95話:陰のある少女と子爵家の危機
Aクラスの教室で、いつもどこか上の空で物憂げな雰囲気を漂わせている少女がいた。
セシリア・フォン・グラン。
子爵家の長女であり、学園でも指折りの優秀な魔法使いとして知られる彼女だったが、ここ最近は授業中もぼんやりと窓の外を眺めては、重い溜め息ばかりをついていた。
「……はぁ」
その暗い表情とただならぬ悲壮感を気にかけたローゼお嬢様は、休み時間に彼女の席へと歩み寄り、優しく声をかけた。
「セシリア様、どうされたのですか? なんだか最近、ずっと元気がありませんけれど……」
「……あ、ローゼ様。いえ……個人的な家庭の事情ですので、お気になさらず……」
首を振って濁そうとするセシリアだったが、ローゼが親身になって心配すると、ついに耐えかねたようにぽつりぽつりと重い口を開いた。
「……実は、我がグラン子爵家の事業が、破滅的な経営危機に陥っているのです」
「経営危機……? グラン子爵家といえば、高級魔法薬や化粧品の開発・販売、それに都でのサロン事業で有名ではありませんでしたか?」
「ええ……今まではそうでした。ですが数か月前、突如として強力な資本を持つ『謎の競合店舗』が街に現れたのです。彼らは我が家の看板商品とそっくりの魔法薬や化粧品を半額以下の叩き売りで流通させ、サロンの顧客もごっそり奪われてしまいました……」
セシリアは力なく頭を抱えた。
「このままでは実家の事業が倒産してしまいます……。それどころか、私自身の来期の学費すら払えるかどうか怪しくて……それで、不安で夜も眠れないのです」
優秀な魔法使いでありながら、お家騒動と金銭的な現実に押しつぶされそうになっているセシリア。
「そんな……急にライバルが現れるなんて……」
ローゼがお痛ましそうに言葉を失っていると、二人のすぐ後ろから、ぬっと影が差し込んできた。
「へぇ……高級魔法薬に、お肌がツルツルになる化粧品、ですか」
「ひゃいっ!?」
気配もなく背後に立っていたアレンに、セシリアは跳び上がるほど驚いた。
アレンはどこか胡散臭い笑みを浮かべながら、顎に手を当てて思案顔を作っている。
(高級ポーションとサロン事業ねぇ……。半額以下で同等の品をバラ撒く競合の出現……ふむ、裏で粗悪な原材料を使ってるか、どこかの大手貴族が嫌がらせで資本潰しを仕掛けてるパターンだな)
「アレン……貴方、また変なことを考えていないでしょうね?」
ローゼが警戒露わにジト目を向けてくる。
「滅相もございませんよお嬢様! 俺はただ、クラスメイトの危機と聞いて心を痛めているだけでして。ねぇ、セシリア様? その『競合店が売っている魔法薬』の実物、一瓶だけ手に入ったりしませんかね……?」
「え? ええ、手元に分析用として一つありますけれど……」
「よし、じゃあ後で拝見させてください。……大丈夫ですよセシリア様、うちのお嬢様は優しいので、困っているお友達は見捨てたりしませんから!」
「ちょっとアレン! 勝手に話を進めないでちょうだい!」
またしても勝手に巻き込まれるローゼの叫び声が、教室内に響き渡るのだった。
【国家総出の『恋人』護衛作戦と高位貴族の謎】
アレンは静かな夕暮れの庭園で、ひとり思考を巡らせていた。
もともとは、自分自身が楽しく気楽に過ごせればそれでいいと考えていたのだ。
だが――アレンの根底にある日本人としての情が、どうしてもそれを許さない。自分の手が届く範囲にいる身近な人間が不幸になっていくのを、見過ごしたまま通り過ぎることなんてできなかった。
「ローゼの仲間……コレット、ミシェル、ブラッド、セシリアか」
指を折りながら、ぽつりと呟く。
「……セシリアのみに何かあれば」
そこで一旦言葉を区切り、アレンはぽつりと声に出した。
「……ダメだ」
再びそこで一呼吸置く。
(……そんなことになれば、ローゼが大切な友達を失うことになる)
心の中でそう呟いてから、静かな決意を込めて言葉を漏らした。
