104話:深緑の遭難と、彼の素顔
教官が演習場の中央に大きく広げた一巻の羊皮紙——そこに記された文字を目にした瞬間、集まった生徒たちの間に波のようなざわめきが駆け抜けた。
今回のサバイバル演習における、正式な「班分け」の発表である。
「事前に説明した通り、今回の演習は実戦さながらの経験を積むためのものです。そのため、学園内での身分や主従関係は一切考慮していません。提示された班の仲間としっかり協力し合い、自分たちの力で野営を成功させてください」
教官の静かだが通る声が響き渡る。日頃から従者の手厚い世話に慣れきった箱入り貴族たちにとって、主従を切り離されるという方針は、まさに青天の霹靂だった。
セレスティアを中心に、ローゼ、コレットやミシェル、セシリア、ブラッドが名を連ねる第一班。
ヴィクトリアを筆頭に、ルーカスやソフィアといった実力派が顔を揃える第二班。
そして——アレン自身は、ルードヴィヒ伯爵家の令嬢であるミルフィや他3名の生徒とともに、第三班へと振り分けられていた。
主従関係すら意に介さない冷徹な班分けに、生徒たちが戸惑いや不満の表情を浮かべる中、アレンは腕を組み、掲示された名前を見上げながら静かに思考を巡らせていた。
(第一班は、癖のある者ばかりか……)
第一班はローゼを中心に華やかな顔ぶれが揃っているが、それぞれが高い自負や身分を持つ貴族ばかりだ。実際の野営作業で誰がリーダーシップを執るのかが見ものだし、特に妙な自信に満ちあふれたブラッドが独断で動いて混乱を招かないかが懸念材料だった。
対する第二班は、ヴィクトリアをはじめ、ルーカスやソフィアも含めて実力・判断力ともに申し分ない精鋭が集まっている。
そして自身が配属された第三班の顔ぶれを見やれば、ミルフィをはじめとする生徒たちが、慣れない状況に戸惑うように不安げに身を寄せ合っていた。
◇
深い樹海へと足を踏み入れた生徒たちは、鬱蒼とした緑の中へと散っていった。巨木が陽光を遮り、湿った空気が肌を刺す。各班は決められたルートを進み、遭遇した魔物を倒しながら奥へと侵攻を開始した。
アレン率いる第三班の目前にも、草むらを分けて数体の低級魔物——小型のオークが出現する。
「ひっ……!」
悲鳴を上げたのは、ルードヴィヒ家の令嬢ミルフィだった。日頃の座学や訓練とは違う生の魔物の威圧感に、彼女は足がすくみ、杖を構える手も固まっている。他の班員二人も動揺を隠せず、じりじりと後退した。
だが、アレンは取り乱すことなく静かに前に出た。
「ミルフィさん、距離を保ってください。相手は直進しかしてきません。落ち着いて足元に牽制を」
静穏な声にハッと我に返ったミルフィは、震える手で詠唱を紡ぐ。放たれた小規模な風魔法がオークの足元を削り、その体勢を大きく崩させた。
「見事です。そのまま右側の個体を。他のお二人も左右から挟み込んでください」
「「はい!」」
アネットとモニカが後に続く。
アレンが素早い身のこなしで最前線の攻撃を素手と短剣で軽く受け流し、隙だらけになった魔物を散らす。アレンの正確な誘導と無駄のない指示に支えられ、ミルフィたちはパニックを起こすことなく、一歩ずつ確実に魔物を撃破していった。
——やがて、正午の鐘の音が遠くから響く。
教官の定めた規定時刻となり、各班は安全を確保できる場所で昼の休憩に入った。
大きな樹根の陰に腰を下ろした第三班では、ミルフィたちが緊張の糸が切れたようにへたり込み、疲弊した息を吐き出していた。
「あ、アレン……私、なんとか倒せたわ……」
胸を撫で下ろすミルフィに、アレンは水筒を手渡しながら静かに微笑む。
「お疲れ様、いい判断でした。まずは体を休めてください」
周囲の警戒を怠らずに周囲に視線を配りながら、アレンは手際よく昼食の準備へと取りかかった。
各班が昼休憩に入り、昼食の準備もまた各自の手で進められることとなった。教官から支給されているのは、最低限の乾燥肉と堅パン、そして現地調達を前提としたわずかな調味料のみである。
第一班の休憩地には、重苦しい沈黙が落ちていた。
