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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第106章 待つための機械



 何も起きない時間を記録するために、結は紙を買い足した。


 研究所へ届いた包みを見て、助手が尋ねた。


「何日分ですか」


「いまの速度なら、六日」


「六日、回し続けるんですか」


「機械は。私たちは交代する」


 助手は紙の束を抱え直した。


「先に、そちらを伺いたかったです」


 結は勤務表を渡した。


 自分の名が、夜の欄に多く並んでいる。


 それを見た助手は、紙を返さずに言った。


「所長にも見せます」


「どうして?」


「私が交代する時間に、先生が眠っていてくださらないと困ります」


 結は言い返しかけ、やめた。


 昨夜、報告書の日付を前日の日付で書いていた。


 助手は、それを見ている。


「……直すわ」


     


 六日間、発電機を動かす案は、蓮に止められた。


「燃料が要る」


「計算した」


「夜通し見張る人も要る」


「交代表を作った」


「それから、これ」


 弟は、発電機の運転説明書を開いた。


 定期点検までの時間に、赤い線が引かれている。


「借りものだから、壊すわけにはいかない」


 結は説明書を見た。


 自分が計算したのは、出力と燃料の量だった。


 長く動かすことに、それ以外の条件があると、考えが及んでいなかった。


「では、途中で止めるしかない?」


「全部を止める必要はないと思う」


 蓮は椅子を引いた。


「何を、動かし続けなければいけないの」


 結は図面を広げた。


 作用を与える装置。


 状態を確かめる計測器。


 針の動きを紙へ写す記録器。


 時計。


 一つずつ指さして説明すると、弟は途中で鉛筆を取った。


「送る方は、最初だけ?」


「まずは、そのつもり」


「なら、これは切れる」


「ええ」


「記録器は、工場で使っているものに替えられない?」


 結は図面を覗き込んだ。


「感度が足りない」


「動きを拾うところは、そのままにして。紙を送る方だけ」


 結は黙った。


 蓮は続けた。


「蒸気圧の記録器には、ぜんまいで紙を回すものがある。電気を止めても、紙は動く」


「時計と、記録器の進み方がずれたら?」


「途中に時刻の印を入れる。それも時計職人に聞こう」


 結は弟の鉛筆を借りた。


 図面の端へ、別の駆動部を描く。


 昼間に蓄電池を充電し、夜は必要な部分だけを動かす。


 発電機には休止時間を作る。


 古い機材にも、余計な負担を掛けない。


「……できるかもしれない」


「できるかどうか、先に見てもらおう」


 蓮は説明書を閉じた。


「僕たちが描いたからといって、機械がその通り働くとは限らないからね」


     


 時計職人は、図面を見てから二人を見た。


「今度は、時計ですな」


「半分くらいは」


 結が答えると、職人は頷いた。


「では、前回よりは得意です」


 工場から届いた記録器を分解し、紙を送る軸を指で回す。


 油の具合を見て、歯車の遊びを確かめる。


 結が尋ねた。


「六日間、止めずに回せますか」


「ぜんまいは巻かなければなりません」


「巻く間に止まる?」


「止まらないようにできます。ただし、巻く時刻と、触った者の名を記録してください」


「それで、誤差がわかるの?」


「人が触ったために針が動いたとき、誰かが発見したと思い込まずに済みます」


 蓮が、小さく頷いた。


 結はその注意を書き留めた。


 研究は、次第に人の手順で埋まっていった。


 何時に電圧を読むか。


 誰が時計を合わせるか。


 紙を替えたとき、どこへ印をつけるか。


 これまでなら、結がその場で決めていたことばかりだった。


 自分が眠っている間にも続けるには、一つずつ言葉にして渡す必要があった。


     


