↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

1- 文化祭準備:光祐




 夏休みが明けて三週間。午後の陽射しはいまだに容赦がなく、額には汗が滲んでくる。光祐(こうすけ)は思わず握っていたシャープペンシルを手放した。首へかけていたタオルの端を掴むと、少し長めのスポーツ刈りを掻き上げて汗を拭う。ズレた眼鏡を掛けなおして息をつき、騒がしい教室を見渡した。

 机や椅子は必要最低限を残して二段に積まれ、後ろへ下げられている。広くなったスペースで、それぞれのグループが地べたで作業をしている。窓も出入り口も開け放たれ、大型扇風機も設置され、風通しは抜群のはずなのだが、全く間に合っていない。光祐はカッターシャツの袖口を捲り直した。とは言え、残暑のためにどこか気だるげだったクラスは、ここ数日で活気を取り戻してきている。十月末に開催予定の文化祭。いま、学校中がその準備に追われている。


 光祐の通う野々邱(ののおか)中学は校区内では一番古くマンモス校だ。公立で、七、八年前から校舎、体育館、プール、正門から校舎までの桜並木道と改築工事が進み、光祐たちが通い出す頃にはほとんど新設の学校のようになっていた。音楽祭や体育祭は周りの学校と一緒でほどほどだが、文化祭だけは日曜日に行われ、高校にも負けない規模で地域の名物にもなっている。食べ物を扱う店も出すし、野外舞台が組まれてライブなんかもする。毎年9月下旬から10月末までのほぼ一か月間は、午後の授業が一切無くなり、校舎内は文化祭準備の為の戦場と化す。


 光祐は教卓で班ごとの進行表を確認している。当日の店番のローテーションも組んでしまいたい。出し物は既に決まっている。

 店名は『サイエンス・アクアリウム サンゴ』アクアリウムをモチーフに、理科の実験と展示を行う予定だ。名前の候補がなかなか出揃わず、焦れたクラス委員長が「三年五組でアクアリウムなんだからサンゴで良い」と大変に安直な理由でつけられた。女子からは非難殺到、しかし委員長は頑固親父のようにむっつりと押し黙り嵐をものともしていなかった。結局、他の案が出ないまま用紙が提出された。光祐としては「すげえわかりやすくて良い」と思っている。


 作業は主に四つ。“内装班”“衣装班”“広報班”、そしてテーマごとの”企画”。内装か衣装か広報か、どれかを一つ掛け持ちしながら、テーマごとの展示や実験などの何らかの“企画”へ所属する。それぞれに班長と副班長がいる。その他の枠として、クラス委員、文化祭実行委員が、男女二人ずつ、この四人は要するに雑務・連絡係でもある。

 光祐は広報班のメンバーだ。今やっているような、クラス全体を俯瞰して手助けする、というような作業は、本来はクラス委員か文化祭実行委員の仕事だ。確認している進行表や足りない物のリストも、あくまで自主的な善意によって作られている。ちなみに、作成者は光祐ではない。


 ひと際はしゃいだ笑い声が上がる。見ると飾りを作っている女子数名だった。彼女達が作っているのは、薄い色紙を束ねた紙の花。楽しげに肩を揺らしてはいるが、まだいくつもできていない。

 五組のクラスメイトはどうものんびり構えている者が多く、作業の進行度が他と比べて遅い。尻を引っ叩ける役回りのクラス委員も文化祭実行委員も、今は生徒会の会議に駆り出されている。これからは、もっとそちらへ掛かりっきりになり、スケジュールの後半では多忙を極めていく。それで昨日はついに「このままじゃうちのクラスはやばいッ」と委員から泣きつかれた。そしてその泣きつかれたのも、やっぱり光祐ではない。


 後ろのドア付近で、男子が三人固まっているのが目についた。なんの作業をしているのかとしばらく眺めて、光祐は舌打ちした。教卓へ広げていた壁掛けのカレンダーを引っ手繰ると、そちらへ向かってツカツカと歩み寄る。そうしながら、カレンダーを固く絞って丸めた。二人がそれに気がつき、げッ、と顔を引き攣らせる。残る一人の背後をとり、丸めたカレンダーを振りあげた。パコーンッ! と一発。殴られたクラスメイトは痛みよりもショックで目を見開いている。


