90話:Aクラスの女王と既視感の暗雲
教室の扉を開けると、そこは「白亜宮廷魔術学園」の最上位クラス――Aクラスの教室だった。
この学園では明確な実力と身分によってクラス分けがなされており、ローゼお嬢様はもちろん、アレン、そして情報通のミシェルも見事Aクラスに配属されていた。ちなみに、取り巻きのコレット、ブラッド、セシリアの3人はBクラスとなり、悔しそうに隣の教室へと向かっていった。
(ふぅ……ひとまずは静かな学園生活が送れるか……?)
アレンがそんな淡い期待を抱いたのも束の間。
教室の中央、一際日当たりの良い上座の席に座る人物を目にした瞬間、ローゼお嬢様の身体がピキリと強張った。
そこにいたのは、神聖王国屈指の権力と清浄な魔力を誇る公爵家の令嬢――セレスティア・フォン・クレイヴァリアであった。
圧倒的な気品と、近付けがたいほどの美貌を漂わせる彼女の周囲には、すでに特有の重苦しいピンと張り詰めた空気が満ちている。
ローゼお嬢様はこれ以上ないほど嫌そうな顔を隠そうともせず、深くため息を吐くと、それでも侯爵家の面目と嗜みとして、優雅かつ刺々しい足取りでセレスティアの前へと進み出た。
「……ごきげんよう、セレスティア様。まさか同じクラスになりますとは、奇遇ですわね」
「あら、ごきげんようローゼさん。ええ、私もまさか貴女と席を並べることになるとは思ってもいませんでしたわ」
にこやかな笑顔を浮かべ合いながらも、バチバチと火花が散る二人の視線。言葉の端々に毒が込められたその挨拶に、教室内の他の生徒たちは生唾を呑んで縮こまっている。
そんなピリついた女の戦いを、少し後ろから眺めていたアレンの脳裏に、強烈なデジャブが駆け巡った。
(……待てよ。この、息が詰まるようなハイレベルな腹の探り合いと、無駄に高貴な圧迫感……俺、どこかで経験したことがあるな……)
記憶の引き出しを片端からひっくり返し、アレンはハッと膝を打った。
(……あ、ヴィクトリアだ。ゼノリス王国の『あの女』と同類だこれ)
王国学園で、アレンが関わらないよう必死に存在感を消して逃げ回っていた、あの超絶面倒くさい高貴な高嶺の花タイプ。目の前のセレスティアから漂う厄介事の匂いは、まさにあのヴィクトリアと同系統、いやそれ以上だった。
(……やばい。逃げてきたはずの面倒くさい貴族の権力闘争に、またしても正面から突っ込んでる気がする……)
「頼むから俺を巻き込まないでくれ」と心の中で切実に祈りながら、アレンはそっと気配を消し、静かに後方の席へとフェードアウトを試みるのだった。
【公爵令嬢の動揺と執事の先制攻撃】
二人の火花散る応酬の最中、セレスティア・フォン・クレイヴァリアの視線が、ローゼの斜め後ろに佇むアレンへと一瞬だけ向けられた。
(……? あの方は……?)
セレスティアの美しい瞳が一瞬だけ大きく見開かれ、驚きに揺れる。
圧倒的な存在感を隠しきれていない洗練された立ち振る舞い、そしてその身に纏うのは、大陸最高峰「城塞都市中央第一魔法学園」の極上仕立ての制服。
(なぜ……なぜあのようなお方が、ローゼの隣に……? 異国の王族か、あるいは帝国の密使……?)
