99話:本丸降臨と消えた平穏
それから間もなくして――学園に激震が走る出来事が起こった。
「みなさん、静かに。本日はゼノリス王国から、急遽三名の留学生を受け入れることになりました」
担任の呼びかけに、教室内がどよめく。
フランチェスカの降臨だけでも大騒ぎだったというのに、一度に三名もの留学生がやってくるというのだ。
教壇の横の扉が開かれ、堂々とした足取りで三人の男女が入室してきた。
「さあ、一人ずつ自己紹介をお願いします」
先頭に立ったのは、圧倒的な存在感を放つ黄金の髪と、すべてをひれ伏せさせるような凛とした瞳を持つ少女であった。彼女は優雅に扇子を広げると、完璧な所作で一礼した。
「ゼノリア王国からまいりました。グランヴェル公爵家、ヴィクトリア・フォン・グランヴェルと申します」
「っ――!?」
教室のあちこちから息をのむ音が漏れた。
ゼノリア王国の筆頭公爵家――すなわち、アレンが最も恐れ、最も関わりたくなかった本丸中の本丸の降臨である。アレンは目立たないよう、そっと机の下に頭を低くした。
続いて、その隣に立つ背の高さと洗練された騎士然とした立ち姿の青年が、爽やかに口を開く。
「同じく、ルーカス・フォン・ベルンハルトだ。ベルンハルト侯爵家の長男だ。よろしく頼む」
そして最後に、少しツンとした澄ました表情の少女が一歩前に出た。
「ソフィア・フォン・ハルトマン、ハルトマン伯爵家よ。……今回は、諸事情で帰国したフランチェスカ様の代理として参りましたわ」
ソフィアはゼノリア王国では反ヴィクトリア派――いわゆる『シャルロット派』の令嬢なのだが、今回はトラウマを負って逃走帰国したフランチェスカの穴を埋めるべく、派遣されてきたのだった。
大騒ぎになる教室の片隅で、アレンはひとり冷や汗をダラダラと流していた。
(……詰んだ。ヴィクトリア本人が来ちゃったよ……! 絶対あの『新婚邸宅(仮)』の件が尾を引いてるだろこれーっ!!)
◇
「……さて、留学生の三人には、学園の案内役として誰か生徒をつけておきたいところですが……」
教壇で担任が顎に手を当てて思案していた、その時である。
ふと思い出したように手を打ち、親切心100%の笑顔で教室の片隅を振り返ってしまった。
「あ、そうだ。アレンさんも確か、ゼノリアの学園出身でしたね」
(((先生ーーーっっっ!!!????)))
アレンの脳内で警報が鳴り響いた。
気配を消して背景と同化していたというのに、身内の超うっかりなナイスアシストによって、自らスポットライトの真っ只中に放り投げられたのだ。
その言葉を聞いた瞬間――教壇に立つ三人三様の反応が炸裂した。
「……あら?」
ヴィクトリアの唇が、美しくも凶悪な弧を描いた。
扇子の陰でくすりと漏れたのは、見る者の背筋を凍らせるような極上の悪い笑み。
(……見つけましたわ、アレン様。逃げ切れるとお思いでしたの?)
一方、その隣に立つルーカスは、ヴィクトリアの笑みとアレンの引きつった顔を交互に見比べ、パッと表情を輝かせた。あの「指輪事件」の修羅場も間近で目撃していたルーカスにとって、この状況はご馳走でしかない。
(……アレンってうちの生徒会長だよな。あ~さては、こんな所で遊んでたわけだ、面白くなったじゃねぇか……っ!)