「ひ、日野水(ひのみず)~なにすんだよ!」


 情けない声を上げるクラスメイトを、光祐は冷たい眼差しで睥睨する。


「それ、有機の英語のプリントだろうが」


 地べたに這いつくばって何をしているのかと思えば、英語の課題を写しているらしい。午前中に、ヒントにするだけ! と頼んでいるのを目撃した。あのときに張り倒しておくべきだったな、と思う。


「人から借りたもんを地べたに置くんじゃねえよ。だいたい今は文化祭の準備だろうが」


 真顔で怒りのオーラを背負う光祐に、三人が身を寄せ合ってひぃひぃ言いだす。この分では、また予定が押す。光祐は眉間に皺を寄せて、深い溜息をついた。

 ふと開け放っていた窓から突風が吹いてくる。あッ! と小さな悲鳴が上がった。そちらを向く前には、紙の花が一つ、二つ、三つ……光祐たちの前を過ぎて、廊下へこぼれていく。飛んでいってしまうかと思われた花は、ちょうどそこへ立っていた生徒に拾いあげられた。桃色、水色、黄緑色。花を一つ、一つと、丁寧に確かめて教室へ入ってくる。


「ああよかった~豊晴(とよはる)くんありがと!」

「ああッ有機(ゆうき)ッ助けてッ!」

「ちゃんと自分たちで解くから~日野水に言ってくれよぉ~」


 花を受け取りに駆け寄ってきた女子、足元へ縋りつく男子三名。戻ってくるなり荷物を抱えたまま、もうクラスメイトに囲まれている。柔和な笑顔に戸惑いを浮かべ、有機が首を傾げてくる。光祐は何も答えず、抱えている荷物をいくつか奪い取る。それに、ありがと、と笑顔が返ってくる。有機は女子の方へ向くと、はいこれ、と花を手渡した。


「あとカゴ用意してみたんだけど。さっきみたいにとんでっちゃうし」

「わあ、ありがとう!」


 有機は笑顔を返すと、彼女の後ろを覗きこむ。女子の集団を眺めているらしい。お喋りに熱中していたことが気まずいらしく首を竦めている。


「きれいだね」


 有機の一言に、女子たちがほんのりと頬を染めている。自分たちに言われているわけではないとわかっているだろうが、気恥ずかしそうな笑みを零している。足元の男子たちが、きれい……、と自分たちでは口にしない言語を反芻し、茶化そうとする空気を醸し出している。光祐は去り際に、パコパコパコンッ! とその馬鹿面へ三連打をお見舞いした。バカになるー、鬼、有機~、という言葉を背に教卓へ戻る。有機と言えば、律儀にしゃがみこんで男子達の話しへ耳を傾けている。


 光祐は再び教室を見渡してみた。女子達は有機へ目配せしながらヒソヒソとはしゃいでいる。けれど花作りの速度は上がっているし、男子達も作業をはじめている。光祐は知らず肘をついた。いつもながら、この人たらしっぷりには感心を通り越して呆れすら覚える。


「あんなもんよく貸してくれたな」


 ようやく教卓へ辿り着いた有機へ声をかける。首を傾げるので、玉入れのやつだろ、と顎で花カゴを示す。納得したように笑みが返ってくる。


串田(くしだ)先生に頼んだ」


 確かにクラス担任は体育を受け持っているが、ダンボールでも使え、というような融通の利かないところもある。どうやって、という意味をこめてみつめると、有機が悪戯っぽい笑みを浮かべながら声をひそめる。


「先生にね、ダンボールより士気があがると思いますって訴えたんだ」

「なんだよそれ」

「ほら、中がみえる方がさ、色味もきれだし、いっぱいにしよ~って思いそうじゃない?」


 有機がくすっと笑ってみせる。出会って一年と半年、どこからどこまでが計算で天然か、未だによくわからない。


「おまえ人を甘やかす天才だよ」


 呆れた声でそう言うと有機は、そうかなぁ、とぼんやり呟く。教卓に散乱する紙を束ねながら、ところで進行表どう? と小首を傾げてくる。光祐がチェックしていたそれは、もとは有機が作ったものだ。備品のチェックリスト、店番のローテーション、全て今朝、雛型を持ってきたのだ。これを差し出された委員達が感極まっている姿を横目に、光祐は内心で有機に「お前は内装班だろうがこの野郎……」と思ったものだ。目を眇めていた光祐の圧に、委員達が怯えながらも口々に「豊晴と日野水、最高の飴と鞭役なの! お願いだからクラスお世話係やって!」と頼みこまれた。