セレスティアやローゼを筆頭に、日頃の身の回りの世話を従者に委ねてきた者ばかりが集まっている。薪拾いひとつ取っても動き出せる者がおらず、ブラッドもまた腕を組んだまま、困惑と苛立ちの混じった視線で支給品を見つめて立ち尽くすばかりだった。誰から手を付ければいいのかさえ分からず、作業は完全に停滞している。
対照的に、第二班はきわめて円滑だった。
ヴィクトリアの指示のもと、手際よく薪が集められ、ルーカスが魔法で着火する。各自がテキパキと役割をこなし、あっという間に温かいスープの香りが漂いはじめていた。
そして第三班。
疲弊してへたり込んだままのミルフィたちのかたわらで、アレンは火床に適した平らな場所を見つけると、静かに腰を下ろした。
「火を熾して、少し温かいものでも作りましょうか」
アレンが声をかけると、ミルフィたちも重い腰を上げた。
「そうね……何から始めればいいかしら」
「あちらの倒木のあたりに、乾いた細い枝が落ちていますよ」
アレンの言葉に応じるように、生徒たちが薪を集めはじめる。アレンは火床を整えつつ、道中で拾っておいた野草の洗い方を教えたりと、陰から手を貸していった。
やがて班員全員の手で火が起こされ、支給された乾燥肉と野草を煮込んだ小鍋から湯気が立ち上る。
「……なにこれ...味がしないわ。パンも堅わね?」
ミルフィが小鍋のスープと堅パンを交互に見つめ、眉をひそめた。
教官から与えられたのは最低限の味付け用の塩と乾燥肉、そして道中で何となく摘んだ野草のみだ。出汁も取らざるを得ない下処理も満足にできておらず、ただのお湯に肉と草を煮浮かべただけの代物は、貴族の味覚に耐えうるものでは到底なかった。
他の班員もひとくち口にしては、苦笑いを浮かべてスプーンを止めてしまう。
「野外演習の支給品ですからね。保存性を優先している分、そのままではお世辞にも美味しいとは言えません」
アレンは自分の分のスープを一口含み、平静な顔でそう口にした。
「アレン……あなた、それを普通に飲めているの?」
「はい。温かいというだけで、十分にありがたいものですから」
呆れ半分、感心半分といった視線を向けてくるミルフィに対し、アレンはポケットから小さな包みを取り出した。
乾燥した魚や植物のようなものだった。
「これを少し入れてみましょう。現地で採れるハーブと、旨味がとれる乾物です」
「えっ……? これ、あなたが道中で拾っていたの?」
「ええ。野外での食事を少しでも喉に通しやすくするための、ちょっとした知恵ですよ」
アレンが差し出した乾物とハーブをほぐしてスープに落とすと、一気に爽やかな香りが立ち上り、青臭かった湯気の匂いが劇的に変わった。
恐る恐るスープを口に運んだミルフィは、目を丸くする。
「……あ、美味しい。さっきと全然違うわ! 堅パンも、こうしてスープに浸せばなんとか食べられるわね」
味気ない食糧に弱音を吐いていた班員たちも、アレンの些細な工夫によって息を吹き返し、ようやくひと息つくことができた。
「本当ですね……! 独特の青臭さが消えて、旨味がしっかり出ています。これなら堅パンもふやけて美味しくいただけますわ」
アネットが小鍋から上がる湯気を目を輝かせながら見つめ、感心したようにスープを口へ運ぶ。
「ただの乾燥肉とお湯だったのに、ハーブひとつでここまで変わるなんて……アレン、あなた本当に手慣れているのね。助かったわ」
モニカも固かった表情を和らげ、温かいスープで満たされた胸元を押さえながら、安堵の息を吐き出した。
午後の演習が再開されると、地形はそれまでとは一変し、切り立った岩肌と深い谷が入り組む特に起伏の激しいエリアへと足を踏み入れることとなった。足場は悪く、一歩足を踏み外せば無傷では済まない険しさが立ち塞がる。
第三班は岩の陰に身を潜め、機を伺っていた。
狙いを定めたのは、谷沿いの狭い岩道を通りかかった一頭の魔物だった。身を潜めて待機していたミルフィは、魔物が目の前を通り過ぎる絶好のタイミングを見計らい、意を決して飛びかかる。
「たあぁッ……!」
魔法を纏わせた一撃を見事に叩き込んだものの、予期せぬ奇襲に狂乱した魔物は、巨体を大きく揺らして猛烈に暴れ狂った。
「きゃあッ!?」
