噂より優しい公爵
招待状の内容は、王都で開かれる慈善晩餐会への出席要請だった。
“辺境支援を成功させた好例として、公爵夫妻を迎えたい”
絶対に違う。あの王子が善意だけで私を呼ぶはずがない。
私は手紙を机へ置き、気分転換に領都の市場へ出た。もちろん一人ではなく、ルシアン公爵付きで。
「監視ですか」
「護衛だ」
そう言う彼の隣を歩くと、市場の大人たちが驚いた顔で頭を下げた。噂では恐れられている公爵だが、実際には値段交渉中の店主に譲ったり、荷を抱えた女性店員の台を直したりしている。
「噂と違いますね」
「どんな噂を聞いた」
「冷酷、血も涙もない、夜ごと呪いで誰かを殺している」
「三番目は初耳だ」
真顔で返されて、少し笑ってしまった。
市場の奥で、ミリアが焼きたてのパンを差し出してくる。
「奥様、公爵様。新しい配合、試してください」
食べてみると、以前より軽い。小麦の質が上がったのだ。
「おいしい」
「奥様が帳簿を締めてくれたおかげです」
大げさな、と思いながらも嬉しい。
帰り道、ルシアン公爵がぽつりと言った。
「君が来てから、みんなの顔が前より上を向く」
「まだ始まったばかりです」
「それでもだ」
彼の声は静かで、余計な飾りがない。だから余計に胸へ入ってくる。
夕暮れの橋を渡る時、彼の右腕にまた黒い紋様が浮かびかけた。私は反射的に袖の上からそこへ触れる。
淡い光がにじみ、紋様が引いた。
ルシアン公爵は立ち止まり、私の手を見つめた。
「君が触れると、呪いが静かになる」
「便利ですね、契約妻」
冗談めかして言ったのに、彼は首を振る。
「便利では済まない」
風が強く吹いた。彼の髪が揺れ、その隙間から本気の表情が見えた。
危ない。これは契約相手に向ける視線ではない。
そう思った時にはもう遅くて、私の心臓はしっかり速くなっていた。




