クロガネノオオフカヌシ
翌日朝、湊の岸壁でアマツミコトハヌシの帰りを待つサクヤ達だったが、アマツミコトハヌシは中々姿を見せなかった。
「…里心でもついたんですかね?」
「ないとも言い切れないが…何かあったのかもしれんな…。」
そんなことを言っていると、プカリとアマツミコトハヌシが水面から顔を出した。
「遅くなってすまんな。ちょっと面倒なことになってな。」
「解決していないのですか?」
「我一人では中々な。我は結界系は今一つ得意でないからな。サクヤ、其方海に潜れるか?」
「どういうことでしょうか?」
「例の封印が成されている結界に弱まっているところがあってな。補修を試みたのだが、補修しきれなんだ。其方なら何とかできるのではと思ってな。」
「そこはどのくらい深さがあるのでしょう?」
「20間くらいはあろうかなぁ?」
「素潜りでは無理でしょうね。隠密寮にいた時に一応泳ぎは憶えましたが、得意というほどではないですから。」
「誰も素潜りでとは言うておらんわ。我をここまで運んだその逆ができるのではないかと思ったのだ。」
「あぁ、なるほど。試したことはないですが、短い時間であれば多分できると思います。ちょっとそこで試してみますか?」
サクヤはそういうと徐に海の上に跳躍し、自身を結界で囲んだ。
そのまま沈んでいくと、姿が見えなくなる。
アマツミコトハヌシはその後を追うように潜っていった。
「なんとかなりそうですね。」
「そのようだな。本当に便利だな、その結界術は。」
「場所はどこなのです?」
「銀鰐社の少し沖だ。」
「そこまで行くのに時間がかかりますね。」
「我が引いていくので、今日中には帰ってこれるだろう。」
「なるほど…それは楽しそうです。」
サクヤは一旦浮き上がって千代と左馬介に指示を飛ばす。
「夕方には戻ると思うので、もう1泊宿を手配しておいてくれ。」
「…了解しました。」
「では行ってくる。」
そう言い残し、サクヤは結界で小舟を作って乗り込む。その舳先には結界の綱がついており、アマツミコトハヌシはそれを自身に括って水面を走るように泳いでいった。
「…やはりサクヤ様は常識では括れませんね…。」
「最初から括ってねぇよ。あんなの理解を追いつける方が無理に決まってる。あれで「私はあくまで人の娘です」とか、ちゃんちゃらおかしいだろ…。」
「サクヤ様は諦めが悪いから…」
沖合に出てくると波が高くなるので、小舟を高速で走らせると跳ねて大変なことになった。
「コトハ様、一旦結界を消します!」
サクヤは小舟を消すと、水面ギリギリを飛んでアマツミコトハヌシについていく。
「凄いな…其方。まさかそのようなことまで出来るとは…。」
アマツミコトハヌシも呆れていたが、小舟を引っ張るよりは圧倒的に速くなり、半刻もしないうちに現場に到着した。
サクヤは回復薬を飲みながら結界で自身を囲った。
「では潜るぞ。」
「はい。」
暫く潜ると海底に磐座が現れた。突然結界で囲われた人間が現れ、魚達も逃げ惑っている。
「ここだ。」
「はい。では見てみます。」
サクヤは着底させると結界越しに封印の確認をする。
「確かに、欠損しているというよりは全体的に薄まっているというか、弱くなっている感じですね。」
そんな感想をいいながらも、サクヤは結界を強化しながら御力を籠めていく。
「こんなものでしょうか?」
「うむ、充分だ。さっきの飛翔といい、やはり其方は我をとうに越えていると思うぞ。」
「実は、日輪大神様に神力を授ける力も賜ってしまったのですよ…。」
「…もう其方が神でない理由を探す方が難しいのではないか?」
「うぅ…。確実に言い訳が効かなくなっているとは思うのですが…。」
「諦めろ。もう神以外の何物でもない。片足どころかどっぷり肩まで浸かってるじゃないか。」
「ぐぅ…。」
「まぁよい。用も済んだし、帰るとしよう。」
「待て…。」
「…クロガネノオオフカヌシか?」
「ああ。久し振りだな、アマツミコトハヌシ。しかし、折角結界が弱ってきたと思っておったのに、まさか人間の娘がこんな所まで来て結界を直すとは思わなんだわ。」
「ははは、サクヤは最早神と言っていい者だからな。其方を封ずる結界を直すくらいどうということはないぞ。」
「結界の癖がオオシロタタケヌシに似ているのが余計に気に食わんわ。娘、その結界は奴に授かったのか?」
「はい。」
「そうか…。折角、今の宮司はポンコツ故、よい機会だと思ったのだがな。このような人間が現れたということは、今の世に我の出る幕はないのだろう。」
「もう少し寝ておけ。そのうち其方が必要な世がくるやもしれぬからな。」
「ふんっ。そうする他ないではないか。さっさと失せるがいい。気分が悪いわ。」
「自分で呼び止めて置いてよく言うわ。」
「ひとつだけ宜しいでしょうか?」
「なんだ?」
「クロガネノオオフカヌシ様はこの海で暴れ回った結界日輪大神様とオオシロタタケヌシ様に封印されたと聞いているのですが、何故そのように暴れられたのかと思いまして。」
「そういう性分だからとしか言いようがないな。海の中では多くの神が勢力争いを繰り返しておってな。そこに地上の神であるはずの奴等が介入してきおったのだ。誘い入れたのはどうせ海豚の奴であろうが…。」
「海豚…ですか?」
「余嶋の南、鯨の国で祀られておるらしい。まったくもって忌々しい奴よ。あとは東国の豊の国の金鯱か。このどちらかか、若しくは両方か。」
「分かりました。有難うございました。」
「我の封印を強化したものに礼を言われてもな。まぁよい、さっさと去るがいい。」
「では、失礼します。」
サクヤは水面に浮き上がると、また結界の小舟を作ってその上に乗り込んだ。
「神々の世界も色々大変なようですね。」
「我が川を上ったのも、海が余りにも荒れていたということもあるからな。平穏を取り戻したという意味では、日輪大神とオオシロタタケヌシには感謝しておるのだ。」
「そうだったのですね。でも、久し振りに海に出て、里心がついたのではないかと心配していたのですよ。」
「ははは。確かに懐かしくもあったし、楽しくもあったな。だが神となった以上、与えられた責務というものがある。それに、淡水の魚は中々上手いのだぞ。」
「…そこですか…。」
時間に余裕もあったので、帰りはやや速度を落として小舟のまま甲の津に戻った。
その様を偶々目撃した漁師や海賊衆からは、『神産みのサクヤの海渡りとして語り草になるのは少し経った頃にだった。』