「何箇所か今日の作業を見て書き直した。完成までの一週間ごとの予定は、今日中にブースの代表から報告をもらう。これから毎週な」

「全部やってくれたんだ、ごめん」

「別に、あと店番は俺が組む」

「え、でも」

「でももへったくれもねえ。おまえ、どうせみんなの意見取ろうとするだろ。そんなもん、いちいち聞いてられるか。文句がある奴は後で言いに来させる」


 憤懣やるかたなくそう言い切ると、担任から奪った出席簿のコピーを引っ張り出す。作業に入ろうとシャープペンシルを握ると、ごめん、と聞こえてくる。光祐はまた顔をあげた。いつも笑っている有機が、珍しく純粋に困っている。


「巻き込んじゃって」


 光祐はフンッと鼻息をついた。


「ほんとにな。まんまとこんなもん作ってきやがって。俺は最近、周りの奴らを黙らせるより、おまえを殴った方が早いんじゃないかって思いはじめたよ」


 有機がこちらをみつめてくる。ときどき、猫のようにじっとした目を向けてくることがある。そういうときの顔には笑みが無く、光祐はいつも、……こいつパーツだけなら、以外ときつい顔をしてるよな……、と思ったりする。伺うようなその態度に「……うそだバカ」と額を小突いてやった。有機も本気にはしていないようで、可笑しそうに笑った。

 二人はそれぞれの作業をはじめる。窓の外では、未だ生き残った蝉が声の限りを尽くしている。


「ホモカップル」


 教室の喧騒の中でも、その言葉が耳についたのは、悪意を感じたからだ。光祐は顔をあげた。男子が三人、教卓の前を通り過ぎて、教室を出ていく。忍び笑いで揺れる肩が、廊下の先へ遠ざかっていく。


「……なんだあれ」


 光祐は真顔でそう口走っていた。


 なんだあれ。まずホモカップルってなんだ。


 肘をつきながら三人の後ろ姿を見据える。会話もほとんどしたことの無いクラスメイト。でも一人だけ覚えがある。有機と仲の良い二橋(ふたはし)だ。今年、はじめて同じクラスになったらしい。ある時期から急速に仲良くなっていたけれど、どういう経緯でかは、光祐も知らない。仲が良い、はずだ。少なくとも、光祐にはそのように映っていた。夏休みの前までは。

 光祐は有機を一瞥した。相変わらずシャープペンシルを走らせている。顔をあげないので、自分も手元へ視線を落とす。有機の指先が微かに震えていたことについて、このときは見て見ぬふりをしておいた。




 光祐が有機に出会ったのは中学に上がってからだ。

 二年と少し前、校庭のあちこちでは桜の花吹雪が舞っていて、その風景と同じように、教室の雰囲気もどこか浮ついていた。誰も彼もが真新しい制服の袖を持て余してそわそわしていた。入学式から数日たち、授業もスタート。光祐はそのとき、小学校が一緒で、顔見知り程度のクラスメイト数人と、誰々は私立に行ったとか、あいつはぎりぎり校区が違ったとか、他愛のない話しをしていた。


「とよはるー」


 なんとなく声がした方を見ると、別のクラスの男子生徒が、後ろの戸から教室内を覗きこんでいた。クラスメイトがひとり、近づいていく。笑顔で話しを聞きと、席へ戻って教科書を持っていった。


 同級生にしては、落ち着いた笑い方が様になるやつ。


 これが、光祐がその男子生徒に抱いた第一印象だった。

 

 それからも、会話をする機会は無かった。けれど他のクラスの生徒が、たびたびそいつに物を借りにくるので、なんとなく『とよはる』という名前を覚えてしまった。

 仲良くなるきっかけは最初の席替え。光祐は『とよはる』の隣になった。挨拶を交わす程度の仲になってしばらくしたある日、光祐は教科書を忘れた。理科の教師へそのことを伝えると、隣のものに見せてもらいなさい、と指示された。

 隣へ「ごめん」と声をかける。「いいよ」と笑顔が返ってくる。互いに机をくっつけあって教科書を二つの机の間へ置く。ページの左側を光祐が、右側をとよはるが押さえ、授業が始まった。


 三十分ほどたった頃。窓から吹き込んできた強めの風で、教科書のページがめくれてしまう。二人で、あっ、と呟いている間に、パラパラパラと数ページ先へ。開いたのは次の単元、写真が掲載されている。蛙の目の部分に、手書きで眼鏡が描き足されている。 『ゆうきへ 藤崎そっくり♡』お世辞にも綺麗とは言えない文字で、そう書き添えられていた。二人はしばらくの沈黙のあと、どちらともなく目を合わせた。同時にそろりと教員の顔を確認。似ている。


