3.乞ゥ
あの人が残してくれたメッセージを頼りに僕は教室の戸を開けた。
「なに……ここ……?」
勢い良く踏み入れなかったことに強く安堵した。
この暗い教室はほぼ半分くらいの広さのクレーターになっていて、
戸の向こうには一足分ほどの床しか残されて居らず
大股気味に入ろうものなら崖の底に真っ逆さまだったろう。
「海……なのかな……?」
半分壁が無い教室の外には黒い水が海のように広大に広がっていた。少し不気味なようだけど、
何か、光の粒が散りばめられていて幻想的でもあった。
――カッ、カッ、カッ……
暫定、海と崩壊した教室に気を取られ僕は黒板の方から聞こえるチョークの音に気づいていなかった。
先生、なんだろうか?。
――いいね。はじめの頃よりはだいぶ読みやすくなった。
男の人の声だ。けれど、黒板に向かっているのは
黒のロリータ服を着た金髪の女性。
「あ、い、う、え、お……?」
思わず声に出して読んでしまった。
ひらがなを勉強しているの?
横歩き2歩ほどで、安定した床に踏み出せた。
教壇の上に黒い卵型の何かが転がっている。
「すみません……ちょっと、良いですか?」
女の人は僕の声に反応するかの様に指を止めて停止した。
声を発していたのは……この人じゃなかった。
「あぁ。目が覚めたんだね。重畳な事だ」
「どこから……」
教壇の上の黒い卵型。
それは良く見たら男の人の後ろ髪だった。
ゴロンと180°回転し僕の顔を覗き込んできたのは……。
「人体模型……?!」
「……ッ!!!」
僕が声の主を持ち上げると女の人は素早く後ろを向き
獣の様な構えと唸り声で頭を振る。
金髪が刃の様に鋭利に僕の喉元ギリギリまで伸びてきた。
「ちょっ……待っ……!」
「マーガレット。やめなさい。彼は新入生だよ」
人体模型の瞳がマーガレットと呼ばれた顔の無いマネキンに向けられる。
僕の頸動脈すんでの所まで迫っていた髪の毛はしなやかさを取り戻し、スルスルと巻き戻っていく。
……助かったの?
「すまない。彼女は少々人見知りでね。降ろしてくれ、立てて置いてくれて良い」
言われるがまま人体模型の生首を教壇の上へ置く。
改めて見ると片側頬肉のパーツが無く筋繊維が剥き出しで、なんと言うか、気持ちが悪い。
「驚くのもムリは無いよ。死んだと思ったところ、こんな場所で目を覚ましてしまったのだから」
「それもそう……ですけど」
本人を前にして「喋る人体模型に驚いてるだけだよ」
なんてストレートには言えない。
本当は凄く言いたいけれど。
「申し遅れたね。私は阿原、この学園で教諭をやっている。彼女は助手のマーガレット」
名前を呼ばれるとマーガレットさんはさっきまでの殺意を嘘のようにしまい込み華麗にスカートを託し上げ一礼してくれた。
「そしてキミが……」
少し間を開けて阿原先生は瞳を閉じてニコリと笑った。
暖かい表情なのだろうけど、
人体模型なだけあってやっぱりどこか不気味だ。
「……名前は言わないでおこう。亞守科くんから聞いたよ。『彼女』との約束、なのだろう?」
このやりとり……既視感がある。
それも、1時間も経ってないほどの直近に。
「……はい。けど、どうしてあの唏依さんも、先生もあの人との約束をそこまで大事にしてくれるんですか?」
僕だって……あの人が誰でどういう関係でなぜそこまでして会いたくて、大切な存在に思えているのか分からないのに。
訳知り顔で阿原先生は続ける。
「そんな些細な約束が……キミと彼女をこの世界に繋ぎ止める力に変わるかも知れないからだ」
「ちから……ですか」
先生は小さく頷く。その動作でさえ少しアンバランスで
倒れてしまわないか僕は思わず身構える。
「さてと。気になる事ばかりだろう?私の知っている範囲でならば答えるが、どうかな?」
それは、願ってもないこと。けれど。
……何から聞こうか。いや、どう聞けば良いんだろうか。
「えっと。ここは……何処……なんですか?」
僕の質問に対しマーガレットさんがチョークをとった。
書かれた文字は『きょうかい』そして『あかつきそうごうがくえん』
「ごもっともな疑問だ。端的に言うと『あの世とこの世の境界』という言葉が相応しいのだろうね」
黒板の上に書かれる『このよ』、底に書かれる『あのよ』の文字。そしてその中央に丸で囲われた『ここ』。
「何処へも辿り着くことが出来なかった狂える想いの集った海、我々は『狂海』と、呼んでいる」
「三途の川、みたいな……?」
「ユニークな解釈だね。だが、正確には三途の川を渡り切れず、沈み、流された者の終着点、と言うべきか」
沈み、流された……?
なら連れて来られた気がするのは、いったい何故?
