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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第112章 空から来た弟



「こちらは、柊海一郎。空一郎の家族を探しています。聞こえますか」


 銀色の球が、もう一度言った。


 結は受話器を握ったまま立ち上がった。


「聞こえます」


 声が掠れた。


 息を吸い、今度ははっきり告げた。


「私は、柊結。公的にはユリアと呼ばれています」


 球の表面に、青い光が走った。


「柊……ユイ?」


「はい」


 短い沈黙があった。


 その間に、助手が蓮を呼びに走った。


 結は輪へ近づきかけ、床の停止線で足を止めた。


「あなたは、本当に海一郎さんですか」


「空一郎の兄です」


 結は口を押さえた。


 記録の中でしか知らない名だった。


 父でも、祖父でもない。


 始祖が、帰りたいと願っていた家にいた人。


「空一郎は、そこにいますか」


 結は答えられなかった。


 球は静かに浮かび続けた。


 やがて、向こうの声が言った。


「……いま、答えにくければ、あとでいいです。まず、そちらの安全を確かめたい」


 結は目を閉じた。


 最初に伝える言葉を、あれほど考えた。


 それでも、この問いに答える準備だけは、できていなかった。


     


 海一郎の前には、地下空間の立体図が広がっていた。


 銀色の球は、最初に送り込んだ探査機だった。


 全周の映像、壁までの距離、大気の成分、重力、放射線。


 測定値が次々に並ぶ。


 画面の中央には、若い女性が立っていた。


 名乗ったあと、彼女は泣くのを堪えるように口を閉じた。


 海一郎は、その顔から目を離せなかった。


 空一郎に似ている、と言えるほどの確信はない。


 ただ、知らないはずの相手を、知らない人だとは思えなかった。


 背後で、陸一郎が尋ねた。


「人は?」


「会話できる。大気も問題ない。けれど、ここへポッドは入れられない」


 地下室は狭かった。


 輪の周囲には足場と計測器があり、頭上にも岩盤が迫っている。


 海一郎は探査機へ指示を送った。


 球が向きを変え、階段へ進む。


「ユイさん。地上の、開けた場所を案内してもらえますか」


     


 海一郎が乗り込むポッドは、空一郎の旧型機より一回り大きかった。


 低く寝かせた透明なキャノピー。角を落とした黒い外殻。側面には、細い吸気口と閉じた噴射ノズルが並んでいる。


 車輪のない、二座席のスポーツカーにも見えた。


 陸一郎が、開いた機体を見下ろした。


「空一郎が見たら、乗りたがるな」


「先に走らせる場所を探すだろうね」


 海一郎は答え、座席へ腰を下ろした。


 身体に合わせて支持材が締まり、背中と腰が固定される。


 正面の表示には、探査機が抜け出した先の風景が映っていた。


 山。


 古い鉱山の建物。


 未舗装の道。


 そして、空を見上げる人々。


 海一郎は視線を操縦席へ戻した。


 旧型機は、転移に成功すれば到着したとみなしていた。


 新型機は違った。


 機体の周囲を覆うカメラに、レーザー測距、ミリ波レーダー、熱画像。


 見えているものだけでなく、暗がりや煙の向こうまで、別々のセンサーで確かめる。


 転移先の安全を、最後まで測り続けるためだった。


「目的地、地表から十二メートル」


 海一郎が読み上げた。


「地面へ直接出ないのか」


「地面は動かないとは限らない。人もいる。空中へ出てから降りる」


 姿勢制御用の冷ガス噴射器に加え、機体の各所には短時間だけ強い推力を出すジェットスラスターが配置されていた。


 傾きの修正だけでなく、出現位置がずれた場合の横移動と、着地直前の減速にも使う。


 残量表示の下に、赤い線があった。


 帰還に必要な余裕を削ってまで、飛び続けることはできない。


「退避先は?」


 陸一郎が尋ねた。


「探査機が確認した、この斜面。そこも使えなければ、着陸せず戻る」


「光学迷彩は」


「周囲の色と光を外殻へ再現する。地上からは見えにくくなる。ただ、噴射の熱と音までは消せない」


 陸一郎は、もう一つの座席を見た。


 そこには固定された機材箱が載っていた。


 今回は、海一郎だけが行く。


 接続条件を読み、異常があれば現地で装置を直せる者が、先に渡る必要があった。


 陸一郎は弟の肩へ手を置いた。


「着いたら、まず連絡を」


「わかってる」


「空一郎にも、そう言った」


 海一郎は兄を見上げた。


 陸一郎の手に、少し力が入った。


「だから、もう一度言う。着いたら、連絡をくれ」


「必ず」


     


