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時を継ぐ者たち The Heirs of Time  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第105章 残っていない返事



 空一郎の最初の送信記録には、四十七秒の空白があった。


 結は、その前後を三度読み返した。


 装置の起動。


 接続条件の確認。


 出力の上昇。


 そこから先だけ、数値が抜けている。


 次に記録されているのは、安全装置が作動し、電源が落ちた時刻だった。


「この間は、何が起きていたの?」


『記録機構が停止していました』


 CHUYUが答えた。


「送信も?」


『独立した記録がないため、確認できません』


 結は椅子にもたれた。


 昨日から、同じ場所を回っていた。


 送ったかもしれない。


 届いたかもしれない。


 返事があったかもしれない。


 どれも、否定する記録がない。けれど、それだけでは、何一つ確かめたことにならなかった。


 机の端には、空一郎の手帳が開かれていた。


 着いたと知らせるだけでも、できないか。


 結はその頁を閉じ、観測帳を手前へ引いた。


「今日は、坑道へ行く」


『送信記録の調査は?』


「続ける。でも、こちらで確かめられることを先にする」


 善一AIの声がした。


『それがいい』


     


 リディアは、坑道の入口で長靴についた泥を落としていた。


 結を見ると、脇に置いていた包みを拾った。


「今日は、先に食べて」


「まだ朝よ」


「昼に食べるのを忘れるから」


 包みの中には、厚く切ったパンと、煮た豆を挟んだものが入っていた。


 結は礼を言って受け取った。


 リディアは、その腕に抱えられた箱を見た。


「今日は、何をするの?」


「向きを変える」


「箱の?」


「実験の」


 坑道の机には、新しい器具が置かれていた。


 古い金属部品を固定する台。


 その脇の、小さな駆動機構。


 さらに離れた場所には、石の輪へ向けた鏡と、細い針があった。


 結は蓮が手配した発電機の運転表を確かめ、助手へ頷いた。


「これまでは、あなたが輪へ作用を掛けて、部品が動くのを見たでしょう」


「ええ」


「今日は部品の方へ、ごく小さな変化を与える。輪の側で何か起きるか、別の器具で測る」


 リディアは石の輪を見た。


「私は?」


「初めは何もしないで」


「楽な仕事ね」


「そのあと、条件を変えて、少しずつ」


 結は机の上の紙を示した。


 一回ごとの手順と、中止する条件が書かれている。


 リディアは最後まで読み、結へ返した。


「昨日より、休憩が増えている」


「昨日、あなたが帰りの車で眠っていたから」


「あれは、道が退屈だったの」


「道の途中で三度、頭を窓にぶつけていたわ」


 リディアは口を閉じた。


 結はパンの包みを机の隅へ置いた。


「お互い、見ていないといけないみたいね」


     


 最初の二組では、輪に変化はなかった。


 古い部品は、指令通りにわずかに振動した。


 計測針も動いた。


 だが、輪の側の記録は、坑道の地面から伝わる振動と区別できなかった。


 結は器具を別の台へ移し、駆動部分を柔らかな支持材で支えた。


 それでも、同じだった。


「地面を伝わっている」


 助手が言った。


「ええ」


 結は記録紙に線を引いた。


 発見したように見えるものの大半は、こうして消えていく。


 箱の緩み。


 床の傾き。


 人が近くを歩いた振動。


 結は、そのどれにも名前をつけ、帳面に残した。


 昼前、リディアに輪へ作用を掛けてもらった。


 続いて、ごく弱い出力で古い部品を動かした。


 輪の側の針が揺れた。


 助手が顔を上げたが、結は手を挙げて止めた。


 同じ手順を、複製部品でも繰り返す。


 針は、やはり揺れた。


 結は息を吐いた。


「これも、違う」


 リディアは椅子に座り、手袋を外した。


「何も起きない方が、説明は簡単ね」


「起きたように見えて、違うとわかる方が助かることもある」


「では、今日はよく助かっているわ」


 結は笑った。


 笑ってから、パンの包みを開いた。


     


