97話:自滅のフランチェスカ
【昼食時の詰問と予期せぬ弱点】
学園の食堂。
昼食時のにぎやかな喧噪が広がる中、アレンが一人でプレートを運んで席に腰を下ろした直後のことだった。
ドンッ!!
「あ……」
アレンのすぐ隣の席に、一人の男が勢いよく、重圧を放ちながら腰掛けた。
Aクラスの優秀な騎士候補生――ブラッドだ。
ブラッドは周りの目を気にするようにさっと周囲を見回すと、アレンの肩をつかみ、至近距離から低い声で耳元にささやきかけてきた。
「おい、アレン……! お前、あのフランチェスカ様とは一体どういう関係なんだよ……っ!?」
かなり切迫した様子で詰め寄ってくるブラッド。
その必死すぎる表情と、どこか泳いでいる視線を見た瞬間――アレンの頭の中で、ポンッと軽快な察しの音が鳴った。
「……あ」
アレンは箸を止め、じとーっとした生温かい視線をブラッドに向けた。
「ブラッド君……君、まさかあの陰険フランチェスカのことが好きなの?」
「っ――!?!?!?」
ダラァッ!と、ブラッドの額から一瞬で滝のような冷や汗が吹き出した。
あからさまに動揺し、顔を真っ赤にしながら勢いよく立ち上がりかける。
「なっ……! ば、ばか言え! 誰があんな高飛車で高貴な……っ、ちが、好きとかそういう話じゃなくてだな……!」
完全に図星の反応を見せるブラッドに、アレンはニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふぅ〜ん……。そっかぁ。じゃあこれ、ローゼ様に行っちゃおうかなぁ? 『ブラッド君がフランチェスカ様に気があるみたいですよ』って」
「止めろ!!」
ブラッドは悲鳴のような声を上げ、アレンの肩を激しく揺さぶった。
「やめろ頼むから! お前ほんとなんなんだよ!? ただの護衛(執事)のくせになんでそんなに勘が鋭いんだよ! ていうか本当は何者なんだよお前は……っ!」
必死に口止めしようとするブラッドを前に、アレンは顎に手を当てて「うーん」と冷ややかに呟いた。
「うん、ブラッド君。ローゼ様に言うより……ミシェルさんに言った方が、クラス中に話が伝わるの早いかも」
「一番ダメなやつに言おうとしてるだろーがぁぁぁっ!!」
食堂の片隅で、今度はブラッドがアレンの容赦ない揺さぶりに身を悶えさせるハメになるのだった。
【宿の相談と余計なお世話】
昼食後の休み時間。中庭へ向かう廊下の隅で、アレンは優雅に扇子をあおぐフランチェスカに声をかけた。
「ねえ、お前さ……この国に来てから、どこに泊まってるの?」
「……『お前』?」
フランチェスカは片眉をぴくりと跳ね上げ、扇子越しに冷ややかな視線を向けた。
「誰に向かって口を利いていますの、アレン様? 『フランチェスカ様』とお呼びになりませんと、ここでの貴方の素晴らしいご身分(執事)をバラして差し上げますわよ?」
「はいはい、フランチェスカ様。で、宿はどうしてるの? 他国なんだから、流石に自分の邸宅は持ってないでしょう」
軽くあしらうアレンに、フランチェスカは「チッ」と小さく舌打ちを漏らしてから、気を取り直したように澄ました顔を作った。
「……そうですね。持っていませんわ。ですが、ヴィクトリア様の手配されたこちらの貴族の屋敷か、あるいは都の少し高級な宿でも取ろうかと考えておりますの」
それを聞いたアレンは、眉をひそめて「う〜ん」と唸った。
