぎる進み方に思えた。
叔父には、無責任な先延ばしに見えたらしい。
退出する際、彼は蓮の前で止まった。
「君なら、稼ぐ側の責任がわかると思っていた」
蓮は立ったまま答えた。
「教えていただいたことは、忘れていません」
「なら、考え直しなさい」
叔父は去った。
蓮は追わなかった。
結も、声をかけられなかった。
三人は、港まで歩いた。
律は本社に残った。
護衛の車も断り、陸一郎が外を見たいと言ったのだった。
倉庫の前で、作業員たちが昼食を取っていた。
油のついた手を布で拭き、弁当箱を開けている。
蓮はそちらを見た。
「研究の話をするとき、僕は、あの人たちの給料を持ち出します」
陸一郎は歩調を緩めた。
「実際に、守らなければいけないんでしょう」
「はい。でも、あの人たちに、研究をどう思うか聞いたことはない」
結は弟を見た。
「私も、空一郎なら続けたはずだって、何度も思った」
彼女は港の看板を見上げた。
「本人に聞けないから、そう言えたのかもしれない」
陸一郎はしばらく黙っていた。
やがて、岸壁の手すりへ手を置いた。
「空一郎は、祖父に叱られると、よく僕のところへ来ました」
二人が顔を向けた。
「祖父さんは危険なことを恐れすぎる、と言うんです。ところが、海一郎と喧嘩したときには、今度は祖父の言葉を借りて、準備が足りないと言う」
結は目を伏せた。
蓮は、少しだけ口元を緩めた。
「立場が変わると、使う言葉も変わった。私だって、同じです」
陸一郎は二人を見た。
「弟の名前を使っても、正しい方が決まるわけではないと思います」
船の警笛が鳴った。
蓮が、その音の消えるのを待って言った。
「姉さん。発電機を持っていったとき」
「ええ」
「あれは、研究をやめさせるためじゃなかった」
「わかってる」
結は一度、息を継いだ。
「いまは、わかってる」
旧邸へ戻ると、海一郎が玄関にいた。
眠っていない顔だった。
陸一郎は弟を見るなり、足を止めた。
「何が出た」
海一郎は結と蓮を見た。
隠すべきか迷っているのがわかった。
陸一郎は、静かに首を振った。
「二人にも話してくれ」
海一郎は端末を開いた。
異世界の時間軸が、細い光の帯として現れた。
現在の接続点。
その遥か手前に、小さな点がある。
「空一郎の転送記録から、到着直後の接続を絞り込めた」
結の指先が冷えた。
蓮が尋ねた。
「そこへ、行けるということですか」
「まだ、安全性は確かめていない。ただ、到達できる可能性は高い」
誰も動かなかった。
庭で、風が葉を揺らした。
結は、ようやく声を出した。
「空一郎を、連れて帰れる?」
海一郎は答えなかった。
陸一郎が、弟の端末へ手を添えた。
「そのことを、これから考えなければいけない」
彼は結と蓮を見た。
港で笑ったときとは違う顔だった。
「あなたたちが生まれる前の、空一郎に会うことを」




