98話:普通、逆ではありませんこと?
【校門前の誤解と顔色の悪い奥様】
リゼット侯爵邸に戻ったアレンは、サロンでくつろいでいたローゼに温かいお茶を差し出した。
「お帰りなさい、アレン。……それで、フランチェスカ様のお宿は見つかりましたの?」
心配そうに尋ねるローゼに、アレンは「あ、はい」といつもの呑気な笑顔で頷いた。
「大丈夫です、知り合いに頼みましたから。すごく防犯もしっかりした、良いお宿が見つかりましたよ」
「まあ、それはよかったですわね。他国の侯爵令嬢ですもの、変な事件にでも巻き込まれたら大変ですものね」
ローゼは胸を撫で下ろし、アレンの入れた紅茶を美味しそうに一口啜ったのだった。
◇
そして、翌朝。
白亜宮廷魔術学園の校門前は、登校してきた生徒たちで賑わっていた。
アレンはローゼの数歩後ろを歩き、執事として付き従いながら校門を潜ろうとしていた。
その時である。
カタカタカタ……と、遠くから尋常ではない格式を誇る、金糸の装飾が施された超高級馬車が滑り込んできた。
「あら……あんな豪華な馬車、どなたかしら?」
ローゼが足を止めて振り返ると、馬車の扉が開き、中から身を乗り出してきたメイドが、大勢の生徒が行き交う校門前でアレンの姿を視認した。
メイドはパッと表情を輝かせると、透き通るような大音量で叫んだ。
「あ! 旦那様! 今、奥様がご到着いたしました!」
「。。。。」
登校中の生徒たちの動きが、ピタリと止まった。
静寂が校門前を包み込む。
アレンはサッと顔をそむけ、口元を手で覆いながら「……だれのことかなぁ?」と露骨に白を切った。
馬車からゆっくりと降りてきたのは――昨夜の過剰忖度と『奥様』呼びの恐怖で一眠りもできず、すこぶる顔色の悪いフランチェスカであった。目の下にはうっすらとクマが浮かび、今にも倒れそうなほど消耗している。
「……アレン様」
フランチェスカは震える声でアレンを睨みつけたが、抗議する気力すら残っていないようだった。
そして、一部始終を目の前でバッチリ見ていたローゼお嬢様が、ロボットのようなギギギ……という効果音が聞こえそうな動きでアレンへと振り向いた。
「……ねえ、アレン」
ローゼの目が、かつてないほどジト〜ッと冷たく据わっている。
「……今、思いっきり『旦那様』って聞こえたけれど。……良いお宿って、一体どういうことですの……?」
「お、お嬢様!? 違います! あれはただの言語の行き違いというか、向こうのメイドさんの独特な方言みたいなものでして――!!」
「どこに旦那様と奥様を方言で呼ぶ地域があるのよーっ!?」
朝の校門前で、アレンの悲鳴とローゼの激しいツッコミが響き渡るのだった。
【限界の降伏宣言】
「……フランチェスカ様。……なんだか、すこぶる顔色が悪いんじゃないか?」
校門前の大混乱をなんとかごまかし(あるいは強引にうやむやにし)、講義室の物陰へとフランチェスカを引っ張り込んだアレンは、改めて彼女の顔を覗き込んだ。
目の下には濃いクマが刻まれ、元気が取り柄の侯爵令嬢とは思えないほど青白い顔をしている。
アレンの呑気な問いかけに、フランチェスカはゆっくりと首を振った。
「……もう……もう無理かもしれません……っ」
「え?」
「もう限界ですわ……!!」
フランチェスカは弱々しく、しかし切実に両手を胸の前で握りしめた。
「昨夜から一言も休まる暇がございませんでしたのよ!? 兵士級の護衛に見守られ、メイドたちには一挙一動を『奥様』と崇め奉られ……一歩間違えればヴィクトリア様に『アレン様と愛の巣を営んでいる』と誤解されて命を落とす恐怖……! 私はただ、アレン様を追及しに来ただけですのに……っ!」
「いやぁ、一時の宿としては最高のおもてなしだと思ったんだけどなぁ」
「どこがですのーっ!?」
叫んだ拍子に立ちくらみを起こしそうになり、フランチェスカは壁に手を突いた。そして、アレンを悲壮感漂う目で見つめると、はっきりとこう告げた。
「……決めましたわ。私、ヴィクトリア様に伝えます」
「えっ」
「『アレン様の捜索は難航しており、手がかりは得られませんでした』とご報告し……今回の件は、全てなかったことにしていただきますわ!!!」
「ええっ!?」
アレンは目を丸くした。
「おいおい、そんなこと言ったらヴィクトリアが納得しないだろ? 執念深いんだからさ」