「高級な宿ねぇ……。いくら他国とはいえ、大貴族の侯爵令嬢がそんな防犯対策もガバガバな宿に泊まるのはダメでしょう。ヴィクトリアの手配した屋敷だって、変な派閥の嫌がらせを受けるかもしれないし」
「……あら? まさか、私の心配をしてくださっているのですか?」
どこか意外そうに目を丸くするフランチェスカに、アレンは面倒くさそうに首を振った。
「心配っていうか、お前が変な事件に巻き込まれたら、巡り巡って俺の平和な逃亡生活に支障が出るからね。……数日待ってろ。それまでは知り合いの邸宅にでも泊めてもらえるように手配してやるから」
「知り合い……? 貴方、この国にそんなあてがありますの?」
「まあ、ちょっとね。だから変な宿を取るんじゃないぞ」
そう言い残して去っていくアレンの背中を、フランチェスカはぽかんと見送った。
(知り合いの邸宅……? まさか、この国の高位貴族か、あるいは……)
自分の安全を不器用(かつ自分の保身のため)に確保しようとするアレンの姿に、フランチェスカは少しだけ意外そうな表情を浮かべつつも、すぐに「ふふっ」と悪い笑みを戻すのだった。
【バルツァー・ラボと『新婚夫婦』の手配】
背に腹は代えられない。
他国の侯爵令嬢をその辺の宿屋に放り投げて事件にでも巻き込まれ、自分の逃亡生活(兼執事ごっこ)が破綻することだけは避けたかったアレンは、重い足取りで『株式会社バルツァー・ラボ 神聖王国支店』へと赴いていた。
「――というわけでだ。支店長、急で申し訳ないのだが……安全な宿が必要でな。半年ほど都合をつけてもらえないだろうか?」
重厚な応接室で切り出したアレンに、対応していた支店長は「ひっ……!?」と声を詰まらせ、椅子から跳ね起きるように直立不動になった。
「あ、アレン様自らのお越し、恐悦至極にございます……っ! 宿でございますね!? 半年……! は、はいっ! ただちに! 今すぐ最高のご意向に沿う物件を手配いたします!!」
額から血が出そうな勢いで深く頭を下げ、光の速さで書類にサインをし始める支店長。
その異様な気合の入りように若干引きつつも、アレンは「頼むよ」とだけ言い残して支店を後にしたのだった。
◇
数日後。
支店長から提示された住所をもとに、アレンはフランチェスカを伴ってその場所へとやってきていた。
指定された都の一角。そこに建っていた「宿(?)」の前に到着した瞬間――
ふたりは、揃って言葉を失った。
「「…………。」」
アレンは二度見、三度見と渡された羊皮紙の地図と目の前の建物を交互に確認した。
「……此処であってるよな」
「……アレン様。私、何か見間違いをしておりますの? ここ……どう見てもどこかの高位貴族の大邸宅ですわよね……?」
そこにそびえ立っていたのは、どこからどう見てもただの宿などではなく、広大な庭園と白亜の装飾が施された、一国の大公爵家か王族の別邸レベルの超豪華な大邸宅であった。
あまりのスケールの違いに呆然としていると、重厚な鉄製の大門がギィィ……と音を立てて開いた。
中から一列に整列した数十名におよぶ洗練されたメイドと執事たちが、完璧な所作で一斉にアレンとフランチェスカの前に立ちはだかる。
そして――全員が示し合わせたかのように深くこうべを垂れた。
「「「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」」」
「。。。。」
再び静まり返る現場。
(……旦那様……? 奥様……!?)