 午後、蓮が二人の男を連れて来た。


 一人は電気技師だった。


 もう一人は、よく仕立てられた外套を着ていた。


 坑道に入る前、靴についた泥を長く気にしていた。


「本社の資産管理部から」


 蓮が紹介した。


「設備の登録を確認したいそうなんだ」


 男は丁寧に頭を下げた。


 結は会釈を返したが、机の前から離れなかった。


「いま、測定の途中です」


「承知しております。お仕事を妨げるつもりはありません」


 男は輪へ目を向けた。


「こちらが、発見された構造物ですね」


「露出している部分は」


「規模は?」


「まだわかりません」


「地下全体へ続いている可能性は?」


「調べているところです」


 男は手帳へ何か書いた。


 結は、自分の返事より多くの文字が書き込まれていくのを見ていた。


「会社の所有地で、会社の費用による調査です。成果が見込まれる場合には、権利関係を早めに整理しておく必要があります」


「成果は、まだ何も確認していません」


「もちろん。ですが、確認されてからでは遅いこともあります」


 蓮が口を開いた。


「今日は設備の所在と借用記録だけでいいでしょう。その先は、父と研究所長を交えて」


 男は一瞬、蓮を見た。


 それから、穏やかに頷いた。


「そのようにいたしましょう」


 結は何も言わなかった。


 男が発電設備を見に出ていったあと、蓮が近づいてきた。


「急に連れてきて、ごめん」


「あなたも、初めから知っていた?」


「駅で会った。同行させてくれと言われた」


「断れなかったの」


 蓮の表情が固くなった。


「隠していると思われる方が、面倒になる」


「隠すものなんてない」


「なら、見せていい」


 結は弟を見た。


 蓮も目を逸らさなかった。


 机の上で、時計が小さく鳴った。


 リディアの休憩時間が終わったのだった。


「測定を続ける」


 結が言うと、蓮は一歩退いた。


     


 その日の最後の測定は、失敗するはずだった。


 助手が部品を固定し直した際、台の角度を変えていた。


 結は記録を見て気づき、元へ戻そうとした。


「待って」


 リディアが言った。


 彼女は輪の前に立っていた。


「今のまま、もう一度」


「どうして?」


「少し、感じが違う」


 結は台から手を離した。


「何も掛けていないわね?」


「ええ」


 結は助手へ目を向けた。


 出力は、午前と同じ。


 継続時間も同じ。


 蓮は坑道の入口近くで、資産管理部の男と話していた。


 結は、声を落として言った。


「開始」


 古い部品が微かに震えた。


 輪の側の針は動かなかった。


 結は時計を見た。


 五秒。


 十秒。


 助手が終了時刻を書こうとした。


 そのとき、針が動いた。


 ほんの少しだけだった。


 右へ。


 戻って、もう一度右へ。


 結は何も言わず、時計の秒針を見つめた。


 針は止まった。


「もう一回」


 同じ出力。


 同じ角度。


 今度は、何も起きなかった。


 三度目にも、起きなかった。


 リディアが輪へ近づいた。


 掌を向け、短く息を吐いた。


 結は、その時刻を記した。


 もう一度、部品を動かす。


 針は、すぐには応じなかった。


 結は待った。


 やがて、最初とほぼ同じ間を置いて、二度揺れた。


     