 光祐は眉を寄せた。シャープペンシルをノックして芯を出し、ノートへ走り書きする。絵と教師をちらちらと確認するとよはるの方へ、そっとノートを向ける。


『これおまえがかいたの?』


 教科書に落書きなんて、想像ができない。とよはるもシャーペンを走らせて返事をしてきた。


『おれじゃないよ』


 やっぱり書いたのは本人ではないらしい。つまり犯人は、教科書を借りた他の生徒だろう。光祐は他人事ながら、物を借りといてなんてことしやがる、とむっとした。でも当のとよはるは、特に怒っている風ではない。光祐はこれにも少しだけもやっとした。犯人に対する嫌味のつもりで返事をした。


『字が汚すぎてぶん殴りたくなる。』


 とよはるがそれを確認して、すっと前を向いた。授業に集中するらしいと踏んで、光祐も前を向く。不愉快にさせたかと内心で反省していたら、目の端で教科書から手を離すのが見えた。閉じかけたそれを咄嗟に片手で押さえる。訝しく思って視線を向けると、とよはるは口元へ手を当てている。なんだ? と眉を寄せる。


「……ふッ」


 そう聞こえて、よく見れば笑いを噛み殺している。珍しすぎて、しげしげと眺めてしまう。俯いて本格的に肩を揺らし出した。これには光祐も釣られそうになり、思わずぎゅっと目を閉じる。


 こうなってくると、教科書に落書きがされていることも、普段はにこやかな笑みしか浮かべない彼が、必死て笑いを堪えているのも、何もかもがおかしくてなってくる。このままじゃやばいと感じてシャーペンを走らせる。もう互いに教科書を抑えるどころではない。なんでもいいから気を紛らわせたかった。


『つーか、ゆうき、ってなんなんだ?』


 藤崎は教師のことだが、その隣の”ゆうき”がわからずそう書いてみる。これにとよはるは、さっきよりもさらに笑いを堪えていた。


『おれのなまえ』


 そう返事がきて、光祐はむしろ少し笑うのが収まった。


『とよはるって下のなまえじゃねえんだ』


 まだ笑いを納めらていない彼が


『ややこしいよね よくいわれる 上が豊晴(とよはる)下が、有機野菜の有機(ゆうき)だよ』


 なるほどと光祐はひとり納得する。有機は、何故かさらに笑いを堪えている。目に涙を溜めながら、何かを書きこんだ。


『日野水は、下のなまえ、光祐?』

『よく知ってるな』


返事をすると、また有機が続けた。


『席替えしてから女子が 光合成コンビ誕生だね って言ってた』


 有機が一瞬、ンふッ、と声を漏らして両手で顔を覆った。日野水光祐と言う字面で、太陽をイメージしたらしい。それに豊晴の緑のイメージが重なったからだろか。光祐は遠い目をして、率直な感想を述べた。


『まじか クソダセェな 定着したら学校やめようぜ』


 隣から、くふッ、と言うのが聞こえる。自分で言ってても可笑しくなった光祐は、もう寝たふり上等で机に顔を伏せた。頭の中で、今知ったばかりの名前を反芻する。


ゆうき……有機


 綺麗な名前だ。それと同時に、いつもすっとした目もとで、にこやかに笑っているくせに、笑い上戸かよ、と思う。光祐は机に突っ伏したままくつくつと笑った。その感じで笑い上戸とかなんだよ。そう思うのと同時に、自分がこいつを笑わせたのかと妙な優越感を抱いた。

 これがきっかけで、二人は何かと一緒に行動するようになった。


 側で観察するようなってから解ったのは、有機が誰彼構わず物を貸してしまうことだ。光祐は、人に物を絶対に貸さない性質だ。友達が忘れ物を借りに来ても「お前が忘れたんだろ」の一点張り。すると有機が横から「貸そうか?」なんて言い出し、これが通例となった。さらにこれだけでなく、有機はちょっとした困りごとを相談されていたり、頼まれ事をされたりすることがよくあった。


『……数学の課題、ここが解らないんだけど』

『なあ有機~次の移動教室ってどこへ行けばいいんだっけ~』

『聞いてよ豊晴くん! 教室掃除用の雑巾、いくら下ろしても誰かが廊下用にしちゃうの!』


 些細なことから、それコイツに言ってどうなんだよ、と言いたくなる内容まで。果ては担任までもが「すまん豊晴。次の授業でスクリーン使うんだが持ってきてくれないか?」こんな始末。そんなことは日直にやらせろ! と、よく一喝しなかったと自分でも思う。