アレンの脳内で、支店長と神聖王国首脳陣が「アレン様が『婚約者』のために新居をご所望だーっ!!」「新婚生活の準備を整えろーっ!!」と歓喜の悲鳴を上げながら暴走した光景が、手に取るように思い浮かんだ。
「……アレン様」
フランチェスカが扇子をぎゅっと握りしめ、ひくひくと眉を痙攣させながらアレンを振り返る。
「……私、貴方が『ただの庭師兼執事』だという言葉を信用したかったのですけれど……これ、一体どういうことですの……?」
「ち、違うんだフランチェスカ……! 俺もこんな大惨事(忖度)になるとは思ってなかったんだ……っ!!」
アレンの必死の言い訳も虚しく、二人の「新婚(仮)」のような怪しすぎる同居生活が幕を開けるのだった。
二人が執事やメイドたちに恭しく促され、邸宅の内部へと足を踏み入れた途端――さらに度肝を抜かれることになった。
足元に敷き詰められた最高級の絨毯、壁に掲げられた国宝級の絵画や魔導ランプ、そして天井から吊り下げられた煌びやかなクリスタルシャンデリア。
二人は思わず足を止め、目を疑った。
「……これ、私の実家(オルディス侯爵家)より豪勢じゃなくて……?」
呆然とした様子で呟くフランチェスカ。
その隣で、アレンも引きつった顔で天井を見上げながら同意する。
「あ、うん……そうかもしれないね。ローゼんち(リゼット侯爵邸)より立派だし……」
そんな二人が応接間のソファーに腰を下ろすと、すかさず洗練された所作のメイドが歩み寄り、湯気の立つ極上のティーカップを差し出してきた。
「旦那様、奥様、お茶をお注ぎいたします」
「あ、うん、勘違いだからそれ。奥様じゃなくて……」
アレンが慌てて手を横に振って訂正しようとすると、メイドは困り顔でそっと胸に手を当てた。
「いえ……これは面接時の受け答えで、必ず『旦那様、奥様』とお呼びするようにと厳しく指示されておりまして……。もしそのようにお呼びしなければ、私、即座にクビになってしまいます……」
「そ、それは大変だね……」
アレンは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。雇い主(バルツァー・ラボ支店長&神聖王国首脳陣)の過剰すぎる忖度と狂気の教育体制が垣間見え、思わず「はぁ……」と深い溜め息を漏らす。
(……ダメだ。ここで下手に否定して、このメイドさんがクビになったら寝覚めが悪い……。もう付き合うしかないか……)
アレンが早々に諦めモードに入り、出されたお茶をすすり始める一方――フランチェスカはそれどころではなかった。
(な、なんなのですの、この邸宅は……!?)
ゼノリス王国の筆頭名門たるオルディス侯爵家の邸宅すら明らかに凌駕する、この圧倒的なまでの格式と財の結集。
『数日待ってろ、知り合いの邸宅にでも一時的に泊めてやる』
アレンのあの言葉を思い出し、フランチェスカの頭の中は激しく混乱していた。
(一時的な宿……? 一時の宿で、なんでこんな国家級の別邸が出てきますの……!? 意味が分かりませんわ……!!)
「おもちゃを手に入れた」と余裕をぶかしていたはずのフランチェスカだったが、アレンの背後にある底知れない「何か」のスケール感に、ただただ圧倒されるばかりであった。
「まあまあ、ちょうど良かったじゃないか。フランチェスカ様もここから学園に通えばいいよ」
アレンは高級ティーカップから一口紅茶をすすると、まるで「ちょうど手頃なビジネスホテルが見つかった」とでも言いたげな呑気な口調で手を打った。
「俺はほら、ローゼお嬢様の執事っていう大事なお仕事があるから、基本的にはリゼット侯爵邸に寝泊まりしてるし。ここは半年の約束で借りてるだけだからさ。期限が来たら、またその時に今後の宿について相談に乗るよ」
「……」
フランチェスカは扇子を固く握りしめ、眉間にしわを寄せてアレンを凝視した。
「……宿でも借りた風におっしゃいますけれど」
ひくひくと眉を痙攣させながら、フランチェスカは声を震わせた。
「この邸宅のどこをどう見たら『半年の約束でちょっと借りた宿』に見えますの!? 門を潜った瞬間から兵士レベルの護衛がズラリと並び、メイドの皆様は私のことを当たり前のように『奥様』と呼び、調度品の一点一点が一国の王宮レベル……! これを『ただの宿』で済ませようとするのは、いくらなんでも無理がありますわ!!」
「いやぁ、頼んだ人がちょっとサービス精神旺盛な人でねぇ……『半年ほど宿を』って頼んだら、なぜかこうなっちゃったというか」
ポリポリと頬を掻きながら、心底困ったように笑うアレン。
「とにかく! ここなら防犯もバッチリだし、ヴィクトリアに変な報告が行く心配もないだろ? 居心地は悪くないはずだから、ゆっくりくつろいでよ。それじゃ、俺はお嬢様の夕食の準備があるから帰るね」
「あ、待ちなさいアレン様――!?」
ひらひらと手を振りながら、嵐のように邸宅を去っていくアレン。
残されたフランチェスカは、数十名のメイドや執事たちが「奥様、何かご用命はございますか?」と一斉に深々と頭を下げる中、豪華絢爛な応接間の真ん中で呆然と立ち尽くすしかなかった。
(……なんなのですの、あのお方は……!? 一体裏でどんな権力を動かせば、こんな邸宅がポンと用意されますの……!?)
