96話:消えた縁談と新たな天敵の襲来
【消えた縁談と怪しすぎる予約席】
セシリア編の幕開け。
「……ねぇ、ローゼ様。なんだか最近、我が家を巡る周囲の動きが色々と怪しいのですけれど……」
休み時間。グラン子爵家の危機が去って胸を撫で下ろしたはずのセシリアだったが、その表情には新たな困惑が浮かんでいた。
「怪しい、ですか? 経営が持ち直したこと以外に、何かありましたの?」
首をかしげるローゼに、セシリアは声を潜めて切り出した。
「実は……実家にいくつか来ていたはずの縁談の話が、なぜか一斉に全て立ち消えになったのです」
「えっ? 全て、ですか?」
「ええ。それもただ断られたのではなく、お相手の伯爵家や侯爵家の方々が『滅相もございません! 我らごときがグラン子爵家のお嬢様にお声をかけるなど恐れ多い!』と、顔面を土気色にして婚姻届ごと辞退してきたそうなのです……。父も『一体うちが何をしたんだ』と頭を抱えておりまして……」
「それは……確かに不自然ですわね……」
ローゼがお痛ましそうに呟いていると、講義の開始を告げる鐘が鳴り響いた。
二人がそれぞれの席へ戻ろうとした、その時である。
「……え?」
セシリアは、アレンのすぐ隣の席――かつてミシェルたちが座り、アレンを追及していたあの席の前でピタリと足を止めた。
そこには、金糸の刺繍が施されたあまりにも絢爛豪華な布が被せられ、一目で分かるような達筆な文字で、こう記されていたのだ。
『貴賓専用・予約席』
※グラン子爵令嬢 セシリア・フォン・グラン様 専修席
「な……なにこれ……!?」
セシリアは目を丸くして絶句した。
学園の講義室に、一生徒のための「個人の予約席」など用意されるわけがない。しかも、なぜか隣に座るアレンは何食わぬ顔で高級茶葉の紅茶をすすっている。
「ローゼ様! こ、これ、一体どういうことですの!? なんで私の名前で予約席なんて作られているのですか!?」
パニックになりかけたセシリアが助けを求めるように振り向くと、ローゼお嬢様は心底呆れたようなジト目をアレンに向けつつ、深く溜め息をついた。
「……私に聞かれても困るわよ。どうせまた、どこかの頭の不自由な大人たちが暴走しているんじゃないかしら……」
「どこかの大人たちって誰ですかーっ!?」
困惑するセシリアと、完全に諦め顔のローゼ。
そして「まあまあセシリア様、せっかくの予約席なんですから座りましょうよ」と能天気にお茶を差し出すアレンの横で、神聖王国首脳陣による「アレン様の恋人護衛(&外敵排除)作戦」は、着々と学園内にまでその狂気の根を広げていくのだった。
◇
【強襲の取り巻きと、悪毒な微笑み】
その日の朝、Aクラスの教室は開校以来とも言える不穏な熱気に包まれていた。
「ねえ、聞いた? 今日、急遽『交換留学』で他校から特別転入生が来るらしいわよ」
「ええ……それもただの留学生じゃないわ。あのグランヴェル公爵家に仕える筆頭名門、オルディス侯爵家の令嬢……フランチェスカ・フォン・オルディス様だそうよ!」
クラスメイトたちがひそひそと噂話を交わす中、アレンは席で呑気に「へぇ、交換留学なんてあるんだなぁ」などと他人事のように構えていた。
事の発端は、数週間前。
アレンの行方を執念深く捜索していたグランヴェル公爵家の令嬢、ヴィクトリアにあった。
彼女は公爵家の圧倒的な情報網、権力、そして潤沢すぎる財力をこれでもかと投入し、ついに「逃亡した庭師」がこの白亜宮廷魔術学園に潜伏している事実を突き止めたのだ。
しかし、公爵家の次期当主たるヴィクトリア本人は立場上、おいそれと他国の学園へ即座に移動するわけにはいかない。
そこで彼女が放った「刺客」こそが、自身の忠実な取り巻き筆頭であり、知略に長けたフランチェスカ侯爵令嬢であった。
「静かにしなさい! 講義に先立ち、本日より我がAクラスに短期交換留学として加わる特別生徒を紹介する!」
教師の声とともに教室の扉が重々しく開き、一人の少女が優雅な足取りで入ってきた。
燃えるような赤髪を艶やかに揺らし、高貴な侯爵令嬢たる完璧な立ち振る舞いで壇上へと立つ少女――フランチェスカ。
「フランチェスカ・フォン・オルディスと申します。皆様、短い間ですがよろしくお願いいたしますわ」
完璧な微笑みを浮かべる彼女。
だがその瞬間、アレンは顔面を蒼白にし、滝のような冷や汗を滑らせた。
(ば、バレた―――っ!?!?)
アレンの脳内で警報が鳴り響く。
ヴィクトリアの側近中の側近である彼女がここにいるということは、自分の居場所が完全に割れたということだ。
何よりマシなのは「命を狙われること」ではない。
アレンにとって一番恐ろしいのは――「ゼノリス王国第一魔法学園生徒会長という立場にありながら、なぜか他国の侯爵令嬢の『庭師兼執事』として身分を偽装して遊んでいる」という、この最高に意味不明で最高に面白いシチュエーションがヴィクトリアや周囲に露見することだった。
(ダメだ! ここで『アレン様、なぜこのような執事の真似事を!?』なんて叫ばれたら、ローゼにもミシェルにも全方向に言い訳が立たない……!!)
