第85章:貴族の晩餐会と、最適化された栄養摂取
届いた招待状は、銀色のインクで縁取られた高級な羊皮紙だった。
バルツァー辺境伯からの公式招待。軍の強化というタスクを完遂したことへの、言わば「報酬の追加ペイロード」だ。
「……社交界という名の不確定なネットワークへダイブする時間か」
俺は報酬で買った新品の漆黒の外套を羽織り、鏡を見る。完璧だ。一見すれば、資産を築いた英雄冒険者にしか見えない。
会場のバルツァー城は、金と権力が飽和した過剰なロケーションだった。
豪奢なドレスを纏った貴族たちが群れをなし、場内には無駄に高カロリーな料理が並んでいる。
「……フッ、リソースの無駄遣いだな」
俺は会場の端、最も視界を確保しやすい座標に陣取った。
辺境伯が俺の姿を見つけ、満足げに頷いている。だが、俺の目的は彼の顔色を伺うことではない。
俺は給仕から皿を受け取ると、そこに並べられた料理を冷徹な視線でスキャンした。
「(砂糖の過剰摂取による血糖値スパイクの誘発、脂質の不必要な堆積……この世界の貴族は、揃いも揃って自律神経系を破壊するような食事をしている)」
俺は給仕が持ってきたローストビーフから「余分な脂肪」を注意深く切り落とし、内ポケットから取り出した『生姜』の粉末を極少量だけ振りかけた。
「……|バイオアベイラビリティ《生物学的利用能》の最適化、開始」
一口。舌の上で溶ける肉の旨味と、生姜の刺激が融合する。
直後、体内に潜ませた薬草の成分が回路を駆け巡る。代謝が活性化し、この高カロリーな栄養が毒ではなく「最強のエネルギー源」へと強制変換されていくのが分かる。
――その時だった。
「……君が、軍を鍛え上げたという冒険者か」
背後から静かな声がした。振り返ると、そこには辺境伯の側近と、その横で不機嫌そうに扇子を弄ぶ令嬢が立っている。
側近は周囲の注目を避けるように、一歩踏み込んで俺に視線を向けた。
「……辺境伯の招待客だ。最低限の作法は弁えていただきたい」
側近は、俺の皿の上で行った作業を揶揄するでもなく、淡々と、しかし毅然とした態度で警告を放った。周囲を騒がせたくないという彼の配慮は理解できる。俺もこの場で目立つつもりはない。
だが、その横に立つ令嬢の顔色が、俺の視界の端でアラートのように点滅した。
「……忠告は聞き入れよう」
俺は簡潔に答え、皿を置いた。
だが、俺の視線はもう側近にはない。視界の端でアラートのように点滅し続けている、隣の令嬢の「数値」へと向いていた。
首元のリンパの腫れ、浅い呼吸、末梢血管の収縮。
この宴に相応しくない、致命的な代謝エラーの予兆だ。
「――その顔色の悪さは、単なる疲れではないな」
俺は側近の言葉を無視する形で、令嬢本人に向かって淡々と告げた。
「半年以内に心臓が限界を迎える。……放置すれば、致命的なクラッシュを招くぞ」
会場の騒音が、一瞬だけ引いた気がした。
令嬢が扇子を止め、驚きに目を見開く。
「……何、を……?」
「少し待ってくれ。薬の調剤がしたいのだが、何処か落ち着ける場所はないか?」
アレンは執事の案内に従い、医療室のような部屋へと案内された。
黄連: 強力な抗炎症作用を持つ成分だ。アレンは成分抽出にアルコールを用いずに、魔素と水魔法を用い特定の成分のみ抽出する。
茯苓: 体内の水分代謝を整える。心臓に負担をかけている余分な水分を排出させ、循環負荷を減らす作用がある。
山査子: 血流を改善し、心臓の働きを助ける。
これらの薬草有効成分の純度を高める黄金率配合。純度99%以下の純水ち魔力の雫、を攪拌させ飲みやすくする。魔力の雫は甘みがあり薬草の繊維と絡み合い、少し冷やすと極上のスムージーとかす。グラスに取り分けて飲むように勧める。
「……君の身体は、炎症による炎症性サイトカインの暴走で自律神経が焼き切れている。この『調整剤』は、それを強制的にリセットして定常状態に戻すためのものだ。ただし、成分の純度が高い。心臓が弱い今の君には、投与量を一滴単位で管理する必要があるな」
令嬢は一口口に含むと、驚きのあまり目を見開いた。これまでの人生、贅沢の限りを尽くしてきた自負はある。だが、これほどまでに洗練された「生命の源」を口にした記憶など、どこを探しても存在しなかった。
冷涼な喉越しと共に、喉から胸の奥へ、静かに力が満ちていく。
先ほどまで、まるで軋む歯車のように不快だった心臓の鼓動が、嘘のように滑らかにリズムを取り戻していく。
「……信じられない。何をしたのですか? あなたが先ほど混ぜていたのは、ただの薬草のはず……」
令嬢の問いかけを、俺は視界に浮かぶログを確認しながら軽く流した。
「ただの薬草だ。違いは、成分の精製精度と配合のアルゴリズムだけだ。……代謝が安定したな。心拍の揺らぎが収束している」
俺は空になったグラスを机に置き、立ち上がった。
この令嬢の生体反応が正常化したことで、俺の視界の端で赤く点滅していたアラートは消滅した。これで十分だ。これ以上、この社交界という環境で時間を浪費する理由はどこにもない。
「……待って! あなた、名前は?」
背後からかけられた声に、俺は振り返ることもなく外套を翻した。
「アレン。……名前などどうでもいい。その『調整剤』のログは一週間ごとに追跡しろ。もし異常が出たら、再調整のコストを支払えばまた対応してやる」
俺は医療室の扉を開け、再び喧騒の渦巻く晩餐会場へと戻る。
背後で令嬢が呆然と立ち尽くしている気配を感じながら、俺の意識はすでに次のタスク――今夜の摂取カロリーに対する、明朝の身体機能のシミュレーション――へと完全に最適化されていた。
貴族たちの下らない笑い声が耳を通り抜ける。
だが、今の俺の身体は完璧だ。薬草の成分が神経回路を整え、細胞の一つ一つが最高効率で稼働している。
俺はグラスを片手に、静かに会場の闇へと溶け込んでいった。
驚きの表情のまま時間は止まる。
背後の医療室。
手にしたグラスを見つめたまま、令嬢の時間は完全に止まっていた。
自分を支配していたはずの苦痛が消え去り、代わりに身体を駆け巡る「完璧な調和」。
彼女がこれまで「贅沢」と呼んでいたすべてが、目の前の男が示した「調整」の前では、あまりに低質なノイズに過ぎなかったことを突きつけられたからだ。
彼女の世界は、今この瞬間から不可逆的に書き換えられた。