 二年で同じくクラスになっても相変わらず、三年になった今では、有機を頼る全体数がどう考えても増えている。みんなが、有機に言えば何かを何とかしてくれると思っている。どいつもこいつもと腹が立つのと同時に、受け入れる方も受け入れる方だとため息が出る。


 有機の家は両親が共働きらしく、だいたいの家事も彼がこなしている。お弁当だって自分で作ってきている。その上、年の離れた妹がいるから、世話焼きへ拍車がかかっている。おまけに、もともと細かいことによく気がつく性格だ。これらが重なって、究極のお人好しが出来上がったんだな、と光祐は半ば呆れている。


 こんな感じなので、有機はとても人当たりが良い。他人に悪い印象を与えること自体が少ない。全員に好かれるとは言わないが、きっと、だいたいのクラスメイトが、豊晴を嫌いな奴っているの? と思うはずだ。

 だから有機に対して、あれほどあからさまな悪意を向けるヤツは珍しい。むしろ今まで見たことがない。少なくとも、光祐の知る限りではそうだ。 




 どこからか、カナカナカナカナ……とひぐらしの鳴く声がする。晩夏を惜しむような物憂げな響きが、夕暮れに染まるアスファルトへ滲み入っていく。


 光祐は有機と帰り道を歩いていた。話題は昨日、テレビで放送された映画について。特別、感動を伝えたいと言うわけではなかった。こんな役者が出ていたとか、こんなストーリー展開だったとか。

 有機は、生返事を繰り返している。光祐は最初からそれに気がついていて、それでも話し続けていた。気のない話しを続けながら、隣へ視線を向ける。有機はアスファルトの先を見つめながら、うん、と呟く。返事と言うよりは、もはや音声に近い。例えばいま、その角から自転車が跳び出して来たとしたら、轢かれるかもしれない。それくらい、心ここに在らず、と言った感じだった。

 一考に様子の変わらないのを認めてついに、おい、と声をかけた。返事はない。


「……有機」


 今までより語気を強めて呼べば、ようやくこちらへ顔が向いた。傾きはじめた日に晒されて、黒い髪へ光の輪がつやりと瞬いている。


「聞いてた?」


 問えば、ごめん、と申し訳なさそうな表情。光祐はそれを気にする風も無く切り出した。


「二橋とケンカ?」


 あまり重くならないよう、気軽な調子を心がけた。有機が視線を反らす。何かを言い淀むような素振りを見せたあと、昼間はごめん、と呟いた。光祐は、はぁ? と眉を寄せた。


「なんか、光祐まで、変なこと言われて」


 謝られるとは思っておらず、面食らう。でも次の瞬間にはイラッとした。


「そんなのどうでもいいだろ」


 思わず乱暴な口調になったが、そっか、と困ったような笑みが返ってきただけだった。

 有機のことを、控えめで面倒見がよくて、いい奴だと思う。それと同時に、その控えめさと面倒を見る側に徹するところが、時々無性に腹が立つ。

 しばらく憮然としていたが、光祐は気づかれ無い程度の溜息をついた。こんな態度は、有機の心労を増やすだけだな、と思う。隣りを盗み見れば、先ほどよりも沈んで見える。罰の悪さを誤魔化すために口を開いた。


「まあいいや。それより腹減った!」


 突然の発言に、有機は戸惑った様子を見せる。


「10円コロッケ食って帰ろうぜ」


 光祐は有機の返事を待たず、先導するように少し前を歩き出した。

 一本道を逸れる、ほんの少しだけ遠回りになる。住宅街を進んでしばらく、目的の場所が見えてくる。注意して歩いていなければ、商売をしているとは思えないだろう。店先を覗けば、三畳ほどの小さなスペース、洗剤や金たわし、フライ返しとちょっとした日用品が所狭しと並んでいる。その端っこで、丸椅子に腰かけたおっさん然とした風体の男が、いつものように煙草をふかしながら老眼鏡で新聞を読んでいる。


「おっちゃん、10円コロッケ二つ」


 男は見向きもせず、あいよ! と勢いのある声を上げ、煙草をアルミの灰皿で揉み消した。こちらへ背を向ける。そこへ設置してある横幅三十センチも無い卓上フライヤーの電源を入れる。数分の後、パチパチっと微かに油の跳ねる音。それへ、衣がほとんどついていない平たく丸く成形された固まりを放り込む。ジュワアアッと揚げ物の良い音が辺りへ響く。


