最初の帳簿改革
セシルの手紙は、薄香をたっぷり含ませた嫌味の塊だった。
『辺境でのお仕事、きっとお似合いですわ』
最後まで読む価値もないので閉じ、私は公爵領の商取引一覧へ意識を戻した。感傷に使える時間はない。黒霧は毎日広がり、赤字は待ってくれない。
「ベルナール商会との契約を切りましょう」
朝食後の会議でそう言うと、領内の行政官たちがざわついた。
「急すぎます、奥様。あの商会を外せば小麦が届かなくなる」
三十八歳のパン工房主ミリアが腕を組む。現場を知る顔だ。
「届いている量が帳簿の半分なら、もともと足りていません」
私は数字の写しを机に並べた。購入量、運送費、倉庫記録、実際の製粉量。誰が見てもごまかせないように揃えてある。
「これが先月の実数です。ベルナール商会を通すたび、銀貨が消えています。代わりに領内の工房と直接契約し、輸送を二路に分けます」
前世で散々やったコスト見直しだ。世界が違ってもやることは変わらない。
ルシアン公爵は黙って聞いていたが、私が説明を終えると一言だけ告げた。
「採用する」
行政官たちの目が丸くなる。
「公爵様、あまりにも即断では」
「数字に反論があるなら出せ」
誰も出せなかった。
そのまま私は、受領印の形式統一、日次記録の義務化、現物確認の立会人制度まで一気に決めた。前世の上司なら“やりすぎ”と言っただろう。でも、やりすぎるくらいでちょうどいい。
会議後、ミリアが一人だけ残った。
「奥様、本気なんですね」
「本気です。小麦が足りないなら、足りる形に変えます」
彼女は少し考えてから、深く頭を下げた。
「なら、私の工房を使ってください。黒霧で客が減っていましたが、焼けるだけ焼きます」
大人の顔だった。損得を見た上で、乗ってくれる人の顔。
その日の夕方、私は新しい支払帳を完成させた。赤い靄のまとわりつく頁が減っている。
「もう結果が出たのか」
執務室へ来たルシアン公爵が、私の肩越しに帳簿を覗き込んだ。近い。心臓に悪い。
「まだ入口です。でも、入口を間違えると全部崩れます」
「君は数字を切る時の方が、剣より怖いな」
「褒め言葉として受け取ります」
そう返すと、公爵は低く笑った。
どうやら辺境の立て直しは、私一人ではなくこの人と並んでやる仕事になるらしい。




