第19話:革命
門は、外から破られていなかった。
わたしはそれを、階段を上がってすぐに見た。
閂が抜かれていた。掛け金が下がって、扉が内側へ引かれている。破城の跡がない。石も倒れていない。
台所口の錠が開いていた。そこから人が入って、正門の閂を内側から次々に外していったのだ。
そして、台所口の鍵を持った女が、階段の下に立っていた。
前掛けをつけたままだった。手の甲が、火傷で白くなっている。
「アガタさん」
アガタは手の中の鍵を見ていた。
「うちの息子は、南の市で荷を扱っています」
アガタは言った。
「先月、紙を読みました。読めるんです、あの子は」
わたしは何も言えなかった。
「わたしの妹は洗い場にいます。妹の子は、去年の冬に薪が足りませんでした」
アガタは鍵を前掛けの中に入れた。
「宮の中で働いてる者にも、外に家がありますんで」
それだけ言って、台所のほうへ下がっていった。
この人は台所番だ。膳を上げる番の日に、一つ多く載せる女だ。
王宮の門は、この人が開けた。
斧でも、槍でも、火でもない。
鍵で開いた。
テオは、いちばん奥の房にいた。
台所口の鍵では牢は開かないので、錠は斧で落とした。オズワルドではなく、鍛冶屋の甥が振った。オズワルドの左腕は、もう上がらなかった。
石の壁の隅に、小さいものが座っていた。
膝を抱えて、頭を膝に押しつけていた。四夜、そうしていたのだと分かった。
「テオ」
顔が上がった。
頬が落ちていた。目の下が黒かった。十歳の子どもがそういう顔をするのだと、わたしは知らなかった。
「お姉さま」
声が掠れていた。
立とうとして、立てなかった。膝が伸びていない。
わたしは膝をついて、その体を抱えた。
軽かった。
半年、弟を生かすために銭を数えて、膳を一つ多く載せてもらって、それでも、これだけしか残らなかった。
「泣いてない」
テオが言った。
「一度も、泣いてないです。お姉さまが、泣かなかったから」
わたしは息を吸った。
喉の奥が焼けた。名前のあるものは外へ出たがる。わたしはそれに名前をつけないで、数えることにした。
この子の背骨が、指の下に七つ数えられた。
七つ数えて、それでも足りなかった。
わたしは声を出した。
言葉ではなかった。息の音だった。テオの肩に顔を押しつけて、それを出した。
テオが、わたしの背に手を回した。
「お姉さま。泣いていいです」
姉が泣かないから泣かなかった子どもが、姉に泣いていいと言った。
わたしは十を超えたところで、数えるのをやめた。
外は、火で明るかった。
東の棟が燃えていた。厩のほうは燃えていない。馬を出したのだと分かった。ヨナスがいるはずだった。
広場に人がいた。
昼にご大礼の飾りを立てていた場所だ。台と幕は倒れていた。花の輪が踏まれて、白いものが泥に散っていた。
わたしはテオを、ベスに預けた。ベスは何も聞かずに、外套の下に入れた。
外套を掛け直しながら、ベスが言った。
「粉屋の若いのが、あんたを探してたよ」
「いつです」
「さっき。三度来た」
ベスはテオの頭を撫でた。
「あの子、左の腕が上がらないのに、三度来たんだ」
人が割れた。
白いドレスの女が、広場を歩いてきた。
真珠が泥で汚れている。ご大礼の衣装だ。裾を持ち上げる者は、もういなかった。
両側に男が二人いた。腕を掴んでいなかった。掴む必要がなかった。
逃げる場所がない。
三千人が道を空けて、そのまま黙っていた。
石を投げた者はいない。誰も笑わなかった。
「税を返せ!」
「この女の腹のために、いくら払ったと思ってる!」
声は腹に向いていなかった。銭に向いていた。
一人だけ、違うことを言った。
「腹を見せ──」
「黙りな」
女の声だった。低くて、短かった。
言いかけた男が口を閉じた。
マーサだった。
「妊婦に手を出したら、あんたはあの女と同じになる」
マーサは前に出た。
桶を持っていなかった。手を前掛けで拭いていた。
エマの前で足を止めた。
わたしがこの街に来た日の朝に、石を投げた女だ。井戸のときに水を分けるのを断った女だ。泥の上でいちばん前に出て、昨日、黙って戸を開けた女だ。
触らなかった。
「あんた、あたしの子の名前を知ってるかい」
エマは答えなかった。
答えられなかったのだと思う。
「ネルっていうんだ」
マーサは言った。
「去年の八月に死んだ。十六だった。税吏が来て、鍋と椅子と毛布を持っていった。その晩、雨だった。うちの屋根は漏るんだ」
エマの喉が動いた。
「毛布があれば、拭いて包んでやれた。四日目の朝に、起きてこなかった」
「……」
「春に、一緒になる話をしてたんだよ。あんたの腹の税で、あの子の毛布が行った」
マーサはエマの顔を見た。
「あんたは、あたしの子の名前を知らない」
「殺せ!」
声が上がった。何本も上がった。
棒を持った男が前に出た。
マーサが動いた。エマの前に立った。
「やめとけ」
「なんでだよ。あの女は」
「子がいるんだ」
マーサは言った。
「いるから、殺すんじゃない。裁くんだ」
男が黙った。
「この女は、ネルの名前を知らない。知らないまま死ぬなら、あたしの子は、また名簿に載らないままだ」
マーサは棒を見ていた。
「あたしの子の名前を、この女に覚えさせてからにしろ」
誰かが、それを繰り返した。裁きにかけろ、と。
声が変わっていった。殺せ、から、裁け、に変わるのに、そう長くかからなかった。
わたしは何も言わなかった。
この街は、わたしが教えたことを一つだけ覚えている。
帳面に載せろ、ということだ。
わたしは名簿の話をした。マーサは、それを人の名前でやり返した。
エマは牢へ入らなかった。
見張りのついた部屋に置かれた。詰所の奥の、窓のある部屋だ。産婆が一人つくことになった。
決めたのは新しい役人ではない。マーサの一言で、そうなった。
弟も、はじめは牢に入らなかった。侯爵家の子を牢に入れれば他家が騒ぐからだ。
あの娘が牢に入らなかったのは、子を亡くした女が言ったからだ。
同じことを、貴族の体面と、母親が言った。
わたしはその違いを、しばらく考えていた。
その夜、わたしは一度もあの人に会わなかった。
東の棟の前で斧を持っていた背中を見た。人が入って、見えなくなった。
鐘楼の下で、粉のついた外套を見た。追いつく前に、角を曲がった。
厩の前で名前を呼ばれた気がして振り返った。別の男だった。
わたしは探していた。
探している理由を、わたしは自分に説明しなかった。左腕が上がらない人が、斧を持って歩いていることだけを数えた。
空が白みはじめた。
処刑の刻だった。誰も台を組んでいなかった。
紙は聖堂にある。署名は四枚ある。ヴィルマの帳面も残っている。街は「裁け」と言った。テオはベスの外套の下にいる。
あとは、判を捺した人と、書いた男だ。
ルーカス・エインズワースは、広場にいなかった。
そして、王太子ライオネルも、宮廷にいなかった。