そして――最後に、ソフィアだけが「はぁ……」と深くて重い溜め息を漏らした。
事前にフランチェスカから『あの男の周りは狂っているのよ! 行ったら最後、あなたも「奥様」にされるわよ……!』と青ざめた顔で悲痛な警告を聞かされていたソフィアは、早くも頭痛を覚えて額を押さえた。
(シャルロット派の私がなんでこんなカオスな現場に立ち会わなきゃいけないのよ……。でも、しっかりご報告するため、事実関係を確かめないと。いざとなったらシャルロット様のために、ヴィクトリア様といえどお止めしないと……)
「え、えーっと……アレンさん? 顔色が真っ青ですが……」
能天気に尋ねてくる担任を、アレンは絶望に満ちた死んだ魚の目で睨み返すことしかできなかった。
「……いえ、先生。なんでもありません……。ただ、自分の寿命が今数年縮んだような気がしただけです……」
ヴィクトリアの逃がさないという執念、ルーカスの野次馬根性、そしてソフィアの諦観。
強烈な三人の降臨により、アレンの平穏(?)な学園生活は、完全に終わりの時を迎えるのだった。
【嵐の対面とすれ違う認識】
「……さて、学園の案内はアレンさんにお願いするとして。まずはご挨拶からですね」
担任の能天気な声に促され、ヴィクトリアは優雅な足取りでアレンのデスクの前へと歩み寄った。
黄金の髪を揺らし、扇子を優雅に揺らめかせながら、アレンを上から見下ろすヴィクトリア。その瞳には、すべてを見通すかのような深遠で凶悪な光が宿っている。
「……お久しぶりですわね、アレン様」
「あ、はい……お久しぶりです、ヴィクトリア様……」
アレンは引きつった笑みを浮かべ、必死に背筋を伸ばした。
ヴィクトリアは扇子をパチンと閉じると、アレンだけに聞こえるような低い、しかし鈴の転がるような美声で囁きかけた。
「フフッ……フランチェスカが急に青ざめた顔で帰国し、『捜索は難航しました』などと不自然極まりない報告をして参りましたので……一体どんな手を使われたのかと疑問に思っておりましたけれど。……ええ、大体はあの子の怯えきった態度で理解いたしましたわ」
「っ……!?」
ダラァッ!と、アレンの額から滝のような冷や汗が吹き出した。
(あいつ、やっぱり隠しきれてなかったーーーっ!!)と心の中で叫ぶも、時すでに遅し。ヴィクトリアの鋭すぎる洞察力を前に、冷や汗が止まらない。
ヴィクトリアは心底楽しそうに目を細めると、クスリと可憐に微笑んだ。
「で? 今度はこのような他国の学園で、執事のまねごとをして遊んでいらっしゃるそうで……? 随分と楽しそうなご趣味ですこと」
(ひ、ヒィィィッ……! 完全に遊ばれてると思われてる……っ!!)
アレンが恐怖で喉を鳴らし、完全に蛇に睨まれた蛙状態になっていると――
「――そこまでですわ、ヴィクトリア様」
コツ、コツ……と凛とした足音が響き、アレンの前にそっと立ち塞がる人物がいた。
アレンの主人たる侯爵令嬢――ローゼ・フォン・リゼットである。
ローゼはヴィクトリアに向かって、寸分の乱れもない美しい所作で優雅に挨拶を交わした。
「初めまして、グランヴェル公爵令嬢様。リゼット侯爵家が娘、ローゼ・フォン・リゼットと申します」
「……あら? リゼット侯爵家のお嬢様ですのね」
ヴィクトリアがうっすらと笑みを浮かべると、ローゼはアレンを守るように背に庇いながら、ハッキリとした口調で口を挟んだ。
「ヴィクトリア様。『執事のまねごとで遊んでいる』だなんて、彼に失礼ですわ。アレンは遊んでなどおりません」
「……ほう?」
ヴィクトリアが興味深そうに片眉を跳ね上げる。
ローゼは胸を張り、真剣な眼差しでこう言い放った。
「アレンは、我がリゼット侯爵家の近衛兼執事の募集に、たまたま応募してきただけですのよ! 彼は毎日、私のためにとても真面目に、完璧にお仕事をこなしてくださっていますわ!」
「「「。。。。」」」
教壇の横で見ていたルーカスが「ぶふっ!」と思わず噴き出しそうになり、ソフィアは「近衛の募集……?」と呆れ果てて天を仰いだ。
そしてヴィクトリアは、ローゼの「たまたま応募してきた」という言葉を聞き、目を丸くした後に――
(……なるほど。『ただの執事』として潜伏するために、わざわざ侯爵家の公募に応募して成りすましていらっしゃったのですのね……! 流石はアレン様、どこまでも徹底されたお戯れ……っ!)
