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第二十八話

 別れの朝は今にも涙が零れ落ちそうな、どんよりとした空模様だった。


 隣国への道中、困ることのないようアヴェリュスの配慮で、馬車と共にたくさんの物資が贈られた。


 来た時と同じ深い茶色のドレスに身を包んだフレイアが、アヴェリュスの前に立つ。




「お世話になりました、アヴェリュス様」




 膝を折り深く頭が下げられる。


 褐色の髪にのせたティアラのタンザナイトが揺れていた。




「お心を砕いて接して下さいましたこと、心から感謝しております。いつか再びお目にかかれる日を、心待ちにしております。それまで遠くタンザナイトの国から、アヴェリュス様の御健康と御幸運をお祈り致しております」




 流麗に口上を述べたフレイアが、静かに顔を上げた。


 昨日まで見せていた天真爛漫な表情とは打って変わって、王女らしい凛とした面差しだった。


 そこから心情を読み取ることは出来ない。


 だからこそ逆に、フレイアの深い悲しみを感じ取ることが出来た。


 青紫の瞳が、悲しみに耐えるように小刻みに震えていた。




「これを」




 側近から受け取った青い薔薇のドライフラワーを、アヴェリュスはフレイアに差し出した。




「以前、苗をお譲りするとお話した時、姫はまだ旅が続くので可哀相だからと遠慮なさいました。ですから、ドライフラワーに致しました。これなら、長い旅にも耐えられます」




「ありがとうございます」




 腕一杯の大きな薔薇の花を抱きしめ、フレイアは本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。




「なんて美しいのでしょう。この花を見る度に、アヴェリュス様と過ごした楽しくも穏やかな日々を思い出すことでしょう。長い道中も、寂しくはありません」




 青紫の瞳がアヴェリュスと過ごした日々を抱くように、青い薔薇の花を映していた。




「シトリン王国に……行かれるのですね」




 呟くような問いかけに、フレイアは静かに顔を上げた。


 青紫の瞳が鈍く光るのは、曇り空のせいばかりではないだろう。


 その眼差しを見ていることが切ないかのように、アヴェリュスは視線を落とした。




「はい」




 揺れるアヴェリュスの声音とは対照的な、迷いのない明瞭な声に金色の瞳が震えた。




「我が国とシトリンの間には、高く険しい山があります。女性の身には酷です」




「それでも、行かなければなりません」




 確固たる意志を表すような強い言葉に、アヴェリュスは拳を握りしめた。




「私は……行ってほしくない」




 零れ落ちた本音に、アヴェリュスは意志の宿る金色の眼差しを上げた。




「そんな危険な旅に行ってほしくはない!」




 心からの叫びに、青紫の瞳が大きく見開かれた。




「愛しています、フレイア姫! どうか私と結婚して下さい!」




 感情のままに叫ぶアヴェリュスに対し、フレイアは酷く冷静だった。


 瞠目した眼差しが現実を見るように、元の大きさに戻ってゆく。




「よくお考えになって下さい、アヴェリュス様」




 諭すような声音に、婚姻を申し込まれた喜びの色はない。




「我が国は国土のほとんどを砂漠に覆われ、取れる鉱石の量も少ない貧しい国です。私と結婚したところで、ダイヤモンド王国には何の得もありません」




「わかっています」




「でしたら……」




「それでも、愛しているのです」




 更に言葉を紡ごうとするフレイアをアヴェリュスは制した。


 青紫の瞳がまっすぐにアヴェリュスを見る。




「資源の少ない貧しい国の、見劣りする私をですか」




「確かに見合いの話を頂いた時、私は乗り気ではありませんでした。けれどもあなたと接するうちに、私は人の持つ優しさ、強さを学びました。あなたといると、私も強く優しくなれる気がします。私にはあたなの助けが必要なのです。どうか、結婚して下さい」




