6.出口を知っているだけ
数日後、私はいつものように書庫へ向かっていた。
やはり静かな場所は好きだ。
誰かが泣くこともなければ、怒鳴る人もいない。
疑問を持って探せば本は答えてくれる。…人よりずっと親切だ。
「あ……」
書庫へ入ると、窓際の席に見覚えのある人物が座っていた。
エドガー・ウェインライト様。
相変わらず大量の書類を広げている。
どうやら今日も一人で仕事らしい。
私は持っていた封筒を見下ろした。
うん、ちょうど良い。
「エドガー様」
彼はこちらへ顔を上げた。
「あ…クラリス様」
立ち上がろうとするので、私は軽く首を振る。
「そのままで結構です」
そう言って封筒を差し出した。
「どうぞ」
「…私に、ですか?」
「はい」
戸惑いながら受け取った封筒は厚みがあった。
「これは……?」
「紹介状です」
「紹介状?」
「王都商会と税務局、それから会計事務所のものです」
エドガー様は目を丸くした。
「な、なぜ私に…?」
「私は王宮文官補佐として採用されましたので」
「え?」
「もう必要ありません」
そう言うと、エドガー様は一瞬だけ嬉しそうな顔をした。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
少しだけ頭を下げる。
「ですが、それとこれとは別です」
「別…ですか?」
「はじめは捨てようかと思っていたのですが」
私は封筒へ視線を向けた。
「エドガー様でしたら、問題なく採用されると思いましたので」
「ですが私は……」
エドガー様は困ったように笑う。
「伯爵家へ婿入りする予定です」
「ええ」
「でしたら、なぜ……」
私は少し考えた。
この質問には、きちんと答えた方がいい気がした。
「出口を知っているのにお伝えしないのは、少し気持ちが悪かったので」
「…………」
「ただ、それだけです」
静かな沈黙が落ちる。
窓の外では風が木々を揺らしていた。
やがてエドガー様は、手元の封筒を見つめながら小さく口を開く。
「……私に、逃げろと?」
「いいえ」
私は即答した。
「逃げるかどうかは、私が決めることではありません」
エドガー様がゆっくり顔を上げる。
「私は、出口を知っていたので共有しただけです」
そう言って封筒を軽く指差した。
「使うかどうかは、ご自身で決めてください」
「…………」
「要らなければ、お捨てになればよろしいかと」
エドガー様は封筒を見つめたまま、小さく尋ねた。
「……いつまでに、お返事をすればよろしいのでしょうか」
私は少しだけ考えた。
「特に期限はございません」
「え?」
「それは明日かもしれませんし」
私は一本指を立てる。
「私が伯爵家を出たあとかもしれません」
二本目。
「一年後かもしれませんし」
三本目。
「十年後かもしれません」
エドガー様は呆然と私を見つめていた。
「貴方のタイミングは、貴方だけが知っています」
「…………」
「その時が来たら使ってください」
「もし……」
エドガー様は少しだけ視線を伏せた。
「その時が来なかったら?」
「その時は捨ててください」
私は微笑んだ。
「それも一つの選択です」
しばらく二人とも口を開かなかった。
数分経っただろうか、私は一礼して言う。
「それでは失礼いたします」
「あ、あの……!」
呼び止められ、振り返ると、エドガー様は何か言いたそうな顔をしていた。
けれど、その先の言葉が見つからないらしい。
ふたたび長い沈黙のあと、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
私は少しだけ考えて、そして静かに首を横へ振った。
「まだ、お礼を言われるようなことはしておりません」
「え……?」
「使うと決めたら、その時に言ってください」
それだけ告げて、私は書庫を後にした。
静かな廊下を歩きながら思う。
さて。
あとは、あの人が決めることだ。