 帰り支度を始めても、結は記録紙を手放さなかった。


 リディアは疲れていた。


 助手も、同じ数字を二度書き違えた。


 だから今日は終わりにした。


 続ければ、もっともらしい誤りを増やす。


 結は自分へそう言い聞かせた。


 蓮は、資産管理部の男を先に帰していた。


 坑道の外で、発電機の停止を待っていた。


「何かあった?」


 結は記録紙を箱へ収めた。


「まだ、わからない」


「そうか」


 弟は、それ以上尋ねなかった。


 結には、その遠慮がかえってつらかった。


 しばらく並んで歩いてから、彼女は言った。


「同じことをして、二回だけ、似た反応が出た」


 蓮が顔を向けた。


「二回?」


「二回では足りない。条件も、全部は揃っていない」


「それでも、さっきまでとは違うんだね」


 結は頷いた。


 蓮は坑口を振り返った。


「権利の話、早めにした方がいい」


 結の足が止まった。


「今日、言うこと?」


「今日、聞いたからだよ」


 弟は続けた。


「僕が黙っていても、ほかの人は考える。父さんが代表でいるうちに、決めておいた方がいい」


 結は答えられなかった。


 弟の言葉が、警告なのか、会社の側に立った要求なのか、すぐには分けられなかった。


     


 夜、地下室で二つの記録を重ねると、揺れの形はよく似ていた。


 最初に小さな山。


 少し戻る。


 そのあと、もう一つの山。


 入力した振動は一度だけだった。


「残響?」


 結が尋ねた。


『その可能性があります』


 CHUYUが答えた。


「輪の中で、何かが往復した?」


『それも、現段階では仮説です』


 結は画面を拡大した。


 善一AIが言った。


『間隔が一定かどうかを、先に確かめなさい』


「ええ」


『二度の記録が似ているからといって、同じ原因とは限らん』


「わかってる」


 言いながら、結は少し笑った。


「喜ぶのも、難しいのね」


『喜んでかまわんよ。結論を急がなければ』


 結は二つの波形を印刷し、机に置いた。


 そこへ、昼間の男の言葉が戻ってきた。


 権利関係を早めに整理する。


 会社の所有地。


 会社の費用。


 どれも、間違いではなかった。


 発電機は借りものだった。


 補強された坑道も、助手の給料も、机の上の紙さえ、誰かが払っていた。


 だが、この現象がもし、自分たちの考えている先へ続いていたら。


 会社の帳簿に載せるだけで済むのだろうか。


「CHUYU」


『はい』


「空一郎の装置は、会社の財産?」


『現在の保管目録では、柊家から研究所への寄託品として扱われています』


「あなたの身体は?」


 短い間があった。


『同じ目録に記載されています』


 結は、作業台を見た。


 義体の右手には、交換する配線の位置を示す小さな札がついていた。


「……そう」


 それ以上、うまく言葉にできなかった。


     


 結は、今日の報告を書き始めた。


 再現は不十分。


 遅れて生じた二度の変化。


 角度による違い。


 魔法を用いた前後の条件。


 最後に、今後必要な測定を列挙した。


 途中で手を止め、報告の表題を見た。


 炭鉱遺構における異常振動の調査。


 それで、いま確かめたことは表せていた。


 けれど、何を探しているかは、どこにも書かれていなかった。


 結は別の紙を取った。


 空一郎の通信記録。


 欠けた四十七秒。


 受信の成否は確認できていない。


 今日、自分が入力を止めたあとにも、針は動いた。


 すぐに返ってこないものを、空一郎はどれくらい待ったのだろう。


「CHUYU。あの試験で、電源が落ちたあとは、いつまで受信を続けた?」


『受信系統も停止しています』


「では、次に動かしたのは?」


 画面に、次の試験の日付が出た。


 十一日後だった。


 結は、その数字を長く見つめた。


 装置が止まった四十七秒間。


 そのあとに続く、十一日間。


 そこには、何も記録されていない。


「返事がなかったのではなくて」


 結は呟いた。


「聞いていなかった時間がある」


『はい』


 CHUYUが答えた。


 結は新しい測定計画を開いた。


 送る時間より、受け取り続ける時間を長くする。


 作用を止めても、記録を止めない。


 何も起きていないように見える間も、時計を動かしておく。


 書き終えたところで、結は机の隅からパンの包みを取り上げた。


 半分、残っていた。


 明日、リディアに叱られる。


 そう思いながら、一口かじった。


 壁の時計は、夜更けの時刻を刻んでいた。


 結はその音を聞きながら、記録の空白にも、誰かの時間が流れていたことを考えた。

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