第20話:追跡と、書いた男
処刑の台は、組まれなかった。
組む者が決まっていなかったからだ。誰が決めるのかも決まっていなかった。宮は焼けて、王妃様の名は、どの帳面にもなかった。
わたしは新しくできた評議会の書記に、紙を一枚もらった。
書いたのは名前だけだ。
ルーカス・エインズワース。ライオネル。
この二人がどこにいるかを、わたしは知らない。
わたしには足がない。
この街にはある。
ヨナスに聞いた。厩の馬が何頭出て、どれが戻っていないか。
「東の狩り場のほうへ、一頭。栗毛です。あの方はあれしか乗りません」
ベスに聞いた。宿は洗い物を出す。急ぎの洗い賃は倍だ。
「南の街道の宿で、三日つづけて倍を出してる部屋がある」
ニコが走った。路地を抜けられる。
アガタに聞いた。誰の膳が下げられていないか。
「東の狩り小屋に、二日ぶん出ています」
鍛冶屋に聞いた。蹄鉄を替えた馬は音が違う。
半日で、二人の場所が割れた。
半年かけて集めた人たちだ。ひとりずつ、銭か貸しか事情で繋いだ。集めたときは、こんなことに使うと思っていなかった。
東の狩り小屋に、ライオネル殿下がいた。
逃げていなかった。
椅子に座って、火を焚かせていた。従者が一人ついている。腹が減ったと言っていた。
わたしを見て、少し眉を上げた。
「ロザリア」
五年、そう呼ばれた。
「なぜ、そんな格好をしている」
わたしは答えなかった。
この人は、都で何が起きたかを知っている。宮が焼けたことも知っている。それでも、収まるのを待っている。母上が収める、と思っている。
「殿下。宮は焼けました」
「知っている」
「王妃様のご行方は分かりません」
殿下の指が、肘掛けを一度叩いた。
「……そうか」
それだけだった。
「なぜだ」
殿下は言った。
「なぜ、こんなことになった。おれは、お前を殺せと言った覚えはない」
わたしは殿下を見た。
五年、隣に立っていた人だ。誕生日も、約束の刻も、わたしが覚えていた。この人は覚える必要がなかった。
「はい」
わたしは言った。
「殿下は、何も言っておられません」
殿下が、わたしの顔を見た。
言葉の意味を探している顔だった。
「一度も、何も」
わたしはそれだけ言って、外に出た。
従者が走って評議会へ知らせに行くのを、止めなかった。
ルーカスの場所は、アリョーナが決めた。
逃げるには銭を替える。地方で使える銭にしなければ、街道で足がつく。
「替え屋は都に四軒だ」
アリョーナは帳面をめくった。四十年ぶんの帳面だ。
「四軒とも、あたしに借りがある」
「情で頼めますか」
「頼まないよ」
アリョーナは指を舐めて、次の頁をめくった。
「取り立てるんだ」
三軒目で当たった。ルーカス・エインズワースは、二日前に銀を持ち込んでいる。宿は南の街道。ベスの倍の洗い賃と、同じ宿だった。
「わたしには返せません」
わたしは言った。
「借りが八十枚と、利息があります」
「知ってるよ。あたしの帳面だ」
アリョーナは帳面を閉じた。
「あんた、あたしが情でやってると思ってるだろ。あの四軒は、これで借りが減る。あたしは取り立てた。それだけだよ」
わたしは頷いた。
この人は最後まで、値のつくことしかしない。
この街で、それを崩さない人間は、この人だけだった。
ルーカスは、書付を燃やそうとしていた。
宿の暖炉の前で、紙束を火に入れているところを押さえられた。抵抗しなかった。紙の男だ。手を上げる型を持っていない。
燃やしても、写しがある。聖堂の石の箱に二十三枚。粉屋の袋の底に二十二枚。鍛冶屋の炭箱に一束。鐘楼の梁の上に一束。都に散らした先が六つ。
焼くには、その全部を焼かなければならない。
あの男の裁きは、二か月で済んだ。
書いたものが全部残っていたからだ。字が同じで、日付が入っていて、判の位置まで揃っていた。
自分の手で書いたもので、自分が落ちた。
ルーカスの処刑は、五月に決まった。
わたしは見に行った。
行かなくてもよかった。ただ、あの五枚を書いた手を、一度見ておきたかった。
右利きだった。指が長い。爪が短く切ってある。物を書く人間の手だった。
最後まで、書類の話をしていた。
「手続きが違います」
「控えを、確認していただければ」
誰も答えなかった。
それから、こう言った。
「あれは妹が。妹が言ったことです。わたくしは書いただけです」
声が高くなっていた。
評議会の書記が、それを帳面に書き取っていた。
あの男の最後の言葉も、帳面に載った。
わたしは、その先を見なかった。背を向けて、階段を下りた。
気持ちがよくなかった。
ただ、終わった。
「あの男は、死なないのかい」
ベスが言った。井戸の縁に桶を置いて、こちらを見ていた。
殿下のことだ。
廃嫡が決まっている。命は取られない。
「死にません」
わたしは言った。
「なぜだい。あんたを殺そうとしたのは、あの男の家だろ」
「あの娘は書きました。兄も書きました」
わたしは言った。
「あの人は、書いていません」
ベスが黙った。
「書かなかった罪を裁く言葉を、この国はまだ持っていません」
「じゃあ、なんにもないのかい」
「役目が一つ、つきました」
取られたものの帳面に、判を捺す役だ。
名前を一つずつ書き入れて、判を捺す。ネル・ミラー。グレゴル。名簿に載っていなかった子。懐妊税を払った、二千九百七十人。
全部に判を捺すには、日がかかる。
「数えない人でした」
わたしは言った。
「誕生日も、約束の刻も、五年、わたしが覚えていました」
ベスは桶を担いだ。
「そりゃ、あんたより長い罰かもしれないね」
エインズワース男爵家は、貴族の帳面から消えた。
爵位を取り上げて、領地を戻して、家名の欄に線を引いて、判を捺す。それだけだ。書式で消える。人が死ぬより短い手続きだった。
ニコが見に行って、走って戻ってきた。
「門柱、両方倒れてたぞ」
手を出した。
「片方だけ新しかったやつな。両方だ」
わたしは何も渡せなかった。銭がない。
「貸しにしとく」
ニコは指を三本立てた。
「利息な」
わたしは屋敷を見に行かなかった。
見に行く理由がなかった。
帰り道に、オズワルドが立っていた。
都の南の門のところだ。左腕は吊ったままだった。
「粉を納めてきた」
この街の粉屋が、都の南門で何を納めるのかは聞かなかった。
二度目だ。一度目は、ニコを連れ帰る路地だった。
並んで歩いた。
何も訊かれなかった。あの男がどう死んだかも、わたしがどこにいたかも、一つも訊かれなかった。
途中で一度、歩く速さが落ちた。わたしに合わせたのだと思う。
それも、思っただけだ。
あの娘の裁きは、まだ続いていた。
読み上げるものが多いのだと聞いた。取られたものの名前を、全部読むのだそうだ。ネル・ミラー。グレゴル。名簿に載っていなかった子。懐妊税を払った、二千九百七十人。
名前を読むのに、日がかかる。
三月に始まって、五月になっても終わらなかった。
夏が来た。
八月に、牢から使いが来た。
エマが、わたしに会いたがっているという。
名を書く欄に、家名がなかった。




