2.聞コエル
2人が去った保健室。
出るなとは言われたけれど。
……無理だ。
赤黒い世界に、肉片や臓器の詰められた瓶が並ぶ場所。
清潔感はあるのに、精神衛生はまるで保てない。
まだ脚は自分の物じゃないみたいに頼りないけれど。
歩き始める。
ネガフィルムに閉じ込められたかのような廊下。
均一に並ぶ窓がコマみたい。
時折、奇妙な置き物を見る。
今、隣にあるのはウォールシェルフに置かれた
古代ギリシャ人とかその辺の胸像。
詳しくはないけれど、たぶんそんな感じ。
奇妙、と言うのは
並ぶ5つの胸像ぜんぶ、
目元に白黒のピクセルモザイクがかけられているということ。
「……どうなってるんだろ?」
胸像は言い表すのも難しい微妙な表情で俯く。
葉っぱの冠をつけた胸像の鼻の先へ、僕は無心で指先を伸ばした。
『コンニチハ。メッセージ、ヲ、ドウゾ』
「うわっ……!?えっ?め、メッセージ……?」
大理石で出来ているとは思えないようなしなやかな動きで胸像は
僕の方を向き、口を少し大袈裟に動かす。
驚いた僕は慌てて手を引っ込めて、もう片方の手で震えを抑える。
『ウワー、エッ?メ、メッセージ?デ、ヨロシイデスカ?』
何か、伝言板みたいな役割を持つ置き物なのだろうか。
『アト、30秒、デ、取リ消シ、マス』
取り消しで一向に構わないけれど。
放置で良いのかな……。
「……行くあてが無い」
やっぱり、あの保健室に戻るべきかも。
なんて考えていると、1つだけ。
「……あれ?これ……」
少し壁を挟んだ先の群れ。
まったく同じ作りのウォールシェルフに
1つだけ、見慣れた見た目の物があった。
女性型の少しセクシーな胸像。
そのただ1つだけが目を露わにしている。
美術室だとか、駅の置き物だとか、
日常の景色として通り過ぎる物なのに
奇妙に安心感を覚えた。
「この服、なんて言うんだっけ、キトン……?」
僕の声は誰にも届かず、ただ赤い光の照らす暗い廊下に溶けるものだとばっかり思っていた。
……嫌な予感がする。
石で出来ているはずの耳が、声を汲み上げる様に
ピク、ピク、と素早く脈打った気がした。
息を一つ飲み込んで、見つめると……
ゆっくりとこちらを向き……。
「……っっ!」
驚いた僕は声にならない悲鳴をあげてしまう。
目を思いっきり見開き、光沢の無い瞳が僕の顔から足元まで、
視線をゆっくり3往復させ、口を開いた。
『貴方ニ、メッセージ、ガ、一件、アリマス』
「ぼ、僕に……?」
『オ聞キ、ニ、ナル場合、ハ、鼻、ヲ……』
削除する場合は頭を押し下げてください、か。
ここが何処なのか、それを知る手がかりになるかも。
聞いてみよう。
『ソレデハ、読ミ上ゲ、マス……』
「は、はい。お願い……します」
『キミへ。ビックリさせちゃったかな?』
僕の耳は一瞬で何かを感じ取った。
声は確かに石像のもの。けれど……。
『これはデンゴン像。ふふっ……そのままだろう?』
マイペースなまでに穏やかで、けれど、芯の通った喋り方。
どういうわけか耳に焼き付いて離れない、あの人の喋り方だ。
『目を覚ます瞬間に立ち会えなくって、ごめんね。どうしても外せない用事が入ってしまって……』
――アイツは?
――討伐に出とる
……とう、ばつ……?
『キミに伝えたい事は山程あるけれど30秒じゃまるで足りないんだ』
胸像はギコギコと動き始め、二の腕の滑らかな断面図で僕の後ろを指す。
『すぐ後ろ一室だけ真っ暗な教室があるはずだ。そこに先生がいる』
先生。本当に学校なんだ。
人の気配なんて、これっぽっちもしないけれど。
『唏依も研磨も忙しかったろうし。詳しくはその人に聞いてね。終わったらボクも必ず会いに行くよ。またね』
「ま、待って!せめて!貴方の名前だけでも!」
『読ミ上ゲ、ヲ、終了、致シマス』
そっか。別に通信している訳じゃないんだ。
けど僕は、目を覚まして始めてホッとしている。
この世界について、やっとマトモな説明が聞けること。
待つ以外にも目的が出来た事。
何より……
あの人の存在がより、輪郭を帯びて来たこと。
『現在、ノ、メッセージ、ハ、0件、デス』
そう言い放つとこの胸像の目元にもモザイクがかかり、
例の如く俯き、あらぬ方向とのにらめっこに戻る。
「すぐ後ろの……真っ暗な教室……だっけ」
このデンゴン像とかってのに気を取られ
不思議に思えなかった。
真っ赤な世界で不自然に、暗い教室が背後にある。
「失礼……します」
――僕は少し慎重に、その戸を開いた。