 ここは昔から、自宅を兼ねた金物屋を営んでいる。店主の男は、このおっさんは一体いつからおっさんで、いつまでおっさんなんだろう、と首を傾げるほど見た目が変わらない。

 この辺りにも百円均一やコンビニがあって、便利な物や場所で溢れ返っている。それでも、近所に住む主婦やじじばばにとっては、包丁を研いでくれたり、馴染みの鍋の持ち手を修理してくれたり、工務店にいかなければ売っていなさそうな品がひょいっと出てきたり『痒い所に手が届く』と言った店だ。


 そして少年少女たちにとっても、10円と言う安さでコロッケが買えるありがたい場所だ。スーパーで売っている物より随分と小さく、肉も入っていないけれど、お腹が空いててお菓子の気分じゃない、なんていうときにはもってこいのおやつだ。

 コロッケを頬張る。光祐は二口、有機も三口で食べてしまえる小さいコロッケ。

 あっという間に平らげて、包み紙をくしゃりと握る。隣りで包み紙を丁寧に折り畳みながら、あのさ、と有機が話しはじめる。

 

「二橋の、ことなんだけど……」


 有機は思案顔で、かなり言葉を選んでいるようだった。


「ケンカとは、ちょっと、違ってて」


 結局は歯切れの悪い言い方に、なんだそれ、と光祐は憮然とした。おれが……と、呟きが聞こえる。見れば、有機はアスファルトの先を見つめ、薄く唇を開いたまま。

 何かを言い淀んでいるような、苦しげなような、そんな風に見えた。でも有機は口先だけで笑みを作って、ポツリと言った。


「……間違えたんだと思う」


 光祐は無言で有機を見つめた。これだけはぐらかされては、詳しいことを聞き出すのは難しいだろうと感じる。面白くはなくて、ふーん、と不機嫌な声を漏らす。しばらくは二人して黙々と歩いた。

 

 いつもの別れ道へ差しかかったときになって有機が、光祐、と声をかけてきた。ん、と不愛想な返事をすると、いつものように柔らかい笑顔が返ってくる。


「ありがと」


 その言葉の切実さに、光祐は、はあ、と息をついた。


「……ケツバットでもかましてやれ」


 そう言うと、有機はきょとんとしていた。


「そしたらなんとかなんじゃねえの」


 そう言って顔を反らしたのだけれど、ぶはッ、というのが聞こえて光祐は思わず再び有機を見た。クツクツと可笑しそうに眉を寄せていり。有機はやっぱり少し、笑い上戸だ。


「はあ~、可笑しい」


 目尻の涙を拭いながら、光祐、とまた呼ばれる。


「ありがと」


 今度ははにかむような笑顔に、光祐は思わず眉を寄せた。


「おまえたまに恥ずかしいよな」

「え、なにが?」

「なんか健全すぎて」


 有機は、そうかな? と首を傾げる。そうだよ、と小声で返す。


「……なんかあったら言えよ」


 そう言いながら光祐が歩き出す。有機も、ん、と笑って手を振った。

 その背中を見送り、自分も家路へ足を向ける。歩いていると、先ほどの言葉が蘇ってくる。


———ホモカップル


 悪意の滲んだ声音すら思い出されて、明日ぶん殴ってやろうか、と思う。けれど有機が、波風を立てたくないのだろうと考えると、この怒りも飲み込むしかない。ただ光祐の中でははっきりしたこともあった。


 新学期が始まって以来、有機の様子がおかしいと感じていたのは、どうやら間違いではないらしい。ふとしたときに物思いへ沈んでいたり、少し痩せてしまったようにも見えたり、ただ文化祭準備の慌ただしい日々のなかで、今までは核心をもてなかった。今日のことで、それらの原因が二橋にあるのかもしれないと、合点がいった。


 光祐自身は有機と夏休み中にも何度も会っている。


 アイツとはどうだったんだろう。


 胸の内に燻るモヤは当分晴れそうにも無く、知らず怒気を含んだため息が漏れる。

 たったひと夏で何が起こったのか。

 光祐には想像することもできない。



以前に掲載していたときは、ここまでのアップだった気がします。当時読んでくださった方、反応くださった方、ありがとうございます。今回は終わりまでฅ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
教科書の落書きとか10円コロッケとか、要所要所に中学生味を感じて、懐かしみながら読んでいます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。