公爵夫人は二度と奪われない
創国祭から一月後、グレイフォード公爵領の会計室は以前よりずっと明るくなっていた。
新しい帳簿棚、統一された受領印、週次報告の壁板。前世の職場よりよほど健全だ、と密かに思う。
私は正式な公爵夫人として、月次会議の最後の印を押した。
「今月も黒字です」
その報告に、ハロルドとミリア、行政官たちが拍手する。辺境の大人たちの顔に、もう前みたいな諦めは少ない。
井戸は清み、工房は回り、黒霧の広がりも抑えられていた。ルシアンの右腕の紋様も、以前よりはっきり薄い。
「奥様、王都から書状が」
持ってこられた封筒の紋を見て、私は眉を上げた。アルベルト殿下からだ。
「暖炉へ」
即答すると、執務室が笑いに包まれた。
そこへルシアンが入ってくる。最近は“公爵様”より名前で呼ぶ時間の方が少し増えた。
「何かいいことがあったのか」
「ええ。不要な負債を処分しました」
彼は手紙の残骸を見てすべてを察したらしい。満足そうにうなずいてから、私の机へ新しい書類を置く。
「隣国との交易改善案だ。君の意見が欲しい」
次の仕事。次の利益。次の未来。
私はその書類を開き、笑った。
「もちろんです、旦那様」
彼が私の椅子の背へ手を置く。
「今夜はあまり遅くなるな」
「努力します」
「努力では困る」
耳元で低く言われて、頬が熱くなった。
王子に捨てられたあの日、私は全部失ったと思った。けれど本当に失ったのは、間違った居場所だけだったのだ。
数字を整え、嘘を暴き、領地を立て直した先で、私はようやく自分の人生を取り戻した。
もう誰にも奪わせない。
公爵夫人としても、一人の女としても。