 包み隠さないアヴェリュスの言葉。


 しかし、フレイアの瞳は動じない。


 感情の全てを失ってしまったような波立たない青紫の眼差しからは、フレイアの心情を読み取ることは不可能だ。




「もう一度聞きます。私を、愛していると?」




「はい。愛しています」




「小国の見栄えの悪い姫君を?」




「何度でも言います。愛しているのです、フレイア!」




 魂からの咆哮に、フレイアの全身が目を射抜くほどの閃光に包まれた。


 咄嗟にタケルは目を閉じた。


 目が焼けるのではないかと思うほどの強い光から逃れようと、手を翳し顔を背ける。


 それでも尚突き刺す光。


 手が焼かれ身体が溶けるイメージを抱くほどの強い光にも関わらず、肌から伝わる感触は春の日差しのように柔らかい。


 強さと優しさの入り混じった不可思議な光が、徐々に力を失ってゆくのを目蓋の裏で感じた。


 ゆっくりと目を開ける。


 先程見た光にも負けない鮮やかな金色の髪が、緩やかな弧を描き光の残像に戯れていた。


 南国の空に浮かぶ真っ白な雲のように輝く白い肌が目に眩しい。


 水を纏ったような艶やかな薄紅の唇が、気持ち良いほどすっきりと通った鼻梁の下で愛らしく咲いていた。


 アヴェリュスの前に突然現れた、痩身の目を瞠るほどの美しい女性。


 零れ落ちそうな大きな青紫の瞳が見せる、慈愛の色には見覚えがある。


 その胸には、青く輝く薔薇の花束を抱いていた。




「フレイア……姫?」




「はい」




 透明な湖水を思わせるような清らかな声音と共に、ティアラに配したタンザナイトが揺れた。




「一体……これは……」




 何が起こったのか分からず呆然とした面持ちで呟くアヴェリュスに、フレイアが柔らかな笑みを向けた。


 花びらのような美しい唇が、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。




「私が生まれた丁度その時、国のあらゆる箇所から青く澄んだ燃える液体が噴出しました。同時に星を宿した夜空のように、青く輝くそれは美しい鉱石も発掘されました。貧しさから脱することの出来る発見も、父王は喜びませんでした。生まれたばかりの私に、資源目当ての求婚者が現れることを恐れたのです。長らく質素な暮らしをしてきた父王は、娘の私に愛する人と共に暮らしてゆく人生を父親として望んだのです。そこで父は資源の発見を隠し、聖魔女に頼みました。聖魔女は父の言葉に、私の容姿を変えました。その呪いを解く方法は、ただ一つ。小国の見劣りする私を、心から愛する者の存在」




 青紫の澄んだ瞳に、真摯に言葉に耳を傾けるアヴェリュスの姿が映っていた。




「あなたが、私の呪いを解いて下さったのです」




 庭園に咲く青い薔薇のような鮮やかな笑みが、花開くようにフレイアの白く透明な顔に満ちた。


 フレイアの蝶の変態を見るような変貌ぶりと話の内容に、タケル同様アヴェリュスも驚きのあまり動くことも話すことも出来ない様子だった。


 微苦笑と共に、フレイアが頭を下げた。




「騙していたこと、お許し下さい。このような私ですが、まだ求婚して下さいますか」




 微かに震える声音に、フレイアの緊張を感じた。


 金色の髪を見つめる金色の眼差しが、不意に和らいだ。


 フレイアの眼前に、アヴェリュスは右手を差し出した。


 ゆっくりと青紫の瞳がアヴェリュスを見た。


 どこか不安げな様子のフレイアを包み込むような大きな笑みを、アヴェリュスは浮かべた。




「勿論です、フレイア姫。どのような姿形をしていようとも、あなたはあなたです」




 安堵を示すように、青紫の瞳から溢れた大粒の涙がそばかすなど一つもない滑らかな頬を滑り落ちた。




「改めて言います。私と結婚して下さいますか」




「はい。喜んで」




 涙の粒を弾ませながら、これ以上ないというくらい幸せそうな笑みでフレイアは頷いた。


 そっとアヴェリュスの手に手を重ねる。


 その手をアヴェリュスは強く握り締めた。




「今日まで、さぞや辛く寂しい思いをされてきたことでしょう。ですがこれからは、そのような思いはさせません。私がいつも傍にいます。傍にいて、あなたを必ず幸せにします」




「ありがとうございます」




 世界中の幸せを集めたような幸福感に包まれた二人を祝福するかのように風が雲を開き、太陽が顔を出す。


 未来で見た肖像画の中のアヴェリュスの妻は、金色の髪の痩身の美しい女性だった。


 だから、褐色の髪のフレイアとの結婚はないものとタケルは思っていた。


 そのことが酷く残念でならなかった。


 同時に気がかりだった。


 未来のフレイアが、どうなっているのか。


 その未来を、自分は知るチャンスがあった。


 だがあの時のタケルには、遠い異国の姫君の存在など知る由もなかった。


 ただもう一度未来に行くことがあったら、是非フレイアを訪ねたいと思った。


 美しい妻を娶り二人の子供に恵まれ幸福に暮らすアヴェリュスのように、フレイアも幸せに暮らしているのか。


 絶対に知りたいと思った。

 

 けれども、それは杞憂に過ぎなかった。

 

 目の前でフレイアが笑う。


 それが、ずっとタケルを悩ませていた疑問の答えだった。





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