100話:過剰忖度大邸宅のカオスな夜
【公爵令嬢の言い分と逃げ場なき連行】
「……というわけでアレン様。放課後は私をその『お屋敷』までご案内なさってくださいね」
放課後。学園の門を出たところで、ヴィクトリアは当然のような顔でアレンの隣に並び立った。
アレンは必死に顔を引きつらせ、最後の抵抗を試みる。
「い、いや……ヴィクトリア様。あそこは本当にただの『一時的な借家』ですし、公爵令嬢であるヴィクトリア様がお泊まりになるような場所じゃありませんって! ほら、都にはもっと格式高い迎賓館とか、最高級のホテルだって――」
「あら?」
アレンの言葉を遮り、ヴィクトリアは足を止めて優雅に首をかしげた。
「アレン様。私、あいにく今日泊まる場所がございませんの」
「えっ……? いや、公爵家なら連絡一つでいくらでも最高級の宿が手配できるでしょう!?」
「まあ、ひどいお方」
ヴィクトリアは悲しそうに(しかし瞳はまったく笑わずに)胸に手を当て、溜め息を漏らしてみせた。
「まさか……ゼノリス王国の公爵令嬢である私に、そんな防犯も警備も不十分な不特定の『宿』で寝泊まりしろとおっしゃるのですか? 万が一、私に何かありましたら……どう責任を取られるおつもりですの?」
「うぐっ……!」
昼間にアレン自身がフランチェスカに対して使った理屈をそのまま返され、アレンは言葉に詰まった。
さらにヴィクトリアは、扇子をパチンと閉じると、ジワジワと距離を詰めてアレンを上から見下ろした。その瞳から発せられる圧が、一段と跳ね上がる。
「……それに、アレン様?」
「は、はい……っ」
「……フランチェスカは泊めて、私はダメなのかしら?」
「「っ――!!??」」
すぐ後ろで聞き耳を立てていたルーカスが「うわっ、効くぅー!」と胸を押さえて悶絶し、ソフィアは「……完全に追及モードですわね……」と冷や汗を流した。
ヴィクトリアの視線は、もはや氷のように冷ややかで、同時に恐ろしいほどの熱量を孕んでいる。
「フランチェスカが数日間寝泊まりしたというそのお屋敷に、なぜ私が泊まってはなりませんの? それとも……私にはお見せできないような『特別な思い出』でもあそこに残してらっしゃいますの……?」
「あ、ありません!! 全然ありません!! 何も起きてませんし、あいつはただ恐怖で引きつって逃げ帰っただけですーーーっ!!」
アレンは必死に手を振って叫んだ。これ以上下手に拒否すれば、「フランチェスカとの仲」を疑われて命が幾つあっても足りない事態に陥る。
「……フフッ、ならよろしいですわ」
ヴィクトリアは一瞬で極上の笑顔に戻ると、アレンの腕にそっと自分の腕を絡めた。
「さあ、案内してくださるかしら? アレン様が用意された、私たちの『新しいお住まい』へ」
(終わった……。言い訳の余地ゼロで連行される……っ!!)
自らが作った(神聖王国が暴走させた)過剰忖度の罠に、今度は本丸の公爵令嬢を自ら案内するハメになり、アレンは真っ白な灰になりながら足を進めるのだった。
【正妻(本丸)の降臨と、絶対の宣言】
「……ここですわね」
アレンの引きつった案内のもと、辿り着いたのは都の一角に鎮座するあの広大な大邸宅。
白亜の壁、完璧に整備された庭園、そして一国の大侯爵家をも凌駕する絢爛豪華な佇まいに、後ろから着いてきていたルーカスは「うっは、マジで城じゃねぇか……!」と目を丸くし、ソフィアは「な、なんなのですのこのスケールは……」と圧倒されて言葉を失っていた。
そして――邸宅の重厚な鉄門の前に立ったその瞬間であった。
ギィィィ……と門が滑らかに開くと、どこからともなく地響きのような号令が轟いた。
「「「お出迎えの準備ーっ!! 旦那様がお戻りになられたぞーっ!!」」」
屋敷の各所から洗練された動きの執事やメイドたちがわらわらと溢れ出し、いつもの如く寸分の乱れもない美しい動作で赤絨毯の上にズラリと一列に整列する。
そして、執事長の合図とともに全員が深々と頭を垂れ、いつもの決め台詞を大音量で叫んだ。
「「「おかえりなさいませ、旦那様! おかえりなさいませ、お……お??」」」
「「「。。。。」」」
叫びかけた使用人たちの動きが、ピタリと止まった。
頭を上げた執事長とメイドたちの目に飛び込んできたのは――
前回のアレンに引きずられるようにして青ざめていた赤髪の侯爵令嬢でも、困惑していた銀髪の侯爵令嬢や金髪の公爵令嬢でもない。
圧倒的なまでの覇気と気品を纏い、黄金の髪をなびかせてアレンの隣に当然のように寄り添う、ゼノリス王国筆頭公爵家のお嬢様――ヴィクトリアの姿であった。
(あ、アレン様……!? 今度のお方は……!?)