 鉱山の空き地から、人が退かされた。


 結と蓮は、建物の陰に立った。


 リディアも来ていた。


 今日は作用を掛けるためではない。


 その先を見るために。


 銀色の球が、頭上へ上がった。


 声がした。


「進入します。音が出ます。遮蔽物の陰から動かないでください」


 空に、薄い歪みが生じた。


 青空の一部が、濡れた硝子のように揺れる。


 次の瞬間、そこにあるはずのない山の影が、空中を滑った。


 蓮が結の腕を引いた。


 鋭い噴射音。


 乾いた土が吹き払われ、草が地面へ伏せた。


 何も見えない場所から、短い炎が斜めに走った。


 機体は、着地の直前に二メートル横へ動いた。


 風で押されたのではなかった。


 着地点へ入り込んだ小さな犬を、全周監視の映像が捉えたのだ。


 銀色の球が犬の前へ降り、光を点滅させる。


 犬が逃げた。


 低い唸りとともに、四本の着陸脚が地面へ降りた。


 まだ機体は見えなかった。


 だが、そこだけ砂埃の流れが不自然に途切れていた。


「接地確認。噴射停止」


 声がした。


 空き地の景色が、細かく割れた。


 山の色が剝がれ、草の模様が消える。


 黒い流線形の機体が現れた。


 結は、息をするのを忘れていた。


     


 操縦席で、海一郎は帰還経路の表示を確かめた。


 接続、維持。


 地上側への通信、正常。


 自動帰還までの予備時間も残っている。


 彼は送話器を開いた。


「兄さん。着いた」


 返事まで、一秒にも満たなかった。


「聞こえる」


 海一郎は目を閉じ、短く息を吐いた。


 それから外気を取り込み、キャノピーの封鎖を解いた。


     


 結が最初に見たのは、機体の縁を掴む手だった。


 次に、肩。


 男が一人、ゆっくり立ち上がった。


 記録映像の空一郎より、年上だった。


 けれど、目元が似ていた。


 眉を寄せて周囲を見る仕草にも、覚えがあった。


 海一郎は地面へ降りた。


 靴の下で、小石が鳴った。


 彼は山を見た。


 鉱山の建物を見た。


 遠くから、汽笛が聞こえた。


 その音に振り返る。


 谷の下を、貨物列車が走っていた。


 機関車の側面に、葉の印があった。


 海一郎の視線が止まった。


 作業場の扉にも。


 燃料の缶にも。


 線路脇の標識にも、同じ印がある。


 Holly Olive Corporation。


「……柊」


 彼は呟いた。


 結が、一歩前へ出た。


「海一郎さん」


 男は振り返った。


 近くで見ると、その顔には疲れが刻まれていた。


 探し続けた人の顔だった。


「ユイさん?」


「はい」


 海一郎は彼女を見た。


 次に、その隣の蓮を見た。


 似た顔の二人。


 若い姉と、弟。


 問いが口になるまでに、長い時間がかかった。


「あなたたちは、空一郎の——」


「子孫です」


 結は答えた。


「空一郎と、アリステリアの」


 海一郎の唇がわずかに開いた。


 何か言おうとして、言葉が出なかった。


「ここでは、どれくらい経ったんですか」


 結は、年代を告げた。


 海一郎は動かなかった。


 背後で、ポッドの冷却機が回っていた。


 空一郎を探していた時間と、この世界に流れた時間が、彼の中で初めて向かい合った。


「空一郎は」


 声が、途中で切れた。


 結は目を逸らさなかった。


「この世界で、生涯を送りました」


 海一郎は足元を見た。


 黒い機体の影が、土の上に落ちていた。


「……帰れなかったんですね」


「はい」


 結の頬を涙が伝った。


「でも、一人ではありませんでした」


 男の顔が歪んだ。


 結は続けた。


「会っていただきたい人がいます」


     


 地下室の義体は、支持枠に支えられて座っていた。


 海一郎は、入口で足を止めた。


 空一郎の機材目録で見たことがある。


 だが、写真と違って、右手が動いていた。


 結が切替器へ手を伸ばした。


 CHUYUの声がした。


『海一郎。到着を確認できて、うれしく思います』


 海一郎は、義体へ近づいた。


「CHUYU……空一郎と、ずっと?」


『はい』


「最後まで?」


『最後まで、そばにいました』


 海一郎は顔を伏せた。


 義体の右手が、少しだけ伸びた。


 まだ、彼へ届くほどは動かない。


 海一郎が、その手を取った。


 結は二人の間で、しばらく待った。


 それから、小さく言った。


「もう一人、います」


 右手の力が抜けた。


 切替器が鳴る。


 短い沈黙のあと、義体の指が、海一郎の手を握り直した。


『海一郎』


 男が顔を上げた。


 よく知る声だった。


『背が伸びたな』


「……祖父さん?」


 義体の首は、動かなかった。


 顔にも表情はなかった。


 それでも、右手だけが、確かに彼の手を握っていた。


『私本人ではない。空一郎が持ってきた、昔の私の記録だ』


 海一郎は何度も頷いた。


 説明は、頭ではわかっていた。


 それでも、口から出たのは別の言葉だった。


「見つけたよ」


 彼は、祖父の手を両手で包んだ。


「やっと、行き先を見つけた」


 海一郎の腕で、通信機が小さく光った。


 陸一郎からだった。


 結はその光を見て、静かに椅子を一つ運んだ。


 海一郎は座らなかった。


 手を離さず、目を閉じたまま、しばらくそこに立っていた。


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