 連続観測を始める前日、リディアが一冊の古い帳面を持ってきた。


 表紙には、水に濡れた跡があった。


「家に残っていたものよ」


 結は手を洗い、よく拭いてから受け取った。


 中には、畑の境界や井戸の深さが記されていた。


 出産の日付。


 屋根を直した費用。


 数頁おきに、違う筆跡へ変わる。


「研究の記録?」


「暮らしの記録。その中に、使えるものがあるかと思って」


 リディアは、細い紙の挟まれた頁を開いた。


 輪郭の崩れた円が描かれていた。


 その周囲に、小さな線がいくつも並んでいる。


 結は坑道の石に刻まれた溝を思い出した。


「どこで描いたの?」


「場所は書かれていない。これを書いた人の名前も、はっきりしないの」


「エレオノーラから伝わったもの?」


「家では、そう言われていた。でも、その言い方で古いものを全部まとめてしまうこともあるでしょう」


 結は頷いた。


 柊家にも、そうした品はあった。


 始祖が使ったという椅子が、別々の家に三脚残っている。


 それだけでは、どれが本物かはわからない。


 円の下に、短い文があった。


 古い綴りを、リディアが指で追った。


「『閉じてより、なお待つこと』……たぶん、こう読める」


 結は顔を上げた。


「何を閉じるの?」


「そこが、わからない」


 次の頁は破れていた。


 切り取られたのか、傷んで失われたのかも判断できなかった。


「都合がよすぎるわね」


 リディアが言った。


「私たちが待とうとしているときに、待てと書かれたものが出てくるなんて」


「だから、これを理由にはしない」


 結は観測計画の横へ、帳面を置いた。


「でも、写させて。あとで、違う意味だったとわかるかもしれない」


 リディアは頷いた。


「そのために、持ってきたの」


     


 連続観測は、朝の九時に始まった。


 輪の前に立ったリディアが、一度だけ作用を掛けた。


 結は古い部品へ、決められた短い入力を与えた。


 小さな振動が、記録紙に山を作った。


 送信側の電源を切る。


 計測系統だけが残った。


 全員が、しばらく針を見ていた。


 何も起きなかった。


 十分が過ぎた。


 二十分。


 助手が電圧を読み、蓮が時刻を確かめた。


 結は、針から目を離した。


「では、交代表通りに」


 そう言った自分が、いちばん立ち去りたくない顔をしていたらしい。


 リディアが彼女の外套を取った。


「朝食の続きがあるでしょう」


「もう食べた」


「飲み物だけだったと聞いたわ」


 結は助手を見た。


 助手は、静かに記録用紙へ書き込みを続けた。


     


 一日目には、何も起きなかった。


 二日目の朝、紙に大きな揺れが記録されていた。


 結が駆けつけると、夜勤の助手は青い顔で待っていた。


 午前二時十四分。


 その時刻に、記録器の台へ膝をぶつけたという。


「すみません」


「書いてある?」


「はい」


「なら、大丈夫」


 結は記録紙の端へ、助手の記載を転記した。


 何が原因かわかる揺れは、消す必要がなかった。


 それも、この機械が何を拾うかを知る記録になった。


 三日目には、雨が降った。


 坑道の水滴が増え、針の細かな震えも増えた。


 結は雨量の記録を、村役場へ借りに行った。


 四日目、資産管理部から書類が届いた。


 調査成果の報告先。


 資料の保管場所。


 外部への公表に関する事前協議。


 結は最初の頁を読み、封筒へ戻した。


 あとで読む。


 そう思って机へ置くと、リディアがその表題を見た。


「私の帳面も、ここへ預けることになるの?」


 結は顔を上げた。


「いいえ。あなたの家のものよ」


「測定に使ったら?」


 結は答えられなかった。


 リディアは封筒には触れず、自分の帳面を鞄へ戻した。


「書き写した分は使って。でも、原本は今日は持って帰るわ」


「ええ」


 引き留める理由は、結にはなかった。


     


 五日目の夕方、義体の右手の配線交換が終わった。


 結が坑道を離れている間に、時計職人と助手が作業を進めていた。


 新しい絶縁材は、未来の素材と同じものではなかった。


 耐えられる条件を確かめるため、別の試料で何度も試験した。


 その結果を読んでから、結は通電を許可した。


 右手の人差し指が曲がった。


 今度は、途中で止まらなかった。


 伸ばす指令を送る。


 ゆっくりと、元の位置へ戻る。


 結は時計を見た。


 温度を確かめた。


 もう一度だけ繰り返し、電源を落とした。


「今日は、ここまで」


『異常な温度上昇はありません』


 CHUYUが報告した。


「明日も同じことをする」


『承知しました』


 結は作業記録へ署名した。


 動いた喜びが、今度は静かに続いていた。


 もう一回試せば、もっと曲がるかもしれない。


 ほかの指も動くかもしれない。


 そう考えながら、工具を片づけた。


『途中でやめられるようになったね』


 善一AIが言った。


「明日も、あなたたちはここにいるでしょう」


『その予定だ』


「では、明日」


 結は義体の右手へ布を掛けた。


 曲がったままではなく、開いた手の上へ。


     