謎が謎を読んで、常識や知識が理解の邪魔をする。
的確な質問が出来ず、僕は少し脱線してしまった。
「あるんですか?天国とか、地獄とかって」
「さぁ……私は行ったことも見たこともないよ」
身も蓋もない返事に僕は黙り込んでしまう。
先生は「うんうん」と頷き言葉を続けた。
「しかし。この様な場所があるんだ。実在していてもおかしくはない。ここがそれらではないのも確かだよ」
「うーん……」
困った。ニンゲンなら誰でも一度は考えたと思う「死んだらどうなるのか」そのアンサーにしてはあまりにも不親切だ。世界も、喋る人体模型も。
「結論を言おう。ここか何処なのか、なんの為にあるのか。それは金輪際、証明されることはない」
「なんだか、曖昧なんですね……」
「全ての事柄に明瞭さを求めることなど出来はしないよ。この世界においては、ことさらね」
楽観はしていなかったけれど。
一向に要領を得ない質疑応答に僕は思わず俯く。
すぐ懸命に何かを伝えようとする唸り声が聞こえた。
ロリータ服のマネキンが、大仰な動きでアピールをしてる。
「うぅー!うぅーっ!」
マーガレットさんは手にとった水色のチョークで何かを描き始めた。
今度はなに?といった表情で黒板を見つめると……
そこに描かれたのは人の髪型。『前髪の中央を切り揃えて、両サイドを弓なりに伸ばしたもの』。
特にその髪型に見覚えは無いけれど。
マーガレットさんが満足げに両手でガッツポーズを作り、先生が優しく微笑んでいるのを見て
何を伝えたいのかが、なんとなく分かった気がする。
「もちろん私はこの絵の彼女も知っている。そしてなぜ彼女が君をここへ連れてきたのかも、ね」
――君を死に永らえさせたのは……ボクのエゴだ。
どうして、そんなことを……?
黒板に描かれたショートヘアの少し斜め上に吹き出しが付け加えられると、先生はまた頷いた。
「キミは彼女を忘れているんだったね。
だが、君のその何処かへ落とした記憶が……」
吹き出しの横にひらがな『だる』の文字と、雷マーク。
「あの面倒臭がりの亞守科くんを動かし」
その『だる』の下に書かれたのは「やで」の文字と、片眼鏡の絵。
「好奇心でしか動かない如月くんに治療をさせた」
「凄いこと、なんですか?」
「あぁ凄いとも。2人はこの学園の羅針盤とも言える組織の幹部。本来ならば部下に一任する案件だよ」
「幹部……死徒会がなんとかって。その、死徒って?」
「そうだね。それについても話さねば」
描くスペースが無くなったのか、黒板は一度まっさらな状態にされた。『あかつきそうごうがくえん』の文字を残して。
「まずこの赫憑総合學園に従来の生徒はいない。代わりに居るのが……」
――キミ達、死徒。
「生徒の「生」は未熟な者、学ぶ者を意味する。しかし。この停滞した世界では成熟できない」
だから、死……?それって、なんというか……
「ネガティブだね」
「……それなら学校である必要って?」
「答えはシンプル。逃避行動、即ち「学校ごっこ」さ」
「逃げるって……何から?」
「自我の損失、だよ」
「……自我の?」
先生からの返事が無い。
まるで、ただの人体模型みたいに瞬き1つしなくなった。
さっきまで賑やかな身振り手振りで説明をしていてくれたマーガレットさんも前屈みに俯いてしまった。
「どうして……?」
――ピンポンパンポーン。
僕の問いに答えたのは、真新しい天井のスピーカーからがなる
放送チャイム。そして、抑揚の無い機械音声が告げる次の言葉。
――境界速報です。旧校舎、4階、教室棟に境界が発生します。
当たり前のように読み上げられていく理解できない報告に僕は開いた口が塞がらない。驚いているはずなのに内容は右から左に流れていく。
きょうかい……ここが狂海じゃなかったの?
――該当エリアにいる死徒の皆さんはすぐに外へ。間に合わない人は『死徒会執行部』までご報告ください。
「あの……先生、マーガレットさん?」
何が起きるんです?と言わんばかりに2人に詰め寄る。けれど、さっきまで夢でも見ていたのか?
という位に、2人はただの模型に戻ってしまっている。
「……誰か居る」
教室の摺り硝子の向こうを人影がゆっくりと通過するのを見た。ここに居てももう仕方が無いしあの人に……。
少し呑気だけれど僕は動かなくなった2人に頭を下げる。
「えっと、ありがとう、ございました」
一応、いろいろ教えて貰ったからね。
「……あれ?」
誰も、居ない。長い廊下だ。すぐに人を見失う距離じゃない。近くの廊下に入った感じでもない。
「本当に、どうなってるの?ここ……。」
困惑する状態なのかさえ分からない。
何1つ飲み込めて居ないまま、ただ進む。
行き止まり。壁にかけられた大きな振り子時計が時間を刻むのを諦めたやけっぱちに時針と分針を動かしまくる。
引き換え。球がついた金メッキの振り子はすぐ上の2本の針をバカにするかのように一定周期で揺れ続けている。
「……階段だ。ここ、どこの何階なんだろう?」
大きな階段の踊り場にはだいたい階数標示がある。
そんな惰性と先入観と、ほんの僅かな好奇心で僕は……
一歩、二歩、と階段を下がっていく。
何を探すでも無くただ、踊り場を覗いて、そして……
「……えっ?」
――階段から……突き落とされた。




