↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
114/127

第111章 世界を一つ、数え忘れた



 陸一郎は、上着も脱がずに画面を覗き込んだ。


「この女の人は?」


「映像は残っていない。祖父さんの記述だけだ」


 海一郎は青い帳面を開いた。


 柊。


 若い女性。こちらの信号に応答。


 その隣の頁には、何度も写し直された文字の断片があった。


 空一郎。


 兄は、その名へ指を置いた。


「本人ではないんだな」


「少なくとも、祖父さんには女性に見えた」


「空一郎を知っている誰かか」


「その可能性がある」


 陸一郎は椅子へ座った。


 海一郎が長く避けてきた問いを、兄はすぐに口にした。


「向こうでは、何年経っている?」


 冷却装置の音がした。


「わからない」


「一日かもしれないし、十年かもしれない?」


「もっとかもしれない」


 兄は黙った。


 海一郎は画面を切り替えた。


 空一郎の転送記録。


 祖父の受信時刻。


 これまで座標の誤差として処理してきた値が、赤く残されている。


「僕たちは、時刻と場所を合わせれば見つかると思っていた」


 海一郎は言った。


「同じ世界の、どこかだと思っていたんだ」


     


 Noös Gateの前に、椅子が一脚運び込まれた。


 結が頼んだものではなかった。


 保安技師が、自分で置いた。


「立って見ていると、近づきたくなるでしょう」


 結は椅子を見た。


「座っていても、近づきたくはなります」


「では、そのつもりでいてください。私も見ています」


 計測室の窓の向こうで、助手が笑いを堪えた。


 今日は、短い通信を三回行う。


 各回の間には十分な休止を置き、出力も前回から上げない。


 送るのは、名前と、短い記録だった。


 結は手元の紙を読んだ。


 柊空一郎。


 彼は、この世界で生きました。


 そのあとに家族の名を続けようとして、昨夜、何度も書き直した。


 妻。


 子ども。


 帰れなかった年月。


 一度に伝えれば、受け取る人の理解を超える。


 何より、あちらには、まだ幼い空一郎がいる。


 結は最後の一文だけを残した。


 彼が残した家族から、送っています。


 隣で蓮が、その紙を見ていた。


「これを読んだら、祖父さんは怖くなるかもしれないね」


「ええ」


「それでも?」


 結は輪へ目を向けた。


「知らないまま待ち続けるよりは、伝えたい」


 蓮は頷いた。


「では、記録を残そう。何を、どの順番で送ったか」


     


 一回目は、名前しか届かなかった。


 向こうの研究室で、善一が紙を掲げた。


 空。


 その次に、読めない箇所を示す横線。


 最後に、郎。


 結は受信したことを示す符号を返した。


 善一が何かを書き加える。


 もう一度、紙が上がった。


 空一郎か。


 結は二度、光を遮った。


 肯定。


 向こうの男は、しばらく動かなかった。


 やがて椅子へ座り、顔を両手で覆った。


 結は送信する手を止めた。


 残り時間が減っていく。


 それでも、次の文を出せなかった。


 終了の合図が鳴った。


 遮断板が降りる直前、善一は顔を上げた。


 紙に書き、こちらへ向ける。


 今、どこにいる。


 輪の像が消えた。


     


 二回目の接続まで、結は何も食べられなかった。


 リディアが差し出した湯を、少しずつ飲んだ。


「知っている人だったのね」


 リディアが言った。


「誰が?」


「始祖が。あの人にとっては」


 結は湯呑みを握り直した。


 空一郎の名を出せば、向こうも喜ぶかもしれない。


 そう考えていた。


 実際に見たのは、幼い孫の名を、知らない相手から告げられた祖父の顔だった。


「次は、こちらのことを話す」


「ええ」


「返事を急がせないようにする」


 リディアは結の肩へ触れた。


「あなたもね」


     


 二回目は、像が悪かった。


 善一の顔は見えず、白い紙だけが闇に浮かんだ。


 結は短い文を、一行ずつ送った。


 この世界で、生きた。


 家族を持った。


 私たちは、その家族。


 文字のいくつかは崩れ、途中で途切れた。


 同じ部分を繰り返すうちに、終了時刻が近づいた。


 向こうから紙が出された。


 いつ。


 次に、もう一枚。


 帰れるか。


 結は唇を噛んだ。


 いま、この短い接続で答えるには、どちらの問いも重すぎた。


 彼女は用意していた紙を取った。


 記録を残してください。


 それから、柊の文字をもう一度掲げた。


 最後に見えたのは、善一が机へ向かい、何かを急いで書きつける姿だった。


     


 青い帳面の次の頁を見つけたとき、海一郎は声を出した。


「兄さん」


 陸一郎が顔を上げた。


 薄い紙が一枚、綴じ目へ挟み込まれていた。


 裏へ回り込んだ頁に貼りつき、最初に開いたときには見落としていたものだった。


 文字は少ない。


 世界。


 生。


 家族。


 その下に、善一の字があった。


 空一郎が将来、遠方へ渡ることに関わる通信か。


 受信内容に過去形と思われる箇所あり。誤読の可能性。


 陸一郎が紙を受け取った。


 海一郎は続きを読んだ。


「『装置の異常ではなく、接続先の指定に欠落があると考える。時空の座標のみでは足りない可能性』」


 二人は画面を見た。


 祖父は、そこまで考えていた。


 けれど、理論を確かめるための送信元がなかった。


 海一郎には、空一郎の転送記録がある。


 送り出した瞬間の、機器の変化が残っている。


 受信側の記録と、初めて組にできる。


「同じ場所に、違う世界が重なっているとしたら」


 海一郎は計算画面を開いた。


「距離をいくら補正しても、合わない」


 陸一郎が尋ねた。


「世界そのものを指定する値が、必要なのか」


「うん。空一郎は、それを指定せずに転送した。装置は、別の条件でつながる先を選んだんだと思う」


「祖母さんの事故の日へ行くはずだったのに」


 海一郎は頷いた。


 弟は過去へ向かった。


 その行き先に、世界を区別する情報が足りなかった。


 画面上の赤い値を、海一郎は消さなかった。


 座標の外れ値として除く代わりに、新しい軸へ移した。


 計算が走る。


 いつまでも揺れていた点が、細い帯の中へ収まり始めた。


     