冷や汗で背中をぐっしょりと濡らしながら、アレンは講義開始直前の移動の隙を狙い、素早くフランチェスカの背後へと忍び寄った。
「っ……フ、フランチェスカ……!」
アレンは身をかがめ、周りに聞こえないほどの蚊の鳴くような小声で、悲痛な眼差しを向けた。
「お願い……どうか、どうか僕がここで『ただの執事』として過ごしていること……内緒にして……! なんでもするから……!」
かつて絶対的な力と圧倒的な存在感で周囲を平伏させていた(とフランチェスカたちが認識している)あのアレンが、目の前で必死に自分に懇願してきている。
その滑稽な姿を見た瞬間――フランチェスカの優雅な微笑みが、一変した。
(……あら? あのお方が、こんなにも焦って私に頭を下げている……?)
彼女の唇が、サッと意地の悪い、最高に愉悦に満ちた形へと歪む。
(ふふっ……素晴らしいわ。あのヴィクトリア様すら翻弄するあのお方が、私の掌の上で困り果てているなんて……最高の『おもちゃ』を手に入れてしまったわね)
「ふふ……どうかしら?」
フランチェスカは扇子で口元を隠しながら、アレンにしか見えない角度で悪毒な笑みを向け、囁くように返した。
「私を満足させてくださるなら……考えてあげてもよろしくてよ? 『アレン様』?」
「うぐっ……!?」
アレンの逃亡生活に、過去最大の(そして最高に扱いづらい)天敵が降臨した瞬間であった。
【強襲の隣席と新たな誤解】
「ごめんあそばせ」
優雅で涼やかな声とともに、フランチェスカはアレンの隣のデスクに置かれていた絢爛豪華な『【貴賓専用・予約席】※セシリア様専修席』という札を、躊躇いもなくスッ……と脇へ押しやった。
そのまま当然のような顔で、アレンのすぐ隣の椅子へと腰を下ろす。
「……え?」
「な……!?」
本来座るはずだったセシリアと、それを見守っていたローゼが同時に目を見張った。
二人が困惑する中、フランチェスカは扇子をそっとパチンと閉じると、隣で滝のような冷や汗を滑らせているアレンへと、溢れんばかりの情愛(を装ったドSな愉悦)を込めた眼差しを向けた。
「アレン様……このような場所においででしたのね。ずっとお捜ししておりましたのよ? ……まさか、私のこと、お忘れになったわけではございませんでしょう?」
「ひ、ヒィっ……! い、いえ……忘れるわけがございませんフランチェスカ、様……っ!」
アレンの額からは嫌な汗が吹き出し、顔面は土気色に染まっていた。
ここで余計なことを言えば、ゼノリス王国第一魔法学園の生徒会長という本性がバラされ、逃亡生活が一瞬で崩壊する。フランチェスカの「いいおもちゃを見つけた」と言わんばかりの悪い笑みに、アレンは完全に生殺与奪の権を握られていた。
そんな二人のやり取りを、ローゼお嬢様は腕を組みながら、ジト目でじーっと見つめていた。
(……あ、やっぱり……)
ローゼの頭の中で、これまでの違和感が一気に一本の線で繋がっていく。
(なんとなくそんな気はしてたのよね……。侯爵家のお嬢様に対して物怖じしないどころか平気でフランクに話しかけてくるし、立ち振る舞いも戦闘力も常軌を逸してる。ただの平民なわけがないと思ってたけれど……)
ローゼは「ふーっ」と深く溜め息をつくと、諦めたように首を横に振った。
「……アレン。貴方、こんなに高貴で綺麗な婚約者様がいらっしゃったのね」
「「は……??」」
アレンとフランチェスカの声が重なった。
「「ローゼ様!? ち、違――」」
アレンが叫ぼうとするのを制し、ローゼは心底呆れたような、どこか納得したような表情で頷く。
「隠さなくてもいいわよ。オルディス侯爵家という大貴族の令嬢が、留学してまで追いかけてきて『アレン様』なんて甘い声をかけるんだもの。婚約者以外に考えられないじゃない。……まったく、婚約者を放り出して他国の侯爵家で執事の真似事なんて、どれだけ迷惑な趣味をしているのよ」
「ち、違いますお嬢様! 俺とフランチェスカはそんな甘い関係じゃなくて、もっとこう、主従というか脅迫というか――」
「お黙りなさい。これ以上見苦しい言い訳を聞かされたら、こちらが恥ずかしくなるわ」
バッサリと切り捨てられ、絶望に打ちひしがれるアレン。
一方、濡れ衣を着せられた格好のフランチェスカだったが――アレンが必死に焦る姿を見るや否や、口元を扇子で隠して「ふふっ……」と意地の悪い笑みを深めた。
(あら……『婚約者』、ですの? ええ、ええ……その方がアレン様をより追い詰められますわね……!)
「ええ、ローゼ様。アレン様ったら本当にいけないお方で……私を置いてこんなところでおままごと(執事)をなさっているなんて、本当に意地悪ですのよ?」
「ちょっとフランチェスカ、様!? 乗っからないでくださーい!!」
講義室の片隅で、アレンの悲鳴が虚しく響き渡るのだった




