第86章:最適化された「至高の贅沢」
晩餐会から数日。バルツァー城の社交界は、奇妙な熱狂に包まれていた。
中心にいたのは、あの夜、俺の『調整剤』を口にした令嬢だ。
彼女の劇的な回復は、顔色の悪さに悩む貴族たちの間で瞬く間に噂となった。だが、貴族たちが食いついたのは「疾患の完治」という健康的な事実だけではなかった。
令嬢の口から語られた「人生で味わったことのない、洗練された至福の喉越し」という証言だ。
噂は尾ひれをつけて膨らみ、今やそれは「口にするだけで心身が浄化され、美しさが際立つ至高の媚薬」として神格化されていた。
「アレン殿……いえ、アレン様。何卒、我が娘にもその『生命の源』を授けていただけないか」
俺の宿には、連日、山のような招待状と莫大な金貨を積んだ使者が訪れるようになった。
彼らは一様に、俺を「凄腕の錬金術師」か「伝説の美食家」のように崇めている。
「……話が違う」
俺は届いた依頼書を溜息とともにスキャンした。
依頼のほとんどが「美容のため」「宴の目玉として」という、俺からすれば極めて低優先度なリクエストばかりだ。
「……私の目的は、栄養素のバイオアベイラビリティを向上させ、代謝を最適化することだ。決して、飽食の貴族たちの『グルメ体験』のために成分を精製しているわけではない」
だが、合理的に考えればこれはチャンスだ。
彼らが払う莫大な『コスト』は、希少な薬草や、俺の身体をさらにアップデートするための高度な研究設備への投資に変換できる。
俺はペンを執り、使者たちへ事務的な返信を書き始めた。
「……わかった。ただし条件がある。私の提供する『調整剤』は、一滴たりとも粗末にしないこと。そして、私の提示する『食事管理プログラム』に従うこと。……これを守れない者に、私の技術は提供しない」
噂を聞きつけた貴族たちは、俺の出す厳しい条件を「天才ゆえの気難しいこだわり」と解釈し、むしろ熱狂を加速させた。
彼らは俺の提供するスムージーを、まるで聖水のようにグラスに注ぎ、一滴も残さぬよう慎重に口に運ぶ。
そしてその一口を味わうたびに、彼らは恍惚とした表情で、俺の「技術」を賞賛するのだ。
「ああ……なんという芳醇な魔力の雫……。これこそが、神が与えし生命の祝福か……!」
俺は彼らのそんな様子を、データの処理結果を眺めるような冷ややかな目で見ていた。
貴族たちが俺の『調整剤』を飲み干し、健康になっていく。
その対価として積み上がる金貨で、俺の研究環境は飛躍的に最適化される。
――皮肉なものだ。
俺が求めたのは純粋な生物学的な効率性だったはずなのに、結果として社交界の頂点に君臨するような形で、最強のリソースを回収してしまっているのだから。