「納得させますわよ! このままこの不気味で恐ろしい『新婚邸宅(?)』に住まわされて『奥様』と呼ばれ続けるくらいなら、ヴィクトリア様にお叱りを受ける方が100倍マシですわーっ!!」
かつては「最高のおもちゃを手に入れた」と悪毒な笑みを浮かべていたはずの刺客・フランチェスカ。
彼女はアレン(と神聖王国)の規格外すぎる過剰忖度によって完全にトラウマを植え付けられ、白旗を揚げるのだった。
【嵐の去った後と残された大邸宅】
かくして――。
アレンを脅迫して優位に立ったはずの刺客・フランチェスカ侯爵令嬢は、神聖王国の狂気の過剰忖度と『奥様』の恐怖に耐えかね、わずか数日で手記と報告書をでっち上げ、逃げるように自国へと帰っていったのだった。
◇
「ふぅ……。さて、あの借家、どうしようかなぁ……」
講義の合間の休み時間。アレンは窓の外を眺めながら、ぽつりと呟いた。
半年契約で借りてしまった(ということになっている)あの豪華絢爛すぎる大邸宅。フランチェスカが去った今、無駄に数十名のメイドと執事、兵士級の護衛たちが「旦那様」の帰りを待ち望んでいる状態である。
その呟きを拾ったローゼが、不思議そうに首をかしげた。
「え……アレン、貴方、借家を借りたの?」
「あ、うん。まぁね。フランチェスカ様のためにちょっとね。……結構な金額がしたと思うんだ」
(金額というか、神聖王国支店長が国家予算レベルの予算を叩き込んで作ってくれたんだけど……)
遠い目をするアレンに、ローゼは興味深そうに目を輝かせた。
「へぇ……フランチェスカ様をあんなに青ざめさせたお屋敷なんでしょう? 一体どんな場所なのかしら。……ねえ、今度様子を見に行ってみます?」
「いや、やめた方がいいよ」
アレンは食い気味に、即座に手を横に振って制した。
「え? なぜですの?」
「ほら……下手に足を踏み入れると、ローゼ様までフランチェスカ様みたいになるかもだし。あそこ、色々とヤバいから……」
一歩入れば「奥様!」と洗練された笑顔で囲まれ、完璧な新婚生活を強制されるトラウマ空間である。アレンとしては、大切な主人であるローゼをあんな狂気の現場に連れて行くわけにはいかなかった。
「……? 私までフランチェスカ様みたいに……?」
ローゼはピンときていない様子でパチパチと瞬きをした。
「うん。……多分、公爵クラスの胃腸と精神力がないと耐えられないんじゃないかなぁ」
「公爵クラス……?」
「ローゼは?」と尋ねるようにアレンが見つめ返すと、ローゼは「私は侯爵家ですけれど……」と眉をひそめ、ますます「???」と頭の上に大量の疑問符を浮かべるのだった。
【公爵令嬢の登場と新たな予感】
「公爵クラス……?」
ローゼが「私は侯爵家ですけれど……」と首をかしげていた、その時である。
「――あらら? 私の出番かしら?」
スッ……と、二人の会話の輪に割り込んできた人物がいた。
美しい金髪をなびかせ、扇子を手に優雅な笑みを浮かべて立ち塞がった少女――セレスティア・フォン・クレイヴァリア。
彼女は物陰でバッチリ聞き耳を立てていたらしい。
「セ、セレスティア様……!?」
ローゼが驚きの声を上げる中、アレンはさっと表情を引きつらせて一歩後ずさった。
「あ、いや……セレスティアさんはやめた方がいいですよ。あそこは本当にろくな場所じゃありませんから……!」
アレンの必死の制止にも、セレスティアはまったく意に介さない様子で「ふふっ」と楽しそうに目を細めた。
「あら、アレン。失礼ですわね。私、これでも公爵令嬢ですのよ?」
「ええ、知ってますけど……! だからこそダメなんです!」
「貴方、先ほど仰いましたでしょう? 『公爵クラスの胃腸と精神力がないと耐えられない』と。ならば、まさにこの私が適任ではありませんか。どのような『ヤバい場所』なのか、非常に興味が湧きましたわ」
そう言うと、セレスティアは扇子をパチンと閉じ、アレンにフッと挑戦的な微笑みを向けた。
「さあ……ご案内なさい、アレン。私の好奇心を満足させてくださるのでしょう?」
「……うぐっ……!」
フランチェスカを恐怖のどん底に叩き落とし、追い返したはずのあの『過剰忖度大邸宅』。
今度は本物の公爵令嬢を連れていく羽目になり、アレンは「また神聖王国支店長が勘違いして暴走する未来」を察して、胃のあたりを押さえるのだった。