公爵令嬢としての鋭い洞察力が瞬時に働き、セレスティアの脳内で様々な警戒と不審が激しく渦巻いた。しかし彼女はすぐさま眉一つ動かさず平静を装い、何事もなかったかのようにすまし顔に戻ってみせる。
一方、二人の間に漂うドロドロとした空気とセレスティアからの視線を察知したアレンは、心の中で深く深いため息を吐いていた。。
(……はぁ。このまま黙って放置してたら、絶対面倒な探り合いに巻き込まれるな。ここは先に『ポジション』を明確にしておいた方が吉か……)
腹を括ったアレンは、これまでの気配を消した脱力状態から一変、すっと背筋を伸ばした。そして、教室中に響くほどのやや大きめの声で、完璧な姿勢とともに恭しく頭を下げた。
「――ローゼお嬢様。少々よろしいでしょうか?」
かしこまった、あまりにも美しく完璧な「執事」の所作。
その瞬間、教室内を包んでいたバチバチとした緊張感がピタリと止まった。
「……あ?」
「……え?」
セレスティアとローゼの舌戦をハラハラしながら見守っていた周囲のAクラスの生徒たちが、ぽかんと口を開けて固まる。
そして他ならぬ公爵令嬢セレスティアまでもが、優雅な仮面をピキリと凍りつかせ、驚きのあまり思考を停止させて固まっていた。
(お、お嬢様……!? あの気品あふれるお方が、執事……!?)
教室中が静寂と大混乱に包まれる中、マウントを取る絶好の機会を得たローゼお嬢様だけが、ここぞとばかりにフッと優雅に口元を緩めた。
セレスティアに対し「どうかしら?」と言わんばかりの勝ち誇った笑みを浮かべると、ローゼは満足げに胸を張り、余裕たっぷりの声で返した。
「――何かしら、アレン?」
【KY(空気が読めない)な夕食確認と侯爵家の赤面】
静まり返った教室。公爵令嬢セレスティアをはじめ、周囲のAクラスの生徒たちが「この謎の美青年が執事……!?」と固まっている中、勝ち誇った笑みを浮かべるローゼお嬢様。
そんな緊張感と大混乱が極限に達した最高のマウントの瞬間、アレンは至って真面目な顔で口を開いた。
「今日の夕食は、ステーキでよろしいでしょうか?」
「………………は?」
ピキッ、と教室内の時が完全に止まった。
先ほどまでバチバチと火花を散らしていた重厚な貴族の空気感からは、あまりにもかけ離れた日常的すぎる……いや、異常とすら言える空気が読めない質問。
生徒たちも、先ほどまで圧倒されていたセレスティアも、目を見開いたままアゴが外れんばかりに固まっている。
そして、ドヤ顔を決めていた当のローゼお嬢様も、あまりの想定外すぎる発言にあっけにとられ、一瞬遅れて顔をりんごのように真っ赤に染め上げた。
「ア、アレン……っ!? な、何言ってるのよ、それ今聞くことなの!?」
「え? だってさ、気になるじゃん」
侯爵家のお嬢様に向かって、急にちょっと堅苦しい敬語を崩した砕けた口調で答えるアレン。
実は先ほどのかしこまった「執事モード」の言葉遣いが窮屈すぎて限界だったのだ。
「俺としては肉の解凍とか仕込みの時間もあるし、早めに確認しておきたかったんだけど……」
「そうじゃなくて! 今はそんな話をしてる場合じゃないでしょーが!」
恥ずかしさと混乱でワタワタと抗議するローゼお嬢様。
そのあまりにもコミカルで脱力的なやり取りに、ついに耐えきれなくなった公爵令嬢――セレスティアが、優雅な扇子で口元を覆いながら「くすっ」と肩を揺らして吹き出した。
「ふふっ……あはは! まぁ、素敵なお付きの方ですこと。アレンさんとおっしゃいましたかしら?」
セレスティアは可憐に目を細めると、真っ赤になっているローゼの方をチラリと見やり、優越感に満ちた意地悪な微笑みを浮かべた。
「アレンさん、ステーキでしたら、我がクレイヴァリア公爵家でいくらでも最高級のものを御馳走できましてよ? ……まぁ、どうやらリゼット侯爵家では、夕食の献立ひとつでそこまで大騒ぎなさるくらい、お肉が出ないようですけれど?」
「なっ……! セレスティア様、何をおっしゃいますの!? 我が家でもステーキくらい日常的に出ますわよ! アレン、余計なことを言うんじゃないわよ!」
さっきまでの威厳はどこへやら、アレンのあまりにマイペースな一言によって、二人のドロドロした権力闘争は一瞬にして「ステーキを巡るしょうもない口喧嘩」へと変貌を遂げてしまうのだった。