(あのクレイヴァリア公爵家に並ぶ、グランヴェル公爵家のお嬢様……!!)
(ま、まさか今回のお方こそが、本当の……!?)
過剰忖度マニュアルの限界を迎えた執事長が、冷や汗をダラダラと流しながら「お、奥様とお呼びしてよろしいのか……?」とパニックを起こしかけた、その時である。
ヴィクトリアは優雅に扇子をパチン!と閉じると、極上の笑みを浮かべ、澄み切った美声でハッキリと言い放った。
「奥様よ!」
「「「!!??!?!」」」
使用人たち全員の背中に激震が走った。
躊躇も、照れも、否定すらない。
自ら「私が奥様よ!」と完璧な公爵令嬢の威厳をもって宣言してみせたのだ。
「は、はいっ!! ただちに!!」
雷に打たれたような衝撃を受けた執事長は、感涙にむせびながら右手を高く掲げ、大音量で屋敷全体に命じた。
「全員、聞いたなーっ!! ついに……ついに我が旦那様の真の正妻様であられる『ヴィクトリア奥様』がお越しになられたぞーっ!! 最高峰の国家礼式を以て、奥様をお迎えせよーーーっ!!」
「「「ははーーっ!! おかえりなさいませ、ヴィクトリア奥様ーーーっっ!!!!」」」
地響きのような歓声とともに、金粉が舞い、極上の花束が捧げられ、狂喜乱舞する使用人たち。
「ち、違うーーーっ!! 勝手に納得して正妻認定するなーーーっ!!」
アレンの絶叫は、盛大なファンファーレにかき消された。
その横で、ヴィクトリアは満足そうに「フフッ、素晴らしいお屋敷ですわね」と微笑み、ルーカスは「だめだ、面白すぎる……!」と腹を抱えて爆笑し、ソフィアは「……ヴィクトリア様が完全に制圧なさいましたわ……シャルロット様、万事休すです……」と震える手で報告書を書き綴るのだった。
【過剰忖度大邸宅のカオスな夜】
アレンはこれ以上ヴィクトリアの言動に頭を悩ませるのをキッパリと諦め、その件についての思考を一旦完全に「保留」とすることにした。どれだけ頭を抱えても、彼女の圧倒的な存在感と暴走する過剰忖度を前にしては自分の平穏など微塵も守れないと悟ったからである。
「……よし、考えるのをやめよう。時間の無駄だ」
アレンは深々と溜め息をつくと、現実的な対応へと意識を切り替えた。
「おい、ルーカス、ソフィア。お前たちもただの野次馬や監視役でそこに突っ立ってないで、空いてる部屋を割り当てるから今日からここに住め。この無駄に広い邸宅、部屋だけは腐るほどあるからな」
「えっ!? マジで!? この大城郭みたいな邸宅にタダで住んでいいのかよ! っしゃあ!」
歓喜の声を上げて拳を突き出すルーカス。一方、ソフィアは突然の決定に目を丸くした。
「な……私まで同居ですの!? 私はシャルロット派の――」
「拒否権はないよ。一人で宿を探して変なトラブルに巻き込まれたら、また俺の面倒が増えるからね。ほら、そこの東棟の2階が客間エリアだから、好きな部屋を選んで勝手に荷物を解きな」
アレンはテキパキと二人へ部屋を割り振ると、これ以上関わり合いたくないとばかりに、「俺はお嬢様の夕飯の仕込みがあるから」と手早くエプロンを身につけて厨房へと引っ込んでいった。
こうして、ヴィクトリアという本丸を筆頭に、能天気な野次馬ルーカス、そして胃痛を抱えるシャルロット派のソフィアという妙な顔ぶれを巻き込んだ、アレンの「過剰忖度大邸宅」での奇妙な同居生活が本格的にスタートするのだった。
【過剰忖度大邸宅のリビングにて】
夜の『過剰忖度大邸宅』。
吹き抜けが広がる煌びやかな大リビングでは、最高級のふかふかソファに腰を下ろした四人が、食後のひとときを過ごしていた。
この邸宅において、アレンは紛れもない【主人(旦那様)】である。
リゼット侯爵邸での「専属執事」としての勤務を終えて帰宅したアレンは、ここでは一切動く必要がない。
料理の準備も、食後の片付けも、広大な館の清掃管理も、すべては神聖王国支店長によって厳しく教育された数十名のプロフェッショナルなメイドや執事たちが、完璧な所作でこなしてくれるからだ。
「……はぁ。座ってるだけで温かいお茶とデザートが出てくる……。これぞ俺の求めていたスローライフ……」
最高級の紅茶をすすりながら、ソファに深々と体を沈めて脱力するアレン。
その隣では、能天気な野次馬であるルーカスが「がはは! まじで極楽じゃねぇかここ!」と寛ぎ、向かいの席では胃痛を抱えたソフィアが小さくなってお茶を飲んでいた。
そして――アレンのすぐ隣の最高等席に、当然のような顔で座っているのが、ゼノリス王国筆頭公爵令嬢ヴィクトリアである。
自ら「私が奥様よ!」と啖呵を切ってこの館を制圧した彼女であったが……。
