92話:実技試験当日とアレンの『保険』
ついにやってきた、白亜宮廷魔術学園の実技試験当日。
会場となる巨大な演武場には、緊張した面持ちの受験生たちが所狭しと集まり、ただならぬ熱気が渦巻いていた。
重い鉄の負荷帯を着けての一ヶ月間、死に物狂いで走り込みを続けてきたジュリアンは、引き締まった体躯で緊張に肩を震わせながら出番を待っていた。
それを少し離れた場所から眺めていたアレンは、ふむ、と顎に手を当ててひとりごちる。
(……剣術の方は、まあ相手との相性と運次第かな。でも……)
アレンの視線が、ジュリアンの背中に向けられる。
(魔術試験の方は、ちょっとだけ『保険』をかけておくか)
アレンは足音もなくジュリアンの背後に忍び寄ると、緊張でガチガチになっている彼の肩へポンと優しく手を置いた。
「ジュリアン坊っちゃま」
「ひゃいっ!? あ、アレン……! び、びっくりさせるな……」
「はは、緊張しすぎですよ。ちょっと肩の力を抜いて……そう、少しだけ【魔素の巡り】を調整しますね」
「え? 魔素の……?」
首をかしげるジュリアンの肩から、アレンの指先を通じて目に見えない高密度の魔力がスッと体内へと潜り込む。
アレンは脳内で自身のスキルを起動し、ジュリアンの体内の魔力回路――そしてスキルの構成情報へと介入した。
(んー……『基礎魔術』の構成式をちょっといじって……よし、『六芒星』を描くプロセス。ここを『省略』と記載して、っと。はい、改ざん完了)
ジュリアンのステータス内にある魔法発動のプロセスが、アレンの手によって一瞬で書き換えられていく。
(……あ、神様ごめんね。エルエルには迷惑かけるけど……まあ、今度ステーキでも奢れば許してくれるか)
神界の知り合いに心の中で適当なお詫びを告げると、アレンは満足げに手を離した。
何も知らずに「なんだか急に体が軽くなったような……?」と自分の手を見つめているジュリアンに対し、アレンはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて言い放った。
「さぁ、ジュリアン君。今日から君は、僕の弟子だよ」
「で、弟子……!?」
突然の「弟子」宣言に目を丸くするジュリアン。アレンは構わず、彼の顔を覗き込むようにして言葉を続けた。
「いいですか? 魔法っていうのはね、本来『イメージ』なんです。坊っちゃまがこれまで必死に覚えてきた詠唱は、こうでしたよね?」
アレンは朗々と、けれど完璧な魔力制御とともに口ずさんでみせる。
「『紅蓮の火焔よ、我が手の中に集い踊れ。燃え盛る弾丸となりて敵を討て――ファイアボール』!」
「ああ、そうだ。それが教科書通りの正しく美しい詠唱だ。僕も完璧に暗記して――」
「うん、それ今日から禁止ね」
「……はい?」
バッサリと言い捨てたアレンに、ジュリアンは耳を疑った。
「今から君は――『ファイアボール!』とだけ唱えるんだ」
「は、はいぃ!? そんなの無理に決まっているじゃないか! 詠唱を極限まで省くなんて、第一級の宮廷魔術師でもなければ――」
「できますよ」
アレンはジュリアンの肩を力強く叩き、絶対的な自信に満ちた笑顔を向けた。
「だって君は僕の弟子だからね。特別にさっき、魔素の巡りを改善(※改ざん)してあげたんだ。今の君なら、絶対にできるはずだよ」
「え、あ……ええぇぇ……!?」
出番を告げる係員の声が響き渡る中、自分の身体に起きた恐ろしい変化にも気づかないまま、ジュリアンは混乱と半信半疑の極致で試験の舞台へと送り出されるのだった。
【歴史に残る天才の誕生】
ついに始まった実技試験。
前半の剣術実技において、ジュリアンは泥臭く食らいついた。
一ヶ月間の地獄のような負荷帯トレーニングによって培われた粘り強いスタミナと基礎体力が功を奏し、どれだけ泥まみれになろうとも立ち上がり続け、相手の体力が尽きるまで粘り勝ちを収めたのだ。お世辞にも華やかとは言えない泥沼の勝利ではあったが、何とか合格ラインをもぎ取った。
そして、運命の魔術実技。
演武場の中央に立ったジュリアンは、観覧席から見守るアレンの姿を一瞬だけ確認すると、腹を括った。
「ジュリアン・フォン・リゼット! 魔法の発動を開始しなさい!」
試験官の声が響く。本来であれば、ここから長く複雑な魔法陣の描画と、粛々と行われる長文の詠唱が始まるはずだった。
しかし、ジュリアンは深く息を吐き出すと、目の前の的に向かって右手をすっとかざした。
「――『ファイアボール!』」
たった一言。短縮された、あまりにもあっけないその叫び。
次の瞬間――ドドオォォンッ!!!
腹の底に響くような凄まじい衝撃波と爆風が演武場全体を激しく揺らした。
巨大な火柱が天を突き、標的となっていた頑丈な魔導標的は影も形もなく蒸発していた。
静寂。
あまりの出来事に、受験生も、警備の騎士たちも、そして採点を行う教員たちも、全員が言葉を失ってシーンと静まり返っていた。会場に残されたのは、ただ焦土の熱気と爆発の余韻だけだった。
「……な、なんだ今の詠唱短縮は……!?」
「魔法陣の展開プロセスを完全に跳び越えていたぞ……!?」
「馬鹿な……第一級の宮廷魔術師ですら数秒はかかるぞ!? それを、あの若さで……!」
一瞬の静寂の後、教員席が一斉に沸き立った。
「歴史に残る天才の登場だ……!」
「これほどの逸材ならば、あの『ゼノリア王国第一中央学園』ですら軽々合格することができるぞ……!」
教員たちの興奮した歓声と、受験生たちの驚愕の視線が集中する中、当のジュリアンだけは「え? 僕、何かすごいことやっちゃいました……?」と己の手をぽかんと見つめていた。
結果はもちろん、満場一致の超好成績での合格。
そして当然の如く最上位クラスである「Aクラス」への配属が内定したのだった。
来年から、ジュリアンはアレンの後輩としてこの学園に入学することになるだろう。
――まあ、それまでにアレン自身がこの学園に留まっていればの話だが。
少し離れた観覧席の影で、アレンは「うんうん、よかったね」と満足そうに頷きながら、嵐が過ぎ去る前にそっとその場を後にするのだった。




