第84章:標本回収
酒場でいつもようにエールを煽る。
この世界に来てから休む暇などなかった。休んでもすることなどないが、今なら休むことができる。
いざ休むとなると困るものだな。
以前の俺は売れない小説家だったわけだが、本業というわけでもない。仕事の合間にネタを考えることの多い人生だったせいで、無駄に雑学が豊富なんだ。
改めて思う。この世界の医療技術についてだが、正直遅れている。いや、全てがそうではないようだ。傷なら不思議植物である程度は癒せるし、それ以上なら神殿で祈れば再生する。まさにゲームみたいな世界だ。
だが、病気はどうだろう?
確か、成人するまでに凡そ三割は病気で亡くなるそうだ。信じられるか? 欠損ですら神殿で治るこの世界で、病気への免疫という概念が欠落している。
俺の目標は決まった。自衛のため、手持ちの知識をかき集めて病気に対処する。そう決めた。
翌朝、俺は北方山間部へと座標を設定した。
目的のものがあるかは分からない。いちかばちかの賭けだ。寒風が吹き荒れ、視界は一面の雪化粧と化した。
指先が氷点下の風に晒される。岩肌のわずかな隙間を探り、俺は声を上げた。
「あった」
岩の裂け目から採取した細い根を小瓶へ収める。
「麻黄、非常に状態が良好だ。凍結ストレスによる二次代謝産物の蓄積が、計算値と合致する」
寒さで硬化したこの根は、極めて高い生理活性を秘めている。続いて、その近くの極低温の土壌から黄連の根を抉り出す。過冷却に近い状態で根を張るこの植物こそが、炎症という症状を強制停止させるための唯一のパッチだ。
麻黄を五株、黄連を二株採取し、それぞれ一株ずつは残す。再生が遅いからだ。
俺は採取したそれらを持ち帰り、陰干しという悠長な工程は飛ばして、水魔法で強引に水分を大気中へと放出した。
さらに翌日。南部原生林の湿地帯へ。
有機物の分解臭が立ち込める腐朽の回廊を、足元のぬかるみに気を配りながら進む。
「茯苓、発見。水分バランスを正常に保つためのゲートだ」
湿気と腐敗が同居するこの地で、俺は体内の不要な水分を排出するための、最適化された菌核を切り出した。
密林を抜けた先には、硫黄の匂いが鼻を突く熱泉エリアが広がっていた。地熱で常に高温に保たれた赤土を掘り返す。そこに育っていた生姜は、過酷な環境を代謝へと変換しきった逸品だった。
「バイオアベイラビリティの最適化には、これが必要だ」
『システム:翻訳。――薬草の成分を、身体に効率よく無駄なく吸収させるための触媒だと言っている』
** 脳内で響いた翻訳機能の無機質な声に、俺はつい毒づく。**
「……お前、俺を宇宙人だと思っているだろ」
彼は植物の皮を剥ぎ、切り出し、熱泉の蒸気で乾燥を試みる。
一度宿に帰り3日目の朝。
強烈な陽光が降り注ぐ乾燥地帯で、アレンは最後のパーツを採取していた。
砂礫混じりの土地に根を深く張る甘草を掘り出し、その乾燥具合を確認する。
「甘草、|毒性の中和剤《他薬草の副作用を抑える》。システム全体を安定稼働させるための不可欠な定数だ」
これで、手元にはリストアップしたすべてのパーツが揃った。
アレンは採取した植物の山を見つめ、静かに思考を巡らせる。
「さて、あとはこれらを調合し、自身の身体で最終的なテストを実行するだけだ」
彼にとって、植物とは癒やしではない。異世界という不確定なOSに対する、精密なデバッグツールであり、自身の身体を最強のシステムへと書き換えるための実行コードに過ぎなかった。




