6.泳グ
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暗く黒い空を――巨大な、光る球体が照らす。
月に良く似たソレは実体を持たないが確かに何処かの荒れた中庭を明るく照している。
これほどまでに『明るく照らす』、という言葉がポジティブに捉えられない瞬間もそうありはしないだろう。
……その場は、何処までもヒリヒリと、殺伐としていた。
『……アタシよ。そっちはどう?』
校舎二、三階あたりの一部は外装が瓦解していて鉄骨が剥き出しになっていた。
そんな鉄骨に――
「問題ないよ。けど、手伝ってくれたらありがたいかな」
――一人の少女が、ぶら下がっていた。
定義に当てはまるかは定かではないが『夜風』が少女の艶めいた紺色の前髪を揺らす。
それに倣うように鉄骨を掴んでいない腕から伸びる花の蕾を模した穂先の槍も虚空を彷徨う。
耳にはめているカナルに手を当て通信先から聞こえる冷徹な声に耳を傾けている。
『あっそ。今行く』
「うん。待ってる」
少女が何かを言いかけたが、有無を言わさぬ物言いで通信先の声はそれを制した。
『……感動の再会なら、後にしなさいね。浮足立って油断したら承知しないから』
「う、うん……弁えているよ。彼を境界に入れてしまったのは不本意だけれどね」
困ったように返し。微かに、ほんの僅かに口角をあげていた少女。
しかし……その穏やかな顔立ちは下を見下ろした途端に一層険しく、哀しげなものへと変わった。
――マまぁぁぁ……どコナのぉォおぉぉ……!?
その見下ろす先には……巨大な怪異。
美しい金の髪を靡かせる白骨化した少女。
首から降りていくに連れて肋骨が節足動物の脚のように蠢き
下半身はムカデのように長く、刺々しい。
「お母さん……それがキミの……」
――グギャァァァァァァアオ!!!
偽物の空に獣の咆哮が波状に響く。
人間の物とは思えぬ細長い腕が重々しく白骨化した顔に伸びる。
――マァマァ……!やッと、ャっと見つけタよぉぉ!
白枝のような指と、返しのついた爪が怪異の顔の残った肉へ赤く、痛々しく傷をつける。
首から上ほどしか残していない元人間の名残りが次々と削げ落ちていく。
「そうか……」
震えを隠さぬ声を空気へ溶かすと少女は手首に巻く青いウールのリストバンドを見つめた。
洗練された容姿には似つかわしくない、見るからに安物な作りのそれを見て小さく小さく頷くと……
――鉄骨から、手を離した。
約12メートルほどの高さの校舎。
常人ならばまず助かることはない。
重力に従って、ボタン一つで止められたロングコートがふわりと舞い上がる。
華奢で可憐なシルエットを見て、怪異は引きつった不気味な笑みを浮かべている。
――ギャァァァァアアア――!
怪異の喉が丸く膨張する……
真っ逆さまに落ちていく少女めがけ泥状の液体が吐きかけられた。
少女は一切の恐怖を示さず、ただ着地を待つ。
そんな跡を辿るように溶かされていく校舎。
やがて少女は地面に叩きつけられ、自らを生命たらしめる器官をぶち撒ける――
――ハズだった。
『マぁタなァくぅなァたぁぁァァぁッッ……!』
節足動物のような肋骨が交互に地面を掘削していく。
だがその鋭利な狂気が目当てを仕留めることは無かった。
「……ボクのこれも、大切な人から貰った、大切な命なんだ……だから――」
……イルカが水面からスピンジャンプを披露するかのように、少女の姿が怪異の直上へ現れた。
地面の石畳や草が混ざったような水飛沫を纏って。
手に握られた槍の柄が捻じれ、少女より遥かに長く伸び……槍とは思えぬ柔軟性を得て、しなる。
少女が前に体重を乗せて空中で縦に一回転。
メタリックブルーの穂先が怪異の巨躯を……
「――譲るわけにはいかないな……ごめんね」
ただの一撃で、叩き伏せた。
『イィィィたァァァァァいぃぃぃ……』
地面にめり込んだ怪異の口から放たれる言葉に少女は顔をしかめる。滲むのは悔しさではない、別の何か。
「浅かったか……すまない……」
その言葉には確かな謝意が含まれていたが怪異の首根っこの部分を足蹴にして次の行動を読み切ろうとする冷徹な眼差しが向けられていた。
『ヴァァァッオ……ッ!』
首が起き上がり180°回転。再び泥状の液体が少女を襲う。
……しかし、それを待っていたかのように少女はバックフリップで怪異の巨躯から飛び降り……
――弓なりにしならせた身体で再び……地面に潜った、
怪異の真下。地面を泳ぐ花の蕾の穂先がその姿をヒレのように覗かせる。
「なるべく傷つけたくはない……けど……!」
ギギギと音を立てて穂先が展開、メタリックブルーの槍は開花した。
中央から蒼いレーザーブレードが放射され怪異の尻尾を真っ二つに裂いていく。
……怪異のムカデの様な下半身はその役割をほとんど果たすことなく斬り落とされ……
節足動物の脚のような肋だけが移動手段となった。
徹底的な攻勢から一転。
少し離れた位置に少女はまた、浮上する。
「唏依なら一撃で楽にしてあげられたんだろう。本当にごめんね……そして……」
くどい位に謝罪の言葉を口にするその言葉は怪異だけに向けられたものでは無かった。
素早く左右を見て……胸に手を宛て、瞳を閉じる。
『ソコかァあァァァアぁぁア……!!』
『返セぇぇええエエ!!』
「キミ達も……!」
胸に風穴の開いた制服の男女が生気のない青白い顔で物陰から飛び出してきた。少女の持つ何かを切実に奪いに来ていた。
カッと、目を開く少女の瞳孔には白い『スペードのマーク』が浮かび上がる。
手を前に突き出すと透明な蒼の剣が現れ、少女が流麗な手付きでそれをスライドさせると二本、三本とそれは数を増やしていく。
――忌術:『刃来』
――腕を大きく横に振ると、無数の透明な剣は少女を中心に高速回転し襲いかかってきた男女の怪異を……
――ズタズタに、切り裂いた。
「……嫌な能力だ。本当に……」
肉塊と血溜まりに囲まれた中、少女は深い哀愁を背負った笑顔を浮かべ、リストバンドを強く握る。
「……皮肉だと、思わないかい?なんて言ってくれるのかな。キミは……」
偽物のような夜は順繰りと、終わりへの歩を進めていた。




