7.クラリスが脱獄後の日常
クラリス様が王都へ発つ前日、小さな送別の席が設けられた。
「王宮勤めとは名誉なことだ。」
伯爵は上機嫌だった。
「ずいぶんと立派になったな。」
「ありがとうございます。」
クラリス様はいつも通りだった。
喜んではしゃぐでもなく寂しがることもなく、ただ淡々と受け答えをしている。
「身体に気を付けるのよ。」
「はい。」
「仕事ばかりじゃ駄目よ。」
「承知しております。」
穏やかな食事会だった。
……穏やかすぎた。
本来、クラリス様は伯爵家の長女だ。
幼い頃から後継者教育を受け、領地経営も法律も税も学んできた。そんな人が家を出るというのに誰も惜しまない。
誰も引き留めない。
まるで、最初から、後継者候補の席には座っていなかったようだった。
その光景が、妙に胸に引っかかったのを覚えている。
そして数日後、クラリス様はいなくなった。
伯爵家の日常は、何も変わらなかった。
変わらない……はずだった。
———
「難しくて…」
リリア様が困ったように俯く。
「数字がたくさんあると頭が痛くなってしまって…」
伯爵の表情が険しくなり視線がこちらへ向く。
それはもう反射だった。
「申し訳……」
言葉が止まる。
『貴方が謝る必要はどこにありました?』
あの声が頭をよぎる。
「どうした?」
伯爵が眉をひそめた。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「……いえ。」
喉が渇く。
「申し訳ありません。」
口にはした、けれど以前のように謝罪の言葉が自然には出てこなかった。
胸の奥に、小さな棘が刺さったような、喉元に蓋が付いているような、そんな違和感が取れなかった。
その夜、自室で引き出しを開く。
奥にしまった封筒を取り出した。
王都商会
税務局
会計事務所
紹介状は、あの日のままだ。
しばらく眺める。
開くことも捨てることもできないでいた。
小さく息を吐き、窓へ目を向けた。
月明かりはなかった…今日は新月らしい。
暗い庭を眺めながら、ふと思い出す。
クラリス様の送別会の日、あの日は不思議なくらい大きな月が出ていた。
「……」
封筒を握る。
その重さだけが、やけにはっきりと手の中に残っていた。
『貴方のタイミングは、貴方だけが知っています』
この言葉が、恐ろしくもあり、救いのようでもあった。