「旦那様、奥様。食後の特製ミルフィーユをお持ちいたしました」
洗練されたメイドが、恭しく深々と頭を垂れながら紅茶とケーキをテーブルへ並べる。
「……っ!?」
その瞬間、ヴィクトリアの肩がビクッ!と大きく跳ね上がった。
門前で啖呵を切った勢いはどこへやら、いざ静寂に包まれたリビングで、当たり前のように「奥様」と連呼される現実に、彼女の精神は猛烈なキャパシティオーバーを起こしていたのだ。
(お……『奥様』……っ!? 私が……アレン様の……『奥様』……っ!!)
「奥様、お紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」
「ヒッ……! あ、ええ……お願いするわ……」
メイドに声をかけられるたび、ヴィクトリアはビクビクと肩を揺らす。
そして、扇子で口元を隠してはいるものの、その扇子の後ろで――彼女の顔は、真っ赤に熟したトマトのように赤面し、ニヤけと歓喜と緊張が入り混じった、とんでもなくヤバい表情に歪んでいた。
瞳は爛々と怪しく光り、口元は完全に緩みきってひくひくと引きつっている。
「……ヴィクトリア様」
斜め向かいからその一部始終をじーっと観察していたソフィアが、引きつった顔で思わず指摘した。
「……あの、ヴィクトリア様? 大変失礼ながら……もの凄く『ヤバい表情』になっていらっしゃいますわよ? 扇子から溢れ出る笑みが隠しきれておりません……」
「なっ……!? な、なにを言っていらっしゃいますのソフィア! 私は至って普通……!」
「いいえ、全く普通ではありませんわ! 目の奥が怖いですし、鼻息が荒くなっていらっしゃいます! 『奥様』と呼ばれるたびに顔が崩壊しかけておりますわよ!」
ズバリと指摘されたヴィクトリアは、「うぐっ……!」と言葉を詰まらせ、さらに顔を赤くして扇子で顔全体を隠した。
「……い、いいではありませんか! 実際に私はこの館の『奥様』として認められたのですから……っ!」
強がるヴィクトリアだが、メイドが通りかかるたびに「奥様」と呼ばれると、ビクッ!と跳ねては顔面を崩壊させるループから抜け出せない。
その横で、アレンは「まあ、本人が満足(?)してるならいいか……」と考えるのを完全にやめ、メイドが運んできてくれた極上スイーツを呑気に頬張るのだった。
そんな二人のやり取りの横で、豪快に笑っていたのがルーカスだった。
「ギャハハ! なんだよヴィクトリア、ガラにもなく真っ赤になりやがって! まんざらでもないどころか完全にデレデレじゃねぇか!」
ソファの上で膝を叩いて爆笑するルーカス。
すると、テーブルを片付け終えた執事長が、ルーカスの前で恭しく姿勢を正し、寸分の乱れもない美しい所作で深々と頭を下げた。
「若旦那様。お飲み物のお代わりはお使いになられますか?」
「……は?」
ピタリとルーカスの笑い声が止まった。
「若……なに?」
「若旦那様、でございます。旦那様(アレン様)のご高友であり、当家の尊きご令兄(※過剰忖度による謎解釈)であられるルーカス様をお呼びするにあたり、当館の使用人一同、最高の敬意を込めまして『若旦那様』とお呼びすることにいたしました」
「ぶふっーーーーー!!??」
今度はルーカスが盛大に紅茶を吹き出した。
「わ、若旦那ぁ!? 俺がっ!? なんで俺が若旦那なんだよ! 俺はただの居候の野次馬だぞ!?」
「まあ、控えめなお言葉……! さすが旦那様が認められた若旦那様でございます。ご遠慮なさらず、何なりとお申し付けください」
「遠慮とかじゃねぇよ!! なんかめちゃくちゃ気まずいんだよその呼び方!!」
あからさまに狼狽し、顔を赤くして頭を抱えるルーカス。
さっきまでヴィクトリアを笑っていた男が、まったく同じように「若旦那様」という過剰忖度の謎称号を贈られ、パニックに陥るハメになったのだった。
「ふふ……ざまあありませんわね、ルーカス」
顔を赤くしたままのヴィクトリアが、扇子の陰から意地の悪いドヤ顔を向ける。
「い、いいじゃねぇか若旦那で! なんだよお前ら全員で過剰忖度しやがって……っ!」
「……はぁ」
胃痛に耐えるようにこめかみを押さえ、深々と溜め息をついたソフィア。
「もうダメですわこの館……。旦那様に、奥様に、若旦那様……。全員がこの狂気の過剰忖度に毒されていきますわ……」と呆れ果てていた、まさにその時だった。
スッ……。
気配もなく、洗練された動作でソフィアのすぐ横へと歩み寄ってくる一人の執事。
その瞬間――ソフィアの背筋を、強烈な冷気が駆け抜けた。
(っ……!? な、なに……この胸騒ぎは……っ!?)