「おもちゃを手に入れて優位に立った」はずのフランチェスカだったが、気づけばアレンの規格外すぎる「日常(?)スケール」に、完全に振り回されるハメになっていたのだった。
【遅れてきた戦慄と新たな冷や汗】
「……あっ」
嵐のように去っていったアレンの残像を見送りながら、フランチェスカの動きがピタリと止まった。
脳裏に、先ほどのアレンの呑気な言葉が何度もリフレインする。
『とにかく! ここなら防犯もバッチリだし、ヴィクトリアに変な報告が行く心配もないだろ?』
「……っ!?」
次の瞬間、フランチェスカの背筋をドッと強烈な寒気が駆け抜けた。
(待って……待ちなさい……! 報告……? 変な報告って、一体何の……!?)
ハッと我に返ったフランチェスカの視線の先。
そこには、自分に対して寸分の乱れもなく深々と頭を下げ続けている数十名の執事とメイドたち。
そして彼らが、自分に向かって先ほどからなんと呼びかけていたか――。
『おかえりなさいませ、旦那様、奥様』
『奥様、何かご用命はございますか?』
(――奥様!!?!?)
フランチェスカの顔面から、スーッと血の気が引いていく。
もしも、もしもだ。
公爵家の情報網や、この屋敷に仕える誰かを通じて、ヴィクトリア様の耳にこんな報告が届いてしまったら――。
『ご報告いたします。フランチェスカ様が、アレン様と都の一等地にある大邸宅にて「旦那様」「奥様」と呼ばれながら同居生活を始められました』
(ひ、ヒィィィィッ……!!??)
妄想した瞬間、あまりの恐怖に膝がガクガクと震え出した。
アレン様を捕縛・説得するために刺客として派遣されたはずの自分が、あろうことかアレン様と「新婚ごっこ」をしていると誤解されたらどうなるか。
ヴィクトリア様が般若のような形相でこの国に乗り込んできて、自分ごとこの邸宅を灰燼に帰せしめる未来しか見えない。
「お、奥様……? お顔色が優れませんが、温かいお飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
親切心から声をかけてくるメイドの言葉すら、今のフランチェスカには命を削る死刑宣告のように聞こえた。
「よ、呼び方……! 頼むからその『奥様』って呼ぶのだけはやめてちょうだい……! ヴィクトリア様にバレたら、私……私、消されるわ……っ!!」
「えっ……? しかし、面接での厳命でございますので、変更すると私がクビに……」
「私の命と貴女のクビ、どっちが重いのよーっ!?」
さっきまでアレンを脅迫して優位に立っていたはずの侯爵令嬢は、自分自身が作った(アレンと神聖王国の)過剰忖度の罠にハマり、滝のような冷や汗を流しながら絶叫するハメになるのだった。