必死にしがみつこうとしたミルフィだったが、激しい振動に耐えきれず、そのまま岩壁へと振り落とされてしまう。
運悪くそこは切り立った谷の斜面だった。制動の利かないまま、ミルフィの身体は急勾配の岩肌を転がり落ちていく。
「ミルフィさん!」
アネットとモニカの悲鳴が谷間に響き渡る中、勢いを増して滑落していったミルフィは、そのままはるか下方——激しい水音を立てる滝壺の中へと姿を消していった。
「アネットさん、モニカさん! お二人はすぐに第一班か第二班と合流してください!」
二人の返事を待つことなく、アレンは短い言葉を残すと、迷いなく岩場を蹴った。
引き止める声すら届かない速度で谷の縁へと走り込み、一瞬の躊躇もなく、ミルフィの消えたはるか下方の滝壺へとその身を躍らせる。
「アレン……!? 嘘でしょ……!?」
「待って、飛び込むなんて——!」
上空から届くアネットとモニカの悲鳴のような声を背に受けながら、アレンの視線は一直線に下方の激流と水面を捉えていた。
猛烈な風圧が全身を叩き、瞬く間に白く泡立つ滝壺が視界いっぱいに迫る。アレンは空中で素早く体勢を整えると、落下の衝撃を最小限に抑える角度で、激しい水煙の中へと飛び込んでいった。
◇
まぶたの裏に赤々とした光を感じ、耳の奥でパチパチと薪の爆ぜる音が微かに響いた。
ミルフィがゆっくりと目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは鬱蒼と伸びる巨大な樹木の枝葉と、夜の暗闇を照らす温かな焚き火の火光だった。
「……起きたか」
静かで落ち着いた声とともに、傍らに腰かけていたアレンがそっと立ち上がり、木製のカップを満たす温かい飲み物を差し出してくる。受け取った指先から伝わる温もりに、強張っていた全身の緊張がふっと解けていく。
周りを見渡せば、鬱蒼とした巨木が立ち並ぶ見覚えのない奥深い森の中だった。激流に呑み込まれ、自分たちが思っている以上に遠くまで流されてしまったのだということを、ミルフィは静まり返った森の空気から悟った。
「……アレン? いつもと口調が違うのね」
湯気の立つカップを抱え込み、ミルフィが不審そうに眉をひそめた。
「……それが、あなたの本当の口調なの?」
「そうだな。誰も見ていない時は、こちらの方が楽なんだ」
アレンは焚き火に薪をくべながら、隠すでもなくあっけらかんとそう答えた。
「……! じゃあ、学校での丁寧な態度は全部作りものだったの?」
ミルフィが目を丸くすると、アレンは少し可笑しそうに肩をすくめる。
「作っているというか、世渡りのようなものだよ。目立たず平穏に過ごすには、あのくらいの距離感がちょうどいい。……まあ、今の君を助けるのに少し余裕がなくなっていたのも事実だがね」
そう言ってアレンが少し苦笑いを浮かべると、ミルフィは自分が無茶をして流されたことを思い出し、少し顔を赤らめてカップを握りしめた。
「……助けてくれて、ありがとう。でも、アレンって思っていたよりずっと不思議な人ね」
「そうかい? 何はともあれ、怪我がないようでよかった」
アレンはそう言って目を細めると、いつもの余計な飾り気のない、だが温かみのある視線で森の闇へと目を向けた。
(流された川は東の方に伸びていたはずだ。ということは、このまま北に向かっても森を抜けられない可能性があるな……)
アレンは落ちていた枝で地面の泥を軽く均すと、簡易的な地形の図を描き始めた。
(最悪は山岳地帯に出てしまう可能性もあるということか)
「アレン……? どうかしたの?」
険しい顔で地面を見つめるアレンに、ミルフィが不安そうに尋ねる。
地面の図を見つめながら考えるアレンに、ミルフィは事態の厳しさを察して息をのむ。
「……私たち、かなり危険な場所にいるの?」
「いや、明日の移動ルートを考えていただけだ。焦る必要はないが、夜が明けたら川の流れてきた方向——西へ戻るルートを探そう」
「それまではここで体力を回復させよう」
素の口調で淡々と現状を分析するアレンの姿に、ミルフィは不安を抱きつつも、どこか不思議な頼もしさを感じていた。