 六日目の未明、坑道から電話が入った。


 受話器を取ったのは、蓮だった。


 結は机に伏せて眠っていた。


 地下から上がって、観測記録を整理している途中だった。


 蓮は電話の向こうの助手に、何度か尋ねた。


「触った人は?」


 返事を聞く。


「発電機は、まだ止まっている?」


 もう一度、頷く。


「姉を起こす。紙は、そのままにして」


 受話器を置き、結の肩へ手を掛けた。


 結はすぐに目を開けた。


「何時?」


「四時過ぎ」


「交代は六時……」


「針が動いた」


 結は立ち上がった。


 椅子が後ろへ倒れた。


     


 夜明け前の道を、自動車が走った。


 結は外套の釦を掛けながら、助手から聞いた内容を蓮に尋ねた。


 針は、三度動いた。


 大きさは、前の試験で見たものより小さい。


 そのあと、止まった。


 記録器には誰も触っていない。


 蓄電池の電圧も、確認した範囲では変わっていない。


「三度、同じ形?」


「電話では、そこまではわからない」


「時刻は?」


「四時二分から、四時三分の間」


 結は窓の外を見た。


 まだ、山の輪郭しか見えなかった。


「返事だと思っている?」


 蓮が尋ねた。


 結はすぐには答えなかった。


「……そう思いたい」


 弟は前を向いたまま頷いた。


 結は続けた。


「だから、あなたも見て」


     


 記録紙には、小さな山が三つ並んでいた。


 それぞれの間隔は等しくなかった。


 最初から二つ目までが短く、二つ目から三つ目までは長い。


 振動の形も、入力したものとは違っていた。


 結は、時計の印と照らし合わせた。


 助手の記録を読み、机の固定具を確かめた。


 坑道内を歩き、石の輪の周囲を見た。


 落ちた石はない。


 水が新しく流れ込んだ跡も、見当たらない。


 蓮は発電設備の運転表と、夜勤者の記録を並べていた。


 リディアも、ほどなく到着した。


 眠そうな顔で記録紙を覗き込み、しばらく黙った。


「私、昨日は触れていない」


「ええ」


「一昨日も」


「わかってる」


 結は椅子へ座った。


 送信から、ほぼ五日。


 何も起きなかった時間の先に、この揺れがあった。


 それが送信と関係しているかどうかさえ、まだわからない。


 結は紙の端へ書いた。


 原因不明の変化、三回。


 それ以上は、書かなかった。


     


 朝日が坑口へ差し込む頃、蓮が温かい茶を持ってきた。


 結は両手で湯呑みを包んだ。


「六日で止める予定だったね」


 蓮が言った。


「ええ」


「紙は?」


「残り、半日」


「町の倉庫に、同じものがあるか調べる」


 結は弟を見た。


「予算は?」


「まず、値段を聞く。それから考える」


 蓮は隣の椅子へ座った。


 しばらく、二人で記録器を見ていた。


 紙は、一定の速さで送られていく。


 針は静かだった。


「姉さん」


「何?」


「あの書類、読んだ?」


 結は湯呑みを置いた。


「まだ、全部は」


「読んでおいて。リディアさんにも、説明が要る」


「彼女は、会社の研究員ではないわ」


「だからだよ」


 蓮は記録紙へ目を戻した。


「何も決まっていないうちは、あとで互いに違うことを言い出す」


 結は、鞄に入れた封筒を思い出した。


 輪の石と、借りた発電機。


 空一郎の部品と、リディアの家の帳面。


 この机へ集まるまで、それぞれ別の場所にあったものだった。


「今日、読む」


 結が答えると、蓮は頷いた。


     


 その日の昼、結は観測期間の延長を申請した。


 理由の欄には、六日目の変化を記した。


 通信の成功とも、返答の受信とも書かなかった。


 報告に添えた三つの山は、紙の上では頼りなく見えた。


 けれど、結はその前後を切り落とさず、長い記録紙のまま提出した。


 何も起きなかった五日間も、一緒に。


 坑道では、交換された新しい紙が回り始めていた。


 時計職人が歯車の音を聞き、助手が時刻を記す。


 リディアは輪から離れた椅子で、家の帳面を読み返していた。


 結は針の前を通り過ぎ、交代表の次の担当者へ声をかけた。


「では、お願いします」


 外へ出ると、昼の光が眩しかった。


 今度は、眠るために帰る。


 結が見ていない間も、機械は待ち続ける。


 そのことを、初めて少し信じられるようになっていた。


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