と、見当違いな方向へとさらに評価を爆上げし、うっとりと目を輝かせるのだった。
当のアレンは、ローゼの必死の庇い立てに感謝しつつも、ヴィクトリアの瞳に宿る熱量がさらにヤバいことになっているのに気づき、心の中で静かに絶望するのだった。
「まあ……たまたまアレン様が応募されたのでしたら、致し方ありませんことね」
ヴィクトリアは優雅に扇子を広げると、フッと艶やかな笑みを浮かべた。ローゼの「ただの公募に応募してきた」という言葉を、アレンの高度すぎる潜伏工作(お戯れ)として完全に脳内変換し、あっさりと納得してみせる。
だが次の瞬間、その瞳から爛爛とした圧が放たれた。
「ですが――住み込みは認められませんわ」
「え……?」
ローゼが思わず声を漏らした。
ヴィクトリアは一歩前へ踏み出すと、ローゼの目を真っ直ぐに見据え、一切の妥協を許さない公爵令嬢としての絶対的な覇気を漂わせた。
「我がゼノリア王国の最高峰たるお方が、いくらお戯れとはいえ他国の侯爵邸に『寝泊まり』するなど、国際問題にも発展しかねない一線を越えた暴挙ですわ。アレン様、今すぐ荷物をまとめなさい。……安心なさるといいわ、手配はすでに済ませてありますの」
「て、手配……?」
冷や汗を流すアレンに、ヴィクトリアは極上の笑みを向けた。
「ええ。この都に、半年間の約束で借り受けた『最高の邸宅』を用意させてありますの。今日からはそちらから学園に通っていただきますわ。もちろん、私もそちらに同居いたしますけれど」
「「「!!??!?」」」
アレンの顔面から一瞬で血の気が引いた。
(そ、それって……!! フランチェスカを恐怖のどん底に叩き落として逃走させた、あの『バルツァー・ラボの忖度・新婚大邸宅』のことじゃねぇかぁぁぁーーーっ!!??)
すでにヴィクトリアの手元には、逃げ帰ったフランチェスカ(あるいは神聖王国経由)の情報網によって、あの邸宅の存在と「アレン様が確保された愛の巣」という歪んだ報告がバッチリ届いていたのだ。
「待ちなさいヴィクトリア様!」
ローゼが顔を真っ赤にして立ち塞がる。
「アレンは我がリゼット侯爵家の専属執事ですのよ!? 主人である私の許可なく、勝手に連れ出すなんて認められませんわ!」
「あら、ご安心なさって? 昼間はきちんとお屋敷に『派遣』してさしあげますわ。ですが夜は……ねえ? アレン様」
アレンに向かって、妖しく微笑むヴィクトリア。
その背後では、ルーカスが「うわっ、マジで新居(仮)に乗り込む気かよ……!」と興奮気味に目を輝かせ、ソフィアは「……ヴィクトリア様、完全にあの邸宅を自分のものにする気ですわ……シャルロット様に早く報告しないと……」と胃を押さえながら手帳にメモを走り書きしていた。
(終わった……。あの『奥様』って呼ばれる狂気の館に、今度は本物のヴィクトリアと一緒に住むことになるなんて……俺の命が何個あっても足りねぇよ……!!)
逃げ場を完全に塞がれたアレンの叫びが、心の中で虚しく響き渡るのだった。