 三回目の接続は、翌日へ延期した。


 結が決めた。


 リディアの疲労もあった。


 だが、それだけではなかった。


 向こうの人にも、考える時間が必要だった。


 帰宅した結を、地下室の声が迎えた。


『今日は、よく止まったね』


 善一AIが言った。


 結は椅子へ座った。


「あのときのあなたは、空一郎に話した?」


『一部は』


「自分の名が届いたことも?」


『未来からのものかもしれないと話した。まだ幼い子だったからね。私にも、確かなことはわからなかった』


 結は手を見つめた。


 祖父の書斎で交わされた、家族の会話。


 それが空一郎の記憶に残った。


 そして、彼が遠い世界へ来てから、AIの中にも残された。


 自分は、その会話が始まる場所へ信号を送り返している。


「どこが最初なのか、わからなくなる」


『わからないまま、扱うしかないこともある』


 善一AIは答えた。


『だから、相手の人生をこちらの計画に合わせようとはしないことだ』


 結は顔を上げた。


『君が今日見た私は、まだ、何が起きるかを知らない。ここにいる私と、同じように話せるわけではない』


「……ええ」


 結は送信案を開き、書いていた一文へ線を引いた。


 空一郎を、止めてください。


 何度も迷い、結局は送らなかった文だった。


 その下へ、別の言葉を書いた。


 彼は、帰ることを願っていました。


     


 その夜、義体の上半身が初めて起き上がった。


 肩と腰を支える枠を使い、職人と助手が左右から補助した。


 自力で座ったとはいえなかった。


 首も、顔も、まだ動かない。


 それでもCHUYUの視覚装置が通電すると、壁の機器ではなく、義体の方から声がした。


『視野が変わりました』


 結は正面に立った。


「私が見える?」


『はい』


「どう?」


『睡眠が不足しているように見えます』


 助手が笑った。


 結も、少し遅れて笑った。


「ほかには」


『背が伸びました』


 結は口を閉じた。


 CHUYUが最後にこの視点から見たのは、何世代も前の人々だった。


 それでも、その言葉は自分へ向けられているように聞こえた。


 彼女は義体の前へ椅子を置き、腰を下ろした。


「これなら、目の高さが合う?」


『合っています』


 結は右手を差し出した。


 義体の指が、彼女の人差し指へ触れた。


 わずかな力だった。


 温度は、まだ人の手とは違っていた。


 結はその手を離さずに言った。


「いつか、向こうの家族にも会って」


『そのためには、さらに修復が必要です』


「直すわ」


 今度は、簡単に言ったつもりではなかった。


     


 海一郎の計算が止まったのは、午前三時だった。


 表示された接続候補は、一つではなかった。


 細い帯の中に、幾つもの点が並んでいる。


 同じ世界へ続く、異なる時刻。


 そこに古い受信波形を重ねると、一つの範囲だけが強く浮かんだ。


 陸一郎が椅子を寄せた。


「見つかったのか」


「向こうから、何かが開いている」


 海一郎は波形を拡大した。


「祖父さんが受け取ったのと、似た揺れがある。弱いけど、いまも」


「いま?」


「僕たちの時刻に対して、向こうのいつがつながっているかは、まだわからない。でも、追える」


 陸一郎は立ち上がった。


 壁際に置かれた転移装置へ歩いていく。


 空一郎の出発後、何度も設計を変えた装置だった。


 帰還経路を維持するための機構も、すでに加えられている。


「人を送るのは、まだだ」


 海一郎が言った。


 兄は頷いた。


「何から始める」


「探査機。信号だけでなく、向こうの状態を持ち帰れるもの」


「わかった」


 陸一郎は装置の前へしゃがんだ。


 弟が消えた場所へ、手を置く。


「今度は、帰り道をつなぐ」


 海一郎は兄の背を見た。


 空一郎を迎えに行く。


 そのために二人が続けてきた仕事が、初めて、出発の準備へ変わった。


     


 翌朝、Noös Gateの監視室で、助手が結を呼んだ。


 通信試験は、まだ始めていなかった。


 送信側の電源は切れている。


 リディアも到着していない。


 それなのに、記録器へ一定の間隔で印が刻まれていた。


 短い揺れ。


 間。


 もう一度、同じ揺れ。


 結は時計を見た。


「いつから?」


「七分前です。ずっと、同じ形です」


 波形の脇へ、計測器が位置の推定値を出していた。


 昨日まで接続していた研究室とは、値が違った。


 結は受話器を取った。


「CHUYU。こちらから何も送っていないのに、信号が来ている」


 返事を待つ間、輪の前で小さな音がした。


 石の床に、白い光が一つ落ちた。


 光は転がらなかった。


 空中へ浮かび、ゆっくり向きを変えた。


 指先ほどの、銀色の球だった。


 結は椅子から動けなかった。


 球の表面で、小さな点が灯る。


 一瞬の雑音。


 次に、人の声がした。


「こちらは、柊海一郎」


 結の手から、鉛筆が落ちた。


「空一郎の家族を探しています。聞こえますか」


 銀色の球は、返事を待つように、その場で静止していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。