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第二十七話

 未来のアヴェリュスの后は、イリスかもしれない。


 肖像画の中の女性の瞳の色は、オレンジと言うよりもっと深みのある色だったような気がした。


 だが金色に輝く髪は、肖像画の中の輝くイリスのものとよく似ていた。


 だとしたらいずれ自分は、アヴェリュスにイリスとの結婚を勧めることになるのだろうか。


 フレイア以外の姫君との婚姻を勧めるとは、今の段階では全く考えられない。


 一体何がどう展開したら、そのような状況になるのだろうか。

 

 いくら考えても見出せない答えに頭を悩ませているうちに、とうとうフレイアが次の国に出立する前日となってしまった。


 明日、出立ということもあって、城内は旅支度を整えるためにどこか雑然としていた。


 喧騒から目を背けるようにアヴェリュスとフレイアは、青い薔薇の庭園の傍に作られた東屋で毎日の日課となった午後の紅茶を楽しんでいた。


 明日のことは、二人とも口にしない。


 そのことに、タケルは二人の寂寥を感じた。


 ざわめきが近づいてくる。


 不快そうにアヴェリュスの流麗な銀色の眉がひそめられた。




「そっちに行ったぞ!」




「早くつかまえろ!」




 男達の叫ぶ声に、幾人もの足音が重なる。




「何事だ! 騒がしいぞ!」




 穏やかな時を邪魔されたことに対する苛立ちが表れたような声で、アヴェリュスが叱責した。


 ほぼ同時に、物陰から何かが飛び出してきた。




「なっ!」




 オレンジ色の物体が小さな悲鳴を漏らしたアヴェリュスの顔面を掠め、テーブルに着地した。


 それが何であるか確かめる間もなくテーブルに置かれたクッキーを蹴散らすと、勢いのままにアヴェリュスの正面に座るフレイアの濃紺のドレスの上にストンと落ちた。




「クリストファー!」




 声にならない叫びと共にフレイアが上体を反らすのと、立ち上がったアヴェリュスが顔面蒼白で叫んだのは、ほぼ同時だった。




「きゅるるるるん」




 身体の倍はある大きく豊かなオレンジ色の尻尾を左右に振りながら、フレイアの顔を覗き込むようにして鳴く仔狐の声が、水を打ったような静寂の中響く。




「申し訳ございません!」




「まあ! なんて愛らしい!」




 謝罪の言葉と同時に駆け寄ろうとするアヴェリュスより一瞬早く、フレイアが膝の上に乗った仔狐を抱き上げた。




「アヴェリュス様がお飼いになっておられるのですか」




「そっ、そうです」




 面食らったように答えるアヴェリュスをよそに、フレイアは手にした仔狐を抱き寄せた。




「ふわふわです」




「姫、ドレスに毛が……」




「かまいません」




 戸惑うアヴェリュスの言葉など、全く意に介さない様子でフレイアが更に強く仔狐を抱いた。


 赤子を抱きしめる母親のような幸せ一杯のフレイアの表情に、見ているこちらの心まで幸せになる。




「狐が人に慣れるなんて、知りませんでした」




「その子は……私が仕留めた狐の仔です」




 重い口調で告げられた言葉に、フレイアは手の中の仔狐からアヴェリュスに視線を向けた。


 真剣な青紫の瞳に、アヴァエリュスは困ったような寂しいような曖昧な笑みを浮かべた。




「亡骸となった母狐の傍で鳴くその仔を見て、戯れで狩りをしたことを酷く後悔しました。以来私は、銃を持ったことはありません。狐の毛皮も、身につけません」




 フレイアからそっと仔狐を受け取る。


 嬉しそうにキュルキュルと鳴く仔狐に、アヴェリュスはこれ以上ないほど優しい眼差しを向けた。


 抱き寄せた仔狐の頭を撫でる。


 愛おしそうに、何度も何度も。




「牛も豚も食べる私が、こんなことを言うのはおかしのですが」




「おかしいと理解していることが大切です」




 苦笑と共に告げられた言葉に、フレイアは澄み渡った青空のような澄んだ声を向けた。


 金色の眼差しがフレイアを見る。


 ゆっくりとした所作で、フレイアは立ち上がった。


 アヴェリュスの手の中で甘える仔狐の頭を撫でる。




「狐は可愛いから狩らない。牛や豚は家畜だから食べる。それが正しいと思っていたら困ります。けれどもアヴェリュス様は命に優劣を付けたりせず、自分の中の矛盾ときちんと向き合っていらっしゃる。それは、素晴らしいことです」




 聡明なフレイアの言葉に、幼い頃に見たテレビ番組をタケルは思い出した。


 ニュース番組の特集で組まれた、新薬開発のための動物実験の映像。


 ベルトに固定された兎に注射が打たれた。


 時間を置かずに兎の身体は大きく痙攣し、苦しそうに足をバタつかせた後、息絶えた。


 数え切れないほどの薬を服用しているタケルには、とてもショッキングな映像だった。


 今飲んでいる薬も、数多くの動物達の命の果てに出来たものに違いない。


 もしかしたら昨日打った注射は、あの兎に使った薬から作られたものかもしれない。


 そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなった。


 動物実験は、人が他の動物よりも優位であるという驕りだと思う。


 けれども、薬がなければ自分の命が続かないことも事実だった。


 自分は、数多くの命の犠牲の上に生かされているのだ。


 その事実を知ってから、どんなに薬の量が多くても、どんなに痛い注射でも泣かなかった。


 それが、犠牲になった動物達へ報いる唯一の方法だと思った。

 

 酷く自分勝手な解釈だということも、タケルには分かっていた。


 その勝手な解釈を、明瞭なフレイアの声が肯定してゆく。




「素晴らしいなど……そのようなことは……」




 惑いのない言葉に、アヴェリュスの頬がほんのりと染まった。


 恥ずかしそうに金色の視線が、手の中の仔狐を見る。




「アヴェリュス様は、きっと良い王になられます」




 未来を紡ぐように告げられた言葉に、王となったアヴァリュスの姿を思い出す。


 聡明で闊達で、家族を愛する優しい王だった。


 そのアヴェリュスが選んだのは、金の髪の美しい女性だった。


 ジュリアスの言葉を思い出す。


 未来を見る力など、欲しくはなかった。


 今ならジュリアスの気持ちが、泣きたくなるくらいに分かる。


 知ってしまった未来に、発作を起こしたように胸が痛んだ。




「アヴェリュス様、今宵のことで御相談がございます。城の方へお戻りになられて頂いてもよろしいでしょうか」




「わかった。今行く」




 側近の促す声に、凛とした眼差しでアヴェリュスは答えた。


 振り返りフレイアを見る瞳は、先程まで側近に向けていた引き締まった眼差しとはまるで別人かと思うほど温かで優しい。




「少々お待ち頂けますか、姫」




「はい」




 金色の瞳がタケルに向けられる。




「タケル、姫を頼んだぞ」




「うん」




 頷くタケルに、金色の瞳が再びフレイアを見た。




「すぐに戻ります」




「お待ちしております」




 仔狐を連れて颯爽とした足取りで立ち去るアヴェリュスの後ろ姿を、フレイアは愛おしそうに見つめていた。




「初めてお会いした日……」




 既にアヴェリュスの姿は見えない。


 けれどもアヴェリュスの姿が見えているかのように、青紫の瞳はまっすぐ前を見つめていた。




「部屋で食事を取るよう言われ、落ち込みました。一緒に食卓を囲みたくないほど、嫌われているのかと」




「それは――」




「わかっております」




 誤解だと言おうと慌てるタケルの声を、涼やかな声音が優しく制した。




「ここに来るまでに、2つの国を訪問しました。どちらの国も毎晩、盛大な舞踏会を開いて下さいました。けれども踊りに誘われたのは、最初の日の最初の一曲だけ。壁の花になるような美しい容姿のない私は、ただただ部屋の隅で小さくなっているだけでした」




 タンザナイト王国は、砂漠の広がる貧しい国だとアヴェリュスが話していた。


 縁戚関係を結びたがる国はないと。


 サファイア、ガーネットにとって、フレイアは招かざる客だったに違いない。


 それでも一国の姫君だ。


 ぞんざいに扱う訳にもいかず、結果、舞踏会という当たり障りのないイベントを開くことにより、国としての体裁を取り繕ったのだろう。


 だが、そこに心はない。


 フレイアが過ごした寒々しい日々を思うと、胸が重苦しくなる。




「この国に来て、人をもてなすということが、どうゆうことなのかを知りました。たわいのないおしゃべりで過ごした穏やかで優しい日々を、私は生涯忘れることはないでしょう」




 幸福に満ち足りた青紫の瞳が、ゆっくりとタケルを見た。


 聡明で慈愛に満ちた眼差しは、心優しいフレイアの心を物語るような穏やかな光を湛えていた。




「今宵、別れの舞踏会が開かれると聞きました。アヴェリュス様は、私と踊って下さるのでしょうか」




「勿論です」




 フレイアの言葉に、タケルは力強く答えた。


 途端、澄んだ湖面に映る月のような鮮やかで柔らかな笑みをフレイアは浮かべた。


 その夜、アヴェリュスがフレイアの手を離すことは、一度もなかった。





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