7.残コク
*
廊下。コツンコツンという足音が、容赦なく、『僕たち』を振り切りそうな速度で響いていた。
着いてこいとは言われたけれど、何処へ向かっているのかは未だに分からない。
よく分からない場所に来て、よく分からない怪物に追われ、退け、背負って歩き続けて。
そろそろ疲労が溜まり始めていた頃。不意に唏依さんのブーツの音がゆっくりになる。
「……仲良かったの?その子」
振り返らずに放たれたその声は相変わらずぶっきらぼうで無感情で、興味があるかも疑わしかった。
なぜか、どこか、ムキになってしまって、僕も同じくらい……淡々と答える。
「出会ったばっかりです。つい……さっき」
この『ついさっき』に含まれる余白はあまりにも大きかった。
僕にとって健太くんは溺れかけていたところを救助してくれたライフセーバーのような存在だ。
唏依さんのピンクに染色された襟足が僅かに伸びる。
小さく頷いてくれたようだ。
……けど。口から出たのはただの一言。
「……ふぅん」
分かってる。決して、突き放すような意図が無いのは……分かってる。
けど。あまりに淡白過ぎる反応に、僕の眉間にはほんの少しシワが寄ってしまう。
「ふぅん……ですか……?」
助けて貰っておいてそんな資格はない。資格はないけれど、口からは不満が漏れ出てしまった。
その言葉を聞いた途端、唏依さんの歩みがピタリと止まった。
軽率だったろうか。機嫌を損ねてしまっただろうか。
長い前髪の隙間から鋭い金色の瞳が僕を射抜く。
そして……ゆっくりと、何処までも冷ややかに言葉が投げかけられた。
「えぇ、確かに言ったわ。それで?何を望んでいたの?同情?それとも、慰めて欲しかった?」
肯定はしたくない。否定もできない。僕はただ、健太くんを背負う腕に力を込めるだけだった。
横顔から僕に向けられた瞳は何処かあらぬ方向へ逸らされて、少し……ほんの少し気不味そうにしている。
「そいつが戻って、アンタの気持ちが晴れるってんなら、何でもしてやるわよ」
前に向き直り、再び足音を響かせ始めた。
「けど……そうじゃないでしょ?」
そうか……この人も……。
「はい。すみません」
「……だる。先を急ぐわよ。もうすぐ終点」
「終点って、僕たちは何処へ?」
「さぁね。地獄の一丁目とか?」
「……笑えません」
「笑かそうと思ってないもの」
廊下の壁に並ぶのは無機質な笑顔を浮かべる人々が写ったAI生成に似た、学校行事のポスター。
文字もこの世の物とは思えないぐちゃぐちゃの線で、何もかもがおかしかった。
図鑑でも見たこと無いような観葉植物が置かれていたり
聞き覚えのあるはずの誰もが知るクラシックが不協和音で崩されて流れていたり
とにかく……何もかもが本当におかしかった。
おずおずと歩みを進めていると
唏依さんがまた耳に手を当てて何処かへ通信をする。
「星光、蝋妃のバカに伝えて。生存者は一人。他はみんな忌まれのおやつになったって」
忌まれ……あの化け物の名前だろうか。
おやつになった、あまり気持ちの良い表現じゃないけど……的確なのかも知れない。
「あと、境界速報の準備。逃げ遅れたアホがいたらウザいから」
通信は続いている。漏れてくるのは唏依さんに負けず劣らず気怠そうな若い男の人の声だ。
「はぁ。蝋妃また泣いてんの?だる……代わんなくていい。アタシが言っても逆効果でしょ」
唏依さんの指が耳から離れるのを見て僕は恐る恐る聞いてみた。
『泣く』という行為が、どうにも身近に感じられなくて。
「泣いてる人が……いるんですか……?」
「気にしないで。いつもの事だから」
オニ役も前へ進むだるまさんが転んだの様に歩いては振り返り、言葉を交わしてはまた進むの繰り返し。
「アンタの考えてること……当ててあげよっか」
唏依さんの言葉はいつも唐突でそれでいて確実に僕の心を抉ろうとしてくる。
……出来れば、遠慮したい。
きっとまた、厳しい言葉を投げかけてくるんだろう。
止めることも出来たけど僕はじっと『刻』を待つ。
「どうして自分は泣けないの?でしょ」
彼女の言葉は僕の気持ちをまるでテレパシーみたいに代弁してみせた。
危ない所を助けてくれた命の恩人、前後不覚、右も左も分からない場所で先導してくれた新しい友人。
出会ってからはものの数分。
時間なんか関係ない。関係ないはずなのに僕は……。
「薄情な奴だ、って?」
「違う……んですか?」
「また『ですか?』か。だる……」
または……こっちの台詞でもある。
ここに来てから質問が納得できる解で帰って来たのは稀だ。
そろそろ、何かをくれたって良いじゃないか。
そんな風にまた顔をしかめていた所だった。
唏依さんがロングコートのポケットを弄り始める。
取り出したのは……さっきの銃とマガジンの形をしたカードリッジのようなもの。
「見学はここまで。時間までそこ、座ってて」
唏依さんは手慣れた手付きで交換を行いながら、
中庭の出入り口の向かいに並んだ背もたれのない椅子を顎で差す。
「えっ?でも、着いてこい……って」
「何処までとは指示してない。アタシがここって言ったら……ここ」
意図が分からないけれど。従った方が良いんだろう。
この先には、あの忌まれと、そして……
――『感動の再会なら後にしなさいね』
ゴチャゴチャとした頭の中をかき混ぜながら僕はだらんとしている健太くんを座らせた。
……唏依さんは、呆れとは何処か違うものを含んだため息を一つ吐くと……
「……えっ?」
「じっとして」
……銃口を僕に向けて来た。
「な、なんで!やめ……っ!」
咄嗟に両手で顔を庇った。
――ダン……ッ!
容赦なく引き金は引かれる。
間違いなく脳天直撃の位置。手で庇っても無駄なのは分かってたはず……
庇う必要が無かったと分かるのに少し時間を要した。
「あ……れ……?」
僕の身体には一つの傷どころか触覚の反応さえない。
ただ、見つめる両方の手のひらから……
「……はぁ。だる……貸したげる。せいぜい、うまく使いなさいよ」
唏依さんと同じ……ピンク色の電気のスパークが奔っていた。
腕や脚を見て気づく……その電気は僕の全身をピタリと覆うように現れていた。
なんの説明も無く唏依さんは踵を返して外へ向かっていく。もう見慣れ過ぎた背中が最後の教えを残す。
「前を行く奴にただ着いてくのも良いけど……」
外で繰り広げられてる戦闘が近づいてるのか、校舎が大きく震え、巨大な咆哮が耳をキンと突く。
一つ舌打ちをして、唏依さんは続けた。
「……流されるだけじゃ、お友達の一人も守れないわよ。よく覚えておくことね。それじゃ」
*
驚くほど静まり返った校舎には僕と健太くんだけが残された。着いてくるな、待て、流されるな……か。
「これから……どうすれば……」
――せ……いち……のせ……。
「……え?」
……健太くんの口が、僕の名字を呼ぶ。
けど、何処かノイズがかっていて……。
本能的に僕はこれから起きる出来事を予感してしまった。
……残酷な最後の刻が始まりを告げる。
――お前が……持っテ……ノカ……?