【公爵令嬢の来訪と、狂った出迎え】
「……本当に、後悔しても知りませんからね……?」
アレンの悲痛な注意を聞き流しながら、セレスティアとローゼ、そしてアレンの三人は、例の『過剰忖度大邸宅』の敷地前へと到着していた。
重厚で絢爛豪華な鉄門の前に立ったその瞬間――ギィィィ……と門が滑らかに開き始めた。
次の瞬間であった。
「「「お出迎えの準備ーっ!! 旦那様がお戻りになられたぞーっ!!」」」
どこからともなく地響きのような号令が轟いた。
「な、なんですの……!?」
「きゃっ……!?」
ローゼとセレスティアが思わず肩をすくめる中、屋敷の各所から洗練された動きの執事やメイドたちがわらわらと溢れ出し、息の合った美しい連携で赤絨毯の上にズラリと一列に整列していく。
そして、執事長らしき男の手の合図とともに、全員が寸分の狂いもなく深々と頭を垂れ、大音量で声を合わせた。
「「「おかえりなさいませ、旦那様! おかえりなさいませ、お……お??」」」
「「「。。。。」」」
声を揃えて叫びかけた使用人たちの動きが、一斉にピタリと止まった。
頭を上げた執事長とメイドたちの視線の先には――
前回連れていた赤髪の侯爵令嬢ではなく、可憐で美しい銀髪の侯爵令嬢と、圧倒的な気品を纏った金髪の公爵令嬢という、豪華すぎる二人の美少女を従えたアレンの姿があった。
「「「。。。。」」」
静寂が現場を支配する。
(あ、アレン様……!? 前回のお方(奥様)はどうされたのですか……!?)
(まさか……もう『お取替え』になられた……!?)
(しかも今度は二人……!? 一人はあのクレイヴァリア公爵家のお嬢様……!?)
使用人たちの頭の中で、神聖王国支店長から叩き込まれた「アレン様の好みに全力で合わせろ」という狂気の過剰忖度マニュアルが音を立てて崩壊し、猛烈な大混乱が巻き起こっていた。
「……あ、あの……旦那様……? こちらのお方は……?」
額から冷や汗を滑らせながら、震える声で尋ねてくる執事長。
その横で、セレスティアは扇子で口元を隠しながら、目を丸くしてアレンと整列した使用人たちを交互に見つめた。
「……あら? 『おかえりなさいませ、旦那様』……? アレン、貴方……ここで一体どんな生活をなさっていたの……?」
「……アレン」
ローゼもジト〜ッとした冷ややかな視線をアレンに向け、腕を組んで足をトントンと鳴らす。
「……『ちょっと借りた良いお宿』じゃなかったかしら……? なんでこんな軍隊みたいな出迎えを受けるのか、説明していただけます……?」
「ち、違うんですお嬢様! セレスティア様! 俺も被害者なんです! 全てはあのバルツァー・ラボの支店長が暴走した結果で――っ!!」
校門前でのフランチェスカの惨劇に続き、今度はセレスティアとローゼを巻き込んだ「大惨事(忖度)」の第二幕が切って落とされるのだった。
【錯走するおもてなしと深まる混迷】
「い、いや! 違うんだよみんな……っ!」
使用人たちのパニックと、ローゼ&セレスティアからの痛烈な視線を浴びたアレンは、ぶんぶんと両手を振って必死に叫んだ。
「この人はローゼ・フォン・リゼット、リゼット侯爵家の令嬢で、俺は今この方の屋敷で“寝泊まりさせていただいている”んだ! で、こちらのお方はセレスティア・フォン・クレイヴァリア、あのクレイヴァリア公爵家のお令嬢だよ!」
そこまで一気に捲し立てると、アレンは「ふぅ」と息を吐き、使用人たちに向かってパーッと手を広げてみせた。
「……というわけだからさ! ほら、お客様だ! さぁ、おもてなしして!!」
「「「……っ!?」」」
強引に話を締めくくって丸投げしたアレン。
だが、その説明を聞いた執事長とメイドたちの脳内では、さらなる狂気の妄想が爆発していた。
彼らの耳に届いたのは、アレンの必死の言い訳などではなく――
『俺は今、この方(ローゼ様)の屋敷で“寝泊まりさせていただいている”』
ただその一点のみであった。
(……ね、寝泊まり……っ!?)
(あのアレン様が、他国の侯爵令嬢の屋敷にすでに“連れ込まれて”同居されている……!?)
(ということは、事実上の正妻(本命)はこのローゼ様……!! だからこそ前回のお方(フランチェスカ様)を速やかに追い払い、本命のお二人をお連れになられたのだ……っ!!)