いやな予感が脳裏をよぎり、全身の産毛が逆立つ。
嫌な汗をだらだらと流しながらおそるおそる隣を仰ぎ見ると、執事は寸分の乱れもない完璧な角度で、恭しく深々と頭を垂れた。
そして、最高の笑顔とこの上なく透き通った美声で、死刑宣告のような言葉を告げたのだった。
「――若奥様。お冷やをお持ちいたしましたが、よろしいでしょうか?」
「「「。。。。」」」
リビングの時が止まった。
アレンが紅茶を飲む手をピタリと止め、ルーカスは口を開けたまま固まり、さっきまで「奥様」と呼ばれて真っ赤になっていたヴィクトリアすらも素に戻って目を丸くする。
静寂の中、ソフィアの顔面からサーッと血の気が引き、土気色へと変わっていく。
「……わ……え……? い、いま、なんとおっしゃいましたの……?」
震える声で尋ねるソフィアに、執事は至極当然といった表情で、心からの敬意を込めてうなずいた。
「『若奥様』でございます。当館の旦那様(アレン様)と奥様(ヴィクトリア様)のお側で、常に甲斐甲斐しくお世話を焼かれ、時に嫉妬とも取れる熱量で寄り添われるソフィア様……(※過剰忖度による謎解釈)。奥様のお立場を立てつつも、陰で旦那様を支えるそのお姿は、まさに当館の二人目の妻……『若奥様』に他なりません」
「わ、若奥様ぁぁぁぁぁぁっ!!???」
ソフィアの悲鳴が、豪華絢爛な吹き抜けのリビングに虚しくこだました。
「ちょっと待ちなさい!! 誰が二人目の妻ですか!! 私、ヴィクトリア様と同い年ですわよ!? なんで私まで勝手に妻候補に組み込まれて『若奥様』なんて呼ばれてますのーーーっ!!??」
ガタタッ!とソファから立ち上がり、血相を変えて叫ぶソフィア。
「ぶふっーーーーー!! ぎゃはははははは!! 若奥様っ!! 二人目の奥さんかよっ!!」
今度はルーカスが腹を抱えて転がり回り、床をバシバシと叩いて爆笑し始めた。
「笑い事じゃありませんわルーカス!! 冗談じゃないですわ! 私はシャルロット様派閥の令嬢であって、この館の側妻でも愛人でもありませんわよ!!」
あまりのショックとパニックで、あの冷静でプライドの高いソフィアが髪を振り乱して絶叫している。
一方、「奥様」としての絶対的立場を脅かされた格好のヴィクトリアはというと――
「……あら?」
一瞬不機嫌そうに目を細めたものの、パニックになるソフィアを見て、扇子の陰でくすりと優越感に満ちた笑みを浮かべた。
「ふふ……まあよろしいのではありませんか? 『若奥様』として、私(正妻)の次くらいに甘んじるのであれば、可愛がってあげてもよろしくてよ? ソフィア?」
「マウントを取らないでくださーいっ!! 呼び方を変えなさい! 今すぐ撤回しなさいーーっ!!」
「滅相もございません、若奥様。当館の使用人一同、若奥様への敬意を欠くような真似は決して……」
「その丁寧な扱いが一番精神に効くのよーーーーっっ!!」
ソフィアが涙目になりながら頭を抱えて崩れ落ちる横で、アレンはそっと視線を逸らし、一口ミルフィーユを口に運んだ。
(……ソフィア、どんまい。これが過剰忖度の恐ろしさなんだ……)
こうして、過剰忖度大邸宅に【旦那様】【奥様】【若旦那様】に続き、不名誉すぎる【若奥様(二人目)】が誕生し、カオスな夜はさらに深まっていくのだった。




