黒字になるパン工房
王都へ向かう前に、私はどうしても終わらせたい仕事があった。
ミリアのパン工房を、黒字へ持っていくことだ。
「どうしてそこまで」
本人に尋ねられ、私は素直に答えた。
「勝っている証拠が欲しいんです。王都に見せるためにも、自分のためにも」
黒霧で需要が落ちたのではない。高い仕入れと無駄な輸送で潰されかけていたのだ。なら、仕入れを正し、日持ちする乾パンを増やし、兵站向けの定期契約を取ればいい。
前世の私は営業ではなかったけれど、数字が示す勝ち筋くらいは分かる。
「この三種類に絞りましょう。売れ筋、備蓄用、贈答用」
私は試算表を広げた。ミリアとその工房の職人たちはみな成人で、数字に強いわけではない。それでも利益の線が見えると表情が変わる。
「本当に回るのかい」
「回します。代わりに原価表は毎日出してください」
「厳しい奥様だね」
「仕事中はそういうものです」
三日後、最初の週次集計が上がった。
利益は小さいが、確かに黒字。
私は紙を握りしめたまま、つい笑ってしまう。
「やりました」
背後から近づいてきたルシアン公爵が、書類を覗き込んだ。
「いい顔をするな」
「数字がちゃんと働いてくれたので」
「君が働かせたんだろう」
そう言って彼は、小ぶりの革張り帳面を差し出した。深い紺色に公爵家の銀の紋章が入っている。
「君専用の帳簿だ」
「私に?」
「公爵夫人の執務用として」
またそうやって、契約の線を少しだけ越える言い方をする。
私は新しい帳面を開いた。最初の頁には彼の字でこう書かれていた。
『この家の損失と利益を、君と分け合う』
胸が、じんとした。
王都へ持っていく証拠は揃いつつある。けれど私が今いちばん抱えたくなったのは、告発用の書類ではなく、この帳面だった。