使用人たちの背中に、過去最大の衝撃と戦慄が走る。
「は、はいっ! ただちに!!」
ハッと我に返った執事長が素早く右手を掲げ、雷のような大音声で指令を飛ばした。
「全員、聞いたな!? 本日のお客人は、我が旦那様が既にお屋敷に寝泊まりされ、事実上の『本妻様』としておわすローゼ様と、新たに『側妻様候補』としてお連れになられたセレスティア様であられるぞ!! 神聖王国の全威信を賭け、最高峰のおもてなしでお迎えせよ――っ!!」
「「「ははーーっ!!!!」」」
地響きのような返事とともに、整列していたメイドたちが光の速さで散開。
寸分の乱れもない美しい所作で、ローゼとセレスティアの足元に最高級のシルク絨毯が敷き詰められ、金粉の舞う極上のウェルカムドリンクがうやうやしく捧げられた。
「お、おい執事長!? さっきよりひどい肩書きと解釈で爆走してないか……!?」
アレンが引きつった顔で抗議しようとするも、時すでに遅し。
「……ねえ、アレン」
ローゼは顔を真っ赤にしつつも、目の前で繰り広げられる過剰すぎるおもてなしと、執事長の狂ったアナウンスに、かつてないほどジト〜ッとした冷ややかな視線を向けた。
「……『寝泊まりさせていただいている』って言っただけで、なんで『本妻様』なんて呼ばれなきゃいけないの……? 貴方、裏で一体どんな大ボラを吹いてこのお屋敷を手に入れたのよ……?」
【序列の逆転と公爵令嬢のプライド】
「お、おい執事長……! お前たち、本当にいい加減に――」
アレンが必死に頭を抱えて頭痛に耐えようとしていた、その時である。
「……あら?」
扇子で口元を隠していたセレスティアが、ふと足を止め、首をかしげた。
その瞳には、お怒り……というよりは、あまりにも支離滅裂な事態に対する純粋な疑問が浮かんでいる。
「ちょっとよろしいかしら、執事長?」
「は、はいっ! セレスティア様、何か不手際でもございましたでしょうか!?」
公爵令嬢からの直接の呼びかけに、執事長は額から油汗を流しながら、直立不動で背筋を伸ばした。
セレスティアは扇子をパチンと閉じると、極上の笑顔(ただし目はまったく笑っていない)で問いかけた。
「アレンさん。私がなぜ『側妻様候補』なのですか? 普通、逆ではありませんこと?」
「「っ……!?」」
現場に二度目の緊張が走る。
「私の実家はクレイヴァリア公爵家ですわ。そしてローゼさんはリゼット侯爵家。……貴族の格で言えば、侯爵の娘であるローゼさんが『側妻様候補』で、公爵の娘である私が『本妻様』になるのが普通ではありませんこと?」
「そ、そこぉぉぉぉっ!?」
アレンは思わず叫んだ。
ツッコむべきは「妻候補扱いされていること全体」であるはずなのに、セレスティアのプライドと貴族としての常識は「身分と序列の逆転」に引っかかったらしい。
「セ、セレスティア様……!?」
当のローゼも顔を真っ赤にしながら慌てて手を振る。
「ち、違いますわセレスティア様! 私だって『本妻』なんて望んでいませんし、そもそもアレンと私はそんな関係じゃ――!」
「いいえローゼさん。これは私の公爵令嬢としての矜持の問題ですわ」
セレスティアは優雅に、しかし圧倒的な圧を伴って執事長を一瞥した。
「執事長。貴方方のその解釈……我がクレイヴァリア公爵家を格下に見ていると取られても致し方ありませんけれど?」
「ひ、ヒィッ……!? け、決してそのような滅相もない滅相もない!!」
公爵令嬢の威圧感に、執事長と使用人たちが一斉にガタガタと震え出す。
(や、やばい……っ! 『アレン様が現在お屋敷に寝泊まりされている=既成事実=本妻様』という神聖王国流の論理で処理してしまったが、他国の身分制度では公爵家が上……!!)
(アレン様のお心遣いを優先するあまり、国家規模の外交問題に発展してしまう……!!)
冷や汗でぐっしょりと服を濡らした執事長は、救いを求めるようにアレンへとしがみついた。
「だ、旦那様ぁっ! お助けくださいっ! この場合、どちらの姫君を上位(本妻様)とお呼びすればよろしいのでしょうか……っ!?」
「俺に聞くなーーーっ!! どっちも妻じゃないし、二人ともただの学校のお友達だから『様』をつけて普通にお名前で呼びなさい!!」
「友達……? まさかアレン様、公爵令嬢と侯爵令嬢を『愛人(友達)』として括られるおつもり……!?」
「なんでそうなるんだよバカ者ーーーっ!!」
アレンの絶叫が、豪奢な邸宅の吹き抜けに虚しくこだまするのだった。