「……失いたくない」
何気ない、けれど重みのこもったその一言。
夕風に乗って消えたその言葉を――魔導盗聴器を通じて完璧に聞き取っていた者たちがいた。
【クレイズ神聖王国・王城 深奥執務室】
「ひ……ヒィィィィィッ!! 大変です、陛下!!」
顔面を土気色にした諜報部長が部屋へ転がり込み、魔導装置によって再生された音声が室内へ重々しく響き渡った。
『……セシリアのみに何かあれば……ダメだ。……失いたくない』
静寂。
次の瞬間、国王をはじめとする国家幹部たちの背筋に、氷水を浴びせられたかのような激震が走った。
「な、なんという圧倒的な圧……! そして底知れぬ執念……っ!!」
国王はガタガタと膝を震わせ、額から滝のような汗を流した。
「聞いたか皆の者……!? アレン様が……あのアレン様が『セシリアに御注進』……! つまりあの少女に全神経を注ぎ、深くお心をお寄せになられているのだぞ!!」
「『セシリアのみに何かあれば、ダメだ』……! あのアレン様が『失いたくない』とまで仰ったのだぞ!? 間違いありません……セシリア様こそが、あのお方の『ご寵愛を受ける恋人』に他なりません!!」
「大変だ!! もしセシリア様のご実家に何かあれば、我が国はあのお方の『愛』を害した罪で焦土と化すぞ!! すぐに全総力を挙げてグラン子爵家をお守りするのだ!!」
数日後。
経営難に喘いでいたグラン子爵家が営む街のサロン周辺は、地獄のような超厳戒態勢と化していた。
「な、なんなのこれ……っ!?」
実家のサロンを訪れたセシリアは、あまりの光景に絶句した。
店舗の入口には、神聖王国において無敵を誇る「聖騎士団」の団長自らがフル装備の甲冑で立ち、眼光鋭く守衛(門番)を務めている。それどころか、店舗の屋根には輝く「神聖王国の王国紋」がでかでかと掲げられ、建物の周囲はまるで王室直営の国営店舗のように絢爛豪華に装飾されていた。
「ぜ、全国からのお問合せで、予約が数年先まで埋まりましたわ……!」
「公爵夫人や大臣の奥様方が『我が家を最優先に!』と金を積み上げて押し寄せておられます……!」
強力な資本を持っていたはずの競合店舗は、聖騎士団と王国の圧力を前に一瞬で逃亡・廃業。店員たちが悲鳴を上げるほど大繁盛していた。
王城の執務室では、報告を受けた国王と幹部たちが「ふぅ……」と深々と胸を撫で下ろしていた。
「良かった……これでアレン様の恋人は守れたな……」
「ええ……これで我が国の存亡もひとまず回避されました……」
全員が晴れやかな表情で頷き合っていた……が、しかし。
「……ん? まてよ……?」
ふと、黙り込んでいた丞相が眉をひそめ、首をかしげた。
「……なぜ『子爵家』なのだ?」
「ぬ? どういうことだ、丞相」
国王の問いかけに、丞相は真剣な面持ちで顎に手を当てた。
「あのアレン様だぞ……? 世界の覇権を握る超大国の首脳陣すら平伏させる、言わば『世界の影の覇者』であられるお方だ。そのようなお方の伴侶となられるお方が……一弱小貴族に過ぎぬ『子爵家』の令嬢で良いはずがあろうか?」
「あっ……!」
重臣たちの間に、再び冷ややかな緊張が走る。
「そうだ……! 普通に考えれば、公爵家や辺境伯家、あるいは他国の王女クラスでなければ……とてもじゃないがアレン様との『家格』が合わんはず……!」
「……もしやアレン様は、ご自身の身分を隠して『平民の執事』を演じておられるように、セシリア様も『子爵令嬢』という世を忍ぶ仮の姿(隠れ蓑)として配置されているのでは……!?」
「あるいは、身分差という試練を乗り越えるための『愛の戯れ』……!?」
「なんということだ……! 我らはまたしても、あのお方の底知れぬ思惑の表面しか見えていなかったというのか……!!」
アレンの恋人を無事守り切ったはずの神聖王国首脳陣は、存在しない「アレン様の壮大な身分差恋愛シナリオ」に対する新たな深読みと考察の沼へ、自らズブズブとハマっていくのだった